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2016年06月01日

仕事も子育ても、あきらめないで欲しい――。
胃がんオペの最前線に立つ東大病院・野村幸世先生が送る
悩める女医たちへのエール

東京大学病院で胃がんのスペシャリストとして邁進する野村幸世先生。男社会の外科医の世界で堂々と、生き生きとオペに立ち、患者さんと向き合っています。野村先生のこれまでは3年間のアメリカ留学、40代で二児を出産するなど、力強い歩みと挑戦で人生を彩ってきました。現在は、臨床の傍ら研究・教育に力を注ぐなかで「子供を育てるという“人間としての仕事”も大切にしたい」と育児に全力投球。医師として、母として、計り知れないバイタリティの源を伺いました。

野村幸世(のむらさちよ)先生

 

東京大学医学部附属病院胃食道外科・准教授、がん相談支援センター長。1963年生まれ。1989年に東京大学医学部医学科卒業後、同大学附属病院に勤務。1994年に同大学院医学系研究科に入学し、卒業後に同大学附属病院分院外科助手となる。2002年にアメリカに渡りVanderbilt Universityに3年間留学。帰国後、同大学附属病院に戻り講師、准教授に昇格。2007年には第一子、2010年に第二子を出産。

 医大卒業後、女性がほとんどいない外科医の世界に飛び込んだ野村先生。男性優位の東大病院の外科で、第三外科(消化管外科、乳腺内分泌科)は、女性医師への偏見が少ない風通しのいい科だった。とはいえ、現実は初期外勤を含めて女だからこその不公平感を覚えることは少なくなかった。「私だけでなく女性医師が排除されている感覚は正直ありました。ひどいときは一言、二言意見することもあったな。患者さんのことで納得いかないと他の先生とぶつかったり、喧嘩したり……。扱いにくい女医だったでしょうね」。
何よりもオペが好きだったし、一日も早く一人前になりたかった。30歳のときに大学院に入り4年間研究に打ち込み、当時手掛けた研究に興味を持ったアメリカ人ドクターから「自分の研究室でポスドクをやらないか」とオファーされる。「今から留学?冗談じゃないと思いましたよ(笑)。大学院にいるときはメスが持てないので、このままだと私、手術できなくなっちゃう、と焦っていましたから」。野村先生の能力を高く評価していたアメリカのドクターはあきらめなかった。折りに触れ彼女に声をかけ、5年越しでようやく野村先生は渡米することになる。

人を輝かせる環境がアメリカにはあった

 「アメリカに行ってみて、精神的にこれほどラクだとは思わなかった。男女の差別がないフラットな環境だったのでストレスなく仕事ができました。アメリカ社会は、人材を生かさないのは社会の損失という発想が定着しているんです。出る杭を打つことはなく、上の人が部下たちを盛り立てて外に売り込むスタンス。何人優秀な弟子を育てたかがボスたちの評価基準になっているので、彼らのモチベーションが日本とは違いましたね」

 そのままアメリカに残って働こうとは思わなかったのかというと、答えはNO。「私が変えなければ日本は変わらない。変えてやろうと思いました。人を生かす社会、集団を作りたい。女性に対して差別がない、能力を十分に発揮できる環境を整えたいんです」。物申せる立場になるには、研鑽を積み、がん患者を救う経験を積み重ねていくことだと確信し、走り続けた野村先生。現在では信頼される准教授の立場になり、女性医師をサポートする「日本女性外科医会」のメンバーとしても女医の働く環境の改善を提言している。

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パートナーによって、女性医師の生きやすさが変わる!?

 女性医師にとって一番大切ことは何ですかと質問すると「パートナー選びを妥協しないこと(笑)。家事、育児をしてくれる男性じゃなかったら女性の社会生活は成り立ちません。家のことは女性任せという固定概念を持った男性を教育しなおすことは、不可能に近いですからね」。そう話す野村先生のだんなさんは、なんと同じ医局にいた外科医!「お互いの忙しさが分かっているので、自然と役割分担ができています。私が帰宅すると台所に立ってごはんを作ってくれていますよ」。

 肉体的にも精神的にもハードな外科医の道を選んだ時点で、結婚、出産は二の次なのかと想像したが、野村先生は20代から妻、母になることを意識していたという。「大学生時代から仕事よりも結婚するほうが大事!と思ってたくらいでした(笑)。ですが、当時うまくいかなくて、だったら仕事に打ち込もうと切り替えたんです」。マイナスを見事にプラスに変え、外科医としてめきめきと力をつけていった野村先生。アメリカ留学を終えて帰国してから、晴れて41歳のときに結婚する。「結婚といっても、籍は入れていないんですよ。だんなは“女性が姓を変えることはアイデンティティの喪失なのでそのままでいいんじゃないの”って。二人の子供は私の姓を名乗っていますがいまのところまったく問題ないです」。男女の境なく平等な視点を持つだんなさんは、野村先生をしっかりとサポートしてくれている。

 現在は5歳と8歳のお子さんの育児と仕事の両立で、めまぐるしい日々を送っている野村先生。起床時間は朝の4時30分。「朝のすっきりとした頭で論文を書いたり、資料を読んだりしています。たった30分の時間だけど、早朝のひとり時間がとても貴重」。5時になるとスピードがいっきに上がる。出勤の準備をし、寝たままの下のお子さんを車に乗せて、7時には職場の院内保育園に到着。そこでお子さんに朝食を食べさせ、8時のカンファレンスにギリギリ間に合わせる。「今はラクになったほう。産休明けのときは、院内保育に預けている子供に3時間ごと母乳をあげに行くんですが、タイミングが合わないんですよ。行ったら寝てるし。診察室に戻ると“今起きましたよ”と連絡が入って、慌てて向かったりしていたので、患者さんをお待たせしてしまうこともありました」。

 子供が小さいうちは
男性医師たちも子育てに参加できるように

子供を持ってみて切実に感じるのは、女性だけでなく男性も働く環境を“育児モード”にするべきだということ。「子供の両親が共稼ぎという条件を考えると、養育期間は男性も当直を減らすなど平等な処遇にしないとうまくいかない。子供は突発的なことが起こりやすいので、母親だけでは対応しきれません。男性側も同じにすれば“なんで女性ばかりが当直免除に?”という不満もなくなりお互いが助け合える。それが“人を生かすこと”。アメリカでは普通のことでした」

 外科医ママとしての道を切り拓いている野村先生の足跡は、後に続く女性医師たちの可能性を広げている。「やる気さえあれば、女性医師たちにもどんどん外科医の世界に入ってきてほしい。ですが、ハナっから“結婚しません、子供を産みません”という姿勢は受け入れがたいんです。家庭を持って子供を持つということは大事な人生の仕事。お金をもらう仕事ばっかりではだめだと思う。もちろん、パートナーや子供に恵まれないことだってあるよね。それはしょうがない。でも、最初から意図して投げ出さないでほしい」。

 歯に衣着せぬ言い方で、確固たる指針と人間愛に満ちた思いを語る野村先生。「私は日本を変える。人が生き生きと輝けるように」という思いの種が芽を出し、花を咲かせる日を目指して――。その力強い歩みは続いていく。

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過酷な外科医の世界で第一線で輝く
乳がん手術のスペシャリスト、
昭和大病院乳腺外科・明石定子先生。
オペのやりがいも子育ての難しさも、すべてを力に変えて。

 患者さんだけでなく家族を見守るのが地域医療。
多摩エリアで医療ネットワークを築く明石のぞみ医師の情熱。