46812dca 3ba6 42d6 bfc7 0eb26995e79b連載・コラム
2016年04月04日

院長ママのパラレルな日々
第2回 思えば、男性社会だった

東京の整形外科医院で院長を務める井上留美子先生。院長として、整形外科医として、2人の男の子の母として、ヨガインストラクターの指導者として・・・いくつもの顔を自在に使い分ける”パラレルな日々”はまさにジェットコースター。刺激的でスリリングな日常を痛快なタッチでお届けします。

第2回 思えば、男性社会だった

今でこそ女医医師の活躍はすさまじいものがありますが、ン十年前はまだまだ女医は少なかった。特に外科系は少なく、当直室ですら完備されていなかった。整形外科医局は見本になるかっこいい先輩女医は5名ほどで、私が入局した時には3人辞めていたので2人でした。同期に女医はおらず(途中で一人入ったけど、すぐ抜けた・・・またこれは今度)新医局員の出し物では、白鳥の頭のチュチュを着て、全裸に近い状態の同級生(男)とサンバを踊ったりもした・・・。詳細は語れないけど、かなりきわどいダンスで、先輩方からは「でかした!」とかなり褒められました。

「女だからって舐められまい!」とこのころは本当に男に負けじと働いていたような気がします。女医は男性医師の倍くらい働かないと評価はしてもらえません。女医の存在を変に喜んでくれる先生もいたけれど、面倒くさがる先生もいたのも事実です。どう扱えば良いのかわからなかったのでしょうか・・・。

教授外来にデシュライバー(カルテを記載しながら教授外来の勉強をする)でついていた時の出来事。日々の疲れと緊張・ストレスからかいきなり予定外の生理になったのです。下も白衣ズボンをはいていたため、ズボンと椅子が血で真っ赤になっていたところを、看護師さんが発見し(当の本人は全く気が付いていなかった)、バスタオルでいきなりくるまれて、後ろに引きずり出されたのです。一緒についていた男性デシュライバーは見て見ぬふり?だったのかいまだに不明。あまりに情けなくって半泣き状態でバスタオルを巻いたまま病院の隣のアパートへ帰宅し着替えたのです(当時はほぼ病院の隣に住んでいた)。

同様のことはオペ室でも起こりましたが、だんだんとなれて、『あたし出血多量なので手、おろします』なんて平気で言っていました。

医者8年目くらいの時でしょうか、出張病院にいるときに妊娠発覚。もちろん我が医局では初めての事例。

「仕事も疲れたし~、産休もいいわね~」なんて考えたこともあったかも…しれませんが、そんなに甘いものではありませんでした。出張病院は一人だったので、先輩が外勤で来てくれた時にオペを組んでいましいた。整形外科なので、術中イメージは当たり前のように使いますが、「妊娠しちゃったしどうしようかなあ」なんて思っていたら、『もちろん君がやりなさい、仕方がないでしょ?』と当たり前のように言われたのです。おっしゃる通りよね、私しかいないから…と当時は思い、鉛のプロテクターをダブル使いで放射線を使用していました。つわりもひどく、入院もしたのですが、先輩に『つわりのひどい人って甘やかされてるんだって』と言われた時は涙が出たのを覚えています。そのまま切迫流産と診断がくだり、大学病院に戻され、外来業務だけ・・・というような勤務体制にしてくださったのです。このとき、一番私のことを心配してくださった医局長が現大学医局の主任教授になられており、未だに感謝の気持ちでいっぱいです。

産休はいただき、出産は無事に済みましたが、ある医局の先輩から『君が助手の席を持ち続けてると、後輩の若い医者が無休で働くことになるんだよ。』と軽く意味深なことを言われたため、育休は諦め、退職→登録医という形で、当時の博士論文の研究を続けることにしたのです。こんな形で退職になったので、送別会も記念品もなし。まさにフェードアウト状態でした。ま、当時はそれが気が楽だったので良かったのですが皆さん、立派な盾などをもらっているのを見ると、なんとなーく残念な様な・・・?

外科医としては8年目というのはまだまだペーペーです。オペも独立して一人でやることがまだまだ難しく、まさに志半ばで大学病院から身を引く形となったのです。当時は保育園ももちろんありませんでしたから、研究を続けることは困難になり、結局はドロップアウトになったわけです。

でもこれは、自然と私にやってきた子どもたちに出会うための私の選択であり、そのために自然と大学を去ることになったのも私の選択であり、長男出産のタイミングで今のクリニックの院長職につき、赤子を育てながら自分のキャリアを全うできたのも全ては私にとって最善だったと思っています。ほかの選択肢があったのかどうかは全くわかりません。でも、このことをきっかけに、私のjoy人生のプライオリティが明確になり、やり遂げることができなかった悔しさが、今の私のばねになっているのです。

今でこそ学会にベビーカーを押してきている女医さん、医局同門会に子連れで参加する女医さんがいらっしゃいます。本当に恵まれていると思うけど、それもこれも、優秀なjoyが戦い続けてきたから!と喜んでみています。

井上留美子 (いのうえるみこ)

1971年東京生まれ、東京育ち。聖マリアンナ医科大学卒業・研修。整形外科学教室入局。長男出産をきっかけに父のクリニックの院長となる。日本整形外科学会整形外科認定医、リハビリ認定医、リウマチ認定医、スポーツ認定医。自分の健康法である笑うことをモットーに予防医学としてのヨガに着目し、ヨガインストラクターに整形外科理論などを教えている。シニアヨガプログラムも作成し、自身のクリニックと都内整形外科クリニックでヨガ教室を行っている。現在は二人の子育てをしながら自身のクリニックにて業務を行っている。


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