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2016年01月22日

スウェーデンに移住後、苦しい不妊治療を経て双子を出産。
子育て+仕事120%、泌尿器科・宮川絢子先生の白熱人生。

宮川絢子先生はスウェーデンの名門病院で勤務しながら、20回近くの体外受精を繰り返した末、47歳で双子を出産。産後わずか3ケ月で現場復帰し、泌尿器科でロボット手術のエキスパートとして、第一線で活躍しています。「日本だったらこの仕事量で子育てするのは不可能」と断言する宮川先生。どんな困難が訪れようとすさまじいバイタリティで乗り越え、理想を現実にするタフな生き様を取材しました。

宮川絢子(みやかわ あやこ)先生

 

1964年生まれ。慶應義塾大学医学部卒業後、同大学病院、国立栃木病院、静岡赤十字病院、済生会中央病院などで研修後、博士号、日本泌尿器科学会専門医を取得。1996年より3年間、カロリンスカ研究所(スウェーデン)、ケンブリッジ大学(イギリス)にてポスドク(博士研究員)を務める。その後、琉球大学、東京医科大学に勤務し、2007年にスウェーデンに移住。スウェーデンの医師免許、泌尿器科専門医を取得し、カロリンスカ医科大学病院に勤務。東京医科大学の客員講師も務める。

3ケ月間日本に戻り不妊治療に集中した時期も。
20
回近くの体外受精で双子を妊娠。

 泌尿器科医・宮川絢子先生がスウェーデンに移住を決めたのは約9年前のこと。「スウェーデンはポスドクとして何度か訪れ、大好きになった国。日本では男性優位で激務の外科社会に閉塞感を覚えていたので、より人間らしい生き方ができる場所で、医師として人間としてやり直したいと思ったんです」という宮川先生。彼女はスウェーデン留学中に出会った日本人研究者と結婚していたが離婚。その後、以前から知人だったスウェーデン人研究者で、のちにカロリンスカ研究所の細胞生理学の教授となる男性と結婚する。彼は14歳の時にオートバイ事故で脊髄損傷となり、車いす生活を送っている身。「移住する前は泥沼の離婚裁判を経て心身ともに疲弊しきっていました。そんな経験もあって、脊髄損傷で不自由な体であっても、心のきれいな優しい人と一緒になれたことに幸せを感じています」。

今のご主人と結婚してから、子供が欲しいと思った宮川先生。ご主人の障害ことを考えると体外受精しか道はなかった。当時、宮川先生は43歳。スウェーデンで2回体外受精を行ったがうまくいかず、「不妊治療の技術は日本のほうが高い」と切実に感じ即行動に移す。

スウェーデンの不妊治療事情はというと、38歳まで治療費が無料。この制度が功を奏し、急がないと費用がかかるという意識が高まり、20代~30代前半といった若い時期から治療を始める女性が多いという。38歳を超えてから子供が欲しい場合は、高額な不妊治療をするより、養子縁組の道にシフトする夫婦が増えてくる。「治療費は1回3万Kr(約43万円)くらい。日本のほうがもう少し高いかな」と話す宮川先生。

日本での治療に集中するため、上司に相談して3ケ月の休暇をもらい自然周期での不妊治療を試みる。そのときは成功しなかったが、日本とスウェーデンを行ったり来たりしながら治療を続け、20回近くの採卵を繰り返した末、47歳に妊娠判定が出る。「なぜここまで続けられたのかと考えると、あきらめる決断ができなかっただけ。この治療を辞めてしまうと、自分の子供を持つことが100%不可能になる現実を、受け止められなかったのだと思います」。

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自宅のベッドで破水。
波乱続きの出産、母乳が出ない苦しみ……。

念願の妊娠判定後、喜びも束の間厳しい決断に思い悩む。「妊娠したのが双子と聞いたときは、かなりのショックを受けました。高齢出産のリスクがあるうえ、仕事をしながら一度に2人の子供を育てられるのだろうかと……。検査で子供の染色体異常が見つかったら、産むつもりはありませんでした」。染色体異常がないかを知るため、胎児のうなじの厚みを判定する検査を行った。結果、問題がなかったことから羊水検査はせずに出産する決意をかためる。

妊娠中であっても仕事量を減らすことなく外来やオペに立ち続けた宮川先生だが、妊娠19週目で喘息発作により肋骨を骨折し、這うようにして勤務先であるカロリンスカ大学病院の救急病棟に向かった。その一件以降は、仕事の量を半分に減らし体調に注意していたものの、31週目で自宅のベッドで破水。バスタオルを股にはさみながら救急に向かいそのまま入院。2日後に緊急帝王切開で無事に元気な男の子と女の子を出産した。体重1800gの小さな赤ちゃんだったが健康そのもの。

ところが、波乱続きの出産はこれで終わらず、12時間後には隣のダンドリッド病院への移動を余儀なくさせられる。というのも、出産したカロリンスカ大学病院は国内トップレベルの病院。ハイリスク出産が多くすぐに満床になってしまうため、未熟児であっても健康であればベッドを空けなくてはいけない。さらにスウェーデンでは気候のいい6月~8月は出産ラッシュで、宮川先生が出産した7月は妊婦さんがひっきりなしに来院する実情もあった。「産まれたばかりの保育器に入った未熟児を移動させていいのか心配でしたが、結果的に何事もなくてほっとしました」という宮川先生。ダンドリッド病院に2週間入院したのち、晴れて自宅に戻り家族4人の生活がはじまった。

帰宅といっても授乳用の胃管と無呼吸アラーム付き。帰宅後の約1カ月間はダンドリッド病院の看護師によるサポートがあり入院扱いになっている。専門スタッフが週2回自宅に来てくれ、体重・身長の測定や医学的アドバイス、育児の相談にも乗ってくれる。病院では2人の子供に同時に母乳を与える「ダブル母乳」の指導を受けるが、宮川先生は母乳があまり出ないうえに、体が小さな双子たちは吸う力が弱いこともあり、うまくお乳を与えられない。「母乳に関してはものすごいプレッシャーがありました。スウェーデンでは“母乳神話”が強く、思うように出ないことにあせり、落ち込むこともあった……」。スウェーデンでは、母乳がよく出るお母さんの余剰分を100mlあたり100Kr(約1500円)で病院が買い取るシステムがあり、入院初期はその母乳を授乳していたが、その後、胃管を抜くためには母乳授乳をあきらめなければならなかった。

スウェーデンは子育てしながら
仕事に全力で打ち込める環境。

母乳を断念しミルクに切り替えた宮川先生は、産後3ケ月で仕事に復帰する。およそ1年半の育児休暇をしっかりとるスウェーデンでは、驚くほどの早さだ。「母乳が出ないとなると私ひとりが家にいる理由もないので、勤務時間50%で職場復帰し、夫と分担しながら子育てしていました。子供が1歳になり保育園に通うようになってからはフルタイムで働いています」。

宮川先生の勤務時間は7時~16時。前立腺全摘、膀胱全摘といった大きな手術をコンスタントに手掛け、深夜のオンコールに対応することもある。「仕事量は120%以上かもしれない。スウェーデンは社会全体に子育てに協力的な気風が定着しています。そのおかげで仕事に全力を注ぎながら子育てができる。たぶん、日本にいたら無理だと思いますね」。以前、保育園から息子さんがケガをしたという連絡が入った。オペを始めようとするときだったので「すぐに保育園には行けない」と伝え電話を切ったが、心配になり上司に「うちの子が頭から血を出しているみたい」と告げる。すぐに代わりの術者を探してくれ、彼女は保育園に向かった。「日本で執刀医がオペ直前に変わったら、大問題になります。でもスウェーデンでは、普通に行われること。オペが始まっていなければキャンセルすることも可能です。子育てのためにみんなが協力し合っているんです」。

働きやすい環境ではあるが、女性であることがハンデになることもある。「外科のなかでも泌尿器科はとくに男性優位。日本では1週間で80時間勤務していたのに比べて、同世代のスウェーデン医師は基本40時間勤務。臨床経験が豊富であっても女だからという理由で、オペをさせてもらえない時期もありました」。

悔しさを力に変え、患者さんと向き合いながら実績を重ねてきた宮川先生。今では『ダビンチ』という手術ロボットのエキスパートとしての地位を確立している。年間の症例は前立腺全摘術で100例以上。これだけの手術経験が多くの患者さんの未来に光を与えてきた。自らの価値観で人生の道順を決め、迷わずに突き進む。失敗の辛さも成功の喜びも、すべて自分の責任として受け止めてきた。その潔い生き様が揺るぎのない強さとなり、人生を思うがまま操縦し道のりを鮮やかに彩っている。

■取材コーディネイト・矢作ルンドベリ智恵子

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