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2016年03月31日

メディアで活躍する
現役内科医・おおたわ史絵の医者人生~前編~
あの時の挫折があるから、
今の自分がある。

「生まれ変わったとしても、もう一度医者という人生を選ぶか。そう聞かれたら、答えはノーです。この人生で医者という仕事をやりきる覚悟でやってるんです」

 現役内科医師として働きながら、メディアでも活躍を見せるおおたわ史絵先生。今まで医学の道だけをひた進んできた。決して平坦ではなかったこれまでの医者としての人生と、今、そしてこれからのこと。いつものように、ズバッと本音で語っていただいた。

——20代、30代、40代。それぞれの時期に悩んだこと、葛藤してきたことを教えてください。

20代で感じたこと、それはとにかく無力感。臨床医として何もできない自分、自他共に無力であることを認めざるを得ない敗北感に苛まれていました。

 わたしの研修医時代は、それは過酷でした。臨床研修医制度が改正される前ですから、寝られない生活が続き、しかもお給料なんてほとんどもらえません。当時はバブルで同世代の女の子たちは高額のボーナスを貰って華やいでいるというのに、わたしって何なんだろう。何してるんだろうって思っていました。

 卒業大学ではない大学病院を選んだこともストレスになりました。外様なのでなおさら誰も助けてはくれないし、自分で努力するしかない。できないことを責め続け、結局うつ状態になり、半年間の休養生活です。原因不明の高熱が続き、めまいで立つこともできず、今まであれだけ病院に通ったというのに、病院に行くこともできなかった。もう終わりだ。大学にも、医学の道にも戻れない。そう思って、誰とも連絡を取らずにただひたすら寝ていました。

——半年後に内科医として復帰されました。

少し頭がクリアになってきたころ、もう医者にはなれない自分が、医者以外の世界を何一つ知らないという事実に愕然となりました。焦りました。とにかく何かやるしかないのに、医者しかできない。そんなわたしを、下町の病院が拾ってくれました。26か27歳のときのことです。

その病院は東京でも田舎の、とても古い病院でした。設備も整っていません。でも、わたしはそこで救われた。これまでいた大学病院と違って人間味があって、どんどん吸収できる自分がいました。ああ、自分もまだ医者ができる、そう思いました。一方で、このままでは以前の自分と同じだ、変わらなきゃ、医者以外の世界とつながっておかなきゃ、そう強く思いました。それで文章を書くということをしたんです。その当時好きでよく読んでいた週刊朝日のコラムに原稿を持ち込みました。

 ——メディアに出ることを選んだのはなぜですか?

 どうして執筆活動を始めたのか、よく聞かれます。文章が得意とかメディアに出たいという理由ではありません。とにかく、医者以外の何かをやる必要があったんです。医者としての自分を守るために。

 運よく2本掲載してもらいましたが、完全にビギナーズラックで(笑)、その後採用されることはありませんでした。でも、書くことで自分を表現することのおもしろさは感じたんでしょう。編集部の知り合いに、何かあったら声をかけてほしいって名刺を渡しました。

 そんなことがきっかけで、執筆を始めました。医者としても多忙を極めていたころですから、当直の時、寝ずに書いていました。無理はしていたと思います。でも、突き動かされていたんですね、これは自分のためにやらなきゃいけないことだっていう使命感に。これが30代です。30代後半までは普通に病棟勤務をしていました。

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 ——そして、今。メディアで活躍する現役医師として有名になりました。

 雑誌の連載で見つけてもらい、とくに40代に入ってからはラジオやテレビ番組に呼んでもらえるようになりました。テレビに医者が出るとなると、世間はネガティブなんですよね。それは分かっていたので、普通以上に努力しました。そうしないと足元をすくわれます。メディアに出る以上、嘘はつけません。知らないことは知らないと、勇気を持って言うことも大切ですね。

 もちろん医者の仕事も続けています。たぶん、みなさんが想像するより多く、外来を受け持っていると思います。以前病院に迷惑をかけたことがあり、病院名をふせていますが、たまたまわたしが外来担当だったりすると、「あれ?」って顔されますよ(笑)。気づかない人もたくさんいますし。自分の外来担当の日は絶対に休みません。医者が休診してテレビに出てたら嫌じゃないですか。

 メディアでは医療について専門的なコメントを求められることが多いのですが、実はちょっとジレンマなんです。医者以外の世界を求めて踏み入れたのにって。でも、こんな自分が少しでも社会の役に立っているうちは続けると思います。病院での仕事もメディアでの仕事も、目の前のひとつひとつのやるべきことをこつこつやる。それだけです。あの辛い時期があったからこそ、素直にそれができるのかもしれません。あの時挫折していなかったら、自分は何でもできるんだって勘違いしていたかもしれません。

 >>後編
「内科医・おおたわ史絵の今までとこれから。苦しいと思っていることは、すべて自分の思い込みによるもの

おおたわ史絵(おおたわ ふみえ)


内科医。東京女子医科大学卒業。大学病院、東京下町の病院での内科勤務。現在は開業医として診療にあたりながらコメンテーター、作家などで活動中。主な著書に『女医の花道!』『続・女医の花道!』(共に主婦の友社)『女医のお仕事』(朝日新聞出版)『ヒトは医学で恋してる!』(文芸社)などがある。

 

 

 ■文・ふるたゆうこ

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