4817a77b 3fb6 4e49 8b90 7ca6b62e4a06ワークスタイル
2016年01月16日

麻酔科医として、母として、そして起業家見習いとして――
「白衣を着ていなくても勝負できる自分」になるための挑戦
麻酔科専門医・平沢玲子先生インタビュー

麻酔科医として多忙な日々を送りながら、「白衣を着ていなくても勝負できる自分となる」と起業も視野に入れて精力的に活動している平沢玲子先生。土日もセミナーや勉強会に参加して自己研鑽に余念のない先生は、2歳のお子さんを持つママでもある。熱量の高い圧倒的な存在感で一緒にお話しているだけでパワーを与えられる平沢先生。そんな先生の変化と成長のプロセスは、人との出会いが起こす化学反応だったとか――

平沢玲子先生

香川医科大学(現・香川大学)卒業後、同大附属病院麻酔救急医学講座入局。大学病院並びに関連病院に勤務し、麻酔科専門医取得。2007年に医局を退局後は、フリーとして勤務しながら経営のイロハを学び始める。結婚後、常勤復帰。麻酔科医として多忙な日々を送りながら起業準備を行っている。大阪市内にて公務員の夫と2歳の長女との3人暮らし。

 医局でも、勤務先でも、プライベートでも人との出会いに恵まれていたという平沢先生。卒業後入局した香川医科大学(現・香川大学)麻酔救急医学講座は有難い環境だったという。「数年経ち、他を知るほどに香川の医局に入ったのは大正解だったと同期と話すほど恵まれていました。教授をはじめ、偉い先生方も現役度がすごく高い。しょっちゅう現場に来てくださるし、時には教授自ら交代までしてくださる。自由にのびのび仕事をさせていただきながらも、叱るべきところはきちんと叱ってくれる。異動や人事もきちんと意向を聞いてくださる。1人ひとりに目を配り、大切にしてくれる医局でした」。

キャリアも自己責任で選ぶ。
自らアクションを起こす重要性を学んだ上司からの助言

そんな恵まれた環境で研鑽に励んでいた平沢先生。「心臓麻酔の経験を積みたい」と希望した兵庫県立姫路循環器病センターでの勤務も実現した。「香川小児病院でご一緒させて頂いた上司が、大学では心臓麻酔が少なく、経験したい先輩がたくさんいる。もし経験したいと思っているなら自ら手を挙げたほうがいいよと助言してくれたんです。自分のキャリアを他人任せに流されるのでなく、自ら考えアクションを起こして築いていくことの大切さをそのときに学びました」。

姫路循環器病センターでも、いい意味でハッパをかけてもらえる上司に恵まれた。「圧倒的な実力を兼ね備えた先生方でした。そんな先生方から“1の症例を1のままに止めるのも、25にするのも50にするのも自分次第やで”と言われました」。医局派遣として派遣期間の決まっている身。時間が限られているからこそ、この環境というチャンスを最大限に活かしたいと貪欲に研鑽を積んでいった。「心臓麻酔は、心臓を止めた後のドキドキ感がたまらないんです。どんな薬のチョイスをするべきか、上司の意見も聞きつつ熟慮する緻密さ。うまく作用してICUに連れて帰ったときに上司からかけられる“やるやん”という言葉で感じる達成感。一連のプロセス全てが刺激的で、学びに満ち溢れていてとにかく楽しかったです」。経験値を上げたいという一心で「難治性不整脈に使うシンビットという薬があるのですが、“一度使ってみたいです”と上司にかけ合い“お前不吉やな~”と苦笑いされることもありました」というアグレッシブさ。麻酔科医として飛躍的に成長しているのを感じられる環境。医局からの派遣期間は半年だったが、もっと研鑽を積みたいと医局にかけ合い1年に延長してもらったという。「それをバックアップしてくださったのも教授や医局の先生方です。無理を言ったなと思いますが、お蔭でとても濃い経験をさせて頂きました」。

麻酔科専門医取得
キャリアの1つの節目を迎えて実感した心境の変化

その後、一旦香川へ戻った後、明石市民病院へ。「心臓麻酔を続けたいな…」と後ろ髪を引かれる思いを抱えながらの勤務だったが、ここでの経験がその後のキャリアを大きく変えることとなる。「明石でも上司には恵まれました。この病院だからこそ出来る経験をさせて頂き、勤務している際に麻酔科専門医を取得しました。31歳のときのことです。ただ、専門医取得という節目を迎えて心境の変化もあって…。それまでは、環境の良さもあり何の疑問も持たずに医局ルートに乗っていたのですが、1つの大きな目標であった専門医を取得して“この先、何のために頑張ろうか?”との疑問がでてきてしまったんです。その時、これまで自分が目の前のタスクをこなすだけの毎日だったことを痛感し、変わらなきゃと強く思ったんです」。多忙さゆえ、目の前のことに対応するだけで忙しなく過ぎていく日々。「気付けば人間関係も仕事繋がりのものに限られていました。仲良くなるのはもちろん厭いませんが、視野が狭くなっているような気がして。井の中の蛙にならないよう、外との繋がりを作っていこうと思い至りました。そのきっかけをくれたのはICUの同い年の看護師さんでしたね」。

 そんな考えから、半ば焦る気持ちで参加した異業種交流会で衝撃的な出来事があった。「たまたま知り合ったSEの方から、“3年後どうなりたいの?”と聞かれたんです。“医局の異動で香川に戻っているかな”と答えたところ、“それって医者としてだけの答えだよね。自分自身はどんな生き方をしていたいの?”と問いかけられました。返事に窮して“別に困ってはないんだけど…”と伝えると、“なるほどね。それだと、あなたの人生は困らない人生であって、最高の人生ではないよね。それでいいの?”って言われて…」。そのときは、あまりにストレートな言葉にカチンときたという先生だったが、「日々の忙しさに流されているだけの自分を痛感しました」。自分が何をしたいのか、どうしていきたいのか。当たり前に考える必要があることから逃げてきた自分を思い知らされたという。SEの方が自分以上の時間を勤務しながらも、将来のために自己研鑽に余念がない姿も目の当たりにし「“忙しいから何もできひん!”との言い訳はできないと奮起しました」と振り返る。

ライフステージに応じた自分らしい働き方をするなら
医師の常勤求人検索はこちら
『Dr.転職なび』
  アルバイト検索はこちら『Dr.アルなび』

 

「白衣を着ていなくても勝負できる自分になる」
繰り返しでなく、積み重ねの毎日を送ろうと決意させた出会いと交流

そんな出来事をきっかけに経営者・若手実業家との交流を深めていった平沢先生。向上心と行動力に溢れ、含蓄あるアドバイスをさらりとくれる人々と接する中で、自分自身が感じていた生きにくさに気付いたという。「“仕事何しているの?”と聞かれて、“医師です”と答えると、“すごいね”と言われることが多い。私は自分をすごいと思ってないのにすごいと言われることに違和感がありました。立場や権威をひけらかす人のことを疑問に思っているためかもしれません。自分の未熟さは自分が一番よく知っています。どうなれば自分の中と外とのギャップを埋められるだろうかと考えるようになりました」。そんな中で尊敬する経営者さんから言われたことが印象に残った。「人生の縦は決まっているから、幅を広げよう。仕事はあくまで洋服。どんなに着飾ったところで、洋服は変えられる。着ている自分自身が問われると心得て、自己研鑽しないとね。過去の結果ではなく、今この瞬間を切り取った時にどこに向けて努力しているかが大事」との言葉。「ちょうど専門医も取得し自信もついてきた時期。医師としての次なる目標を見出せずにいながらも、人間関係も良い医局での日々に流されていたころです。今の自分は、ある意味“ぬるま湯”に甘んじているのではと感じました。ぬるま湯って出るのも寒いし、つかっていても気持ちよくはない。そこにいても自分自身は磨かれません。だとしたら、今の私は新たに自分を磨く場を持たなければならないのではないか。日々をルーチン化した繰り返しの毎日ではなく、積み重ねの毎日にしなくては」と逡巡し、「白衣を着ていなくても勝負できる自分でいたい」との思いを強くしたという。

そんな折、香川への帰任の話が持ち上がる。「人事異動に関しても意向を大切にしてくださる医局ですから、半年前には意向確認の打診をいただきました」。せっかく築いてきた経営者さん、若手実業さんたちとの人脈。そして「白衣を着ていなくても勝負できる自分でいたい」との思い。ここで香川に戻ったら、振り出しに戻ってしまうと思ったという。「教授には、素直な気持ちを伝えてフリーになろうと思う旨、お話をしました。お叱りを受けても仕方ない状況ですよね。それなのに教授は“そうやな。今の年齢だからこそやりたいこともあるよな”とおっしゃってくださいました。フリーとして1か所勤務に固定すると不安定だから、複数の勤務先に固定したほうがいいとのアドバイスまでくださって。本当にありがたく感じました。もう退職されていますが香川の父です」。

フリーの麻酔科医として複数医療機関で勤務しながら、起業を視野にビジネスや自己啓発の研修・セミナーに通ったり、人脈を広げる日々。フリーという不安定な立場にはもちろん苦労もあったが、「自分を成長させるのは他人ではなく自分。居心地のいい場は、たとえ問題があっても見て見ぬふりをさせてしまう。自分の人生の経営者として、まずは居心地が悪くても、自分自身を成長させるいい環境に身を置こうと思いました。向上心の高い人、ステージの高い人と交流していれば、磨きどころに気付いて研鑽を積む自分になるはず」と奮起したという。

結婚、そして出産――
マルチタスクの毎日で生まれた新たな夢

そんな奮闘の日々の中、今のご主人と出会い結婚することに。「それまでの私って相手に幸せにしてもらおうと思っていたんですね。でも、主人と出会って、してもらうより幸せにする側に回ろう!と決めたんです。決めるとシンプルでした。そう思えるようになったのも私自身のポジティブな変化なのかもしれません」と笑う。ご主人の希望もあり、結婚後は常勤勤務に復帰。とはいえ、医師+αの自分への投資の手は緩めていない。さらに、2013年には長女も出産。現在は、麻酔科医として、起業準備中のビジネスウーマンとして、妻として、母としてマルチの役割をこなす。マルチタスクの大変さについて聞いてみても「1つがうまくいかなくても、色々な顔がある方がダメージが少ないんですよ。1つの顔で失敗しても、他の顔の仕事にも忙しいからくよくよしている暇もない(笑)。それがいい距離感になるのではないでしょうか。何か1つに依存していると、それが自分自身の全てになってしまい、こうはいかない。自分で自分の機嫌を取れるようになるには、いくつもの役割があったほうがいいと思います」との痛快な答え。今は起業の夢に比重を置きつつも、医師としての今後の展望も湧き上がってきたとか。「ターミナルケアや緩和医療を学んでいきたいとの思いを深めています。麻酔とはまた違う高い倫理観やコミュニケーションも求められる人間の尊厳に関わる医療。今すぐの挑戦は難しいですが、いつか必ず取り組んでみたいテーマです」との言葉。「白衣を着ていなくても勝負できる自分になる」とスタートした挑戦が、白衣を着た自分の未来への展望にも繋がっていることに、挑戦はポジティブな化学反応を起こし続けることを実感させられる。

力強い言葉で聞き手の心を鷲掴みにするエネルギー溢れる平沢先生。「色々偉そうなこと言ったかもしれないけど、結局私は人との出会いに恵まれ、支えになる言葉をたくさんいただいてきただけ。何も1人で越えてきてはいないんです」と謙遜するが、先生の全力投球な生き方こそが、手を差し伸べてもらえる状況を引き寄せてきたに違いない。人との出会いが起こす化学反応で変化してきた平沢先生。そのポジティブで圧倒的なエネルギーを携えて、きっとこれからは化学反応を起こさせる側としてもますます活躍されていくに違いない。

医師の常勤求人検索はこちら➡『Dr.転職なび』
  アルバイト検索はこちら➡『Dr.アルなび』
エムステージ産業医サポート【医師向け】

ヘルスケアの今と未来がわかるWEBマガジン➡『HEALTHCARE Biz』

 


関連記事
日本では子育てのためにやむなく転科……。
異なる生き方を認め合える
スウェーデンで見つけた鈴木智香子医師のワークライフ。

宇宙飛行士ファイナリストの産婦人科医が描く夢
選択肢が多いほど人生は豊かになる