Da1b04da 0d7a 44db b884 4837d2741674ワークスタイル
2016年07月15日

悔しさも苦労も全てを成長への糧に変えて――
名倉文香先生が実践するポジティブキャリアの秘訣

医局初の妊娠・出産。子どもを抱えながらの毎日のオンコール。心無い言葉に強い風当たり。そして、志半ばでの退職――そんな逆境をバネに子育てと専門医取得の両立を実現させたのが、糖尿病専門医・名倉文香先生です。「本当の苦労なら覚えているから、私、苦労してないのかなあ?」ハードな経験を豪快に笑い飛ばす底抜けの明るさ、さっぱりした発言が小気味よいエネルギーの塊。そんな名倉先生に聞いたポジティブキャリアの作り方、そして現在描いているキャリアビジョンとは。

名倉文香先生
埼玉県生まれ。2006年3月東京医科大学卒業後、東京医科大学茨城医療センターにて初期研修。2008年より代謝内分泌内科後期研修。30歳で第一子、33歳で第二子を出産。2012年に一般病院に転職。2014年糖尿病専門医取得。現在は東京都内のクリニックで勤務の傍ら、糖尿病療養指導士を目指すスタッフの教育も担っている。

初期研修2年目で第一子妊娠
そして直面した風当りの強さ

「早く帰れていいね」「当直なくていいね」「辞めれば」
初めての妊娠で体力的にも辛い中、同僚たちの何気ない言葉に過敏になっていた名倉先生。「当時は初期研修2年目。直属の上司は理解ある方でしたが、現場の同僚医師たちからは辛い言葉をかけられることも多かったですね。“おめでとう”って言ってくれた人なんていたかな? 今思えば、当然の反応だし、激務でみんな余裕がなかったからこそと思いますが、当時はしんどかったですね」。当直は免除されたもののオンコールはある勤務環境。ひどいつわりに苦しみながら、這うように病院に駆け付けたこともあったという。そんな状況は出産後も続いた。

綱渡りのような毎日を過ごしながら、糖尿病専門医を目指し必死に食らいつく日々。苦労は多かったが、大学病院でありながら、地域柄プライマリから幅広く対応できる環境も気に入っていた。第二子も出産し、環境はよりハードにはなったものの少なくともあと2年はいたい。そう思っていた矢先に思いもよらない事態に。「茨城の医局員の数が減ることとなり、上司からポストを離れることを示唆されました。妊娠のときにも理解ある上司でしたし、本音はいてほしいとおっしゃってくださっていましたが……でも、ま、当直もできない私が離れることが一番丸く収まるということは、こちらも分かるじゃないですか。子育て環境も考えて、東京に転職しようと決断しました」。

もう諦めて健診医になろうかな……
弱気になった自分を奮起させたのは、尊敬する女性医師の叱咤激励だった

転職にあたっての条件は「糖尿病学会認定施設」「院内保育があること」「当直免除」と、かなり厳しいものだった。「手当たり次第探して、アプローチしても箸にも棒にも引っかからない。紹介会社にもいくつか当たりましたが、レスポンスが悪い。最初からないと相談にすら乗ってもらえないこともあって」。八方塞がりな状況に、専門医取得は諦めて健診や外来だけの勤務を選ぼうか、子どもが落ち着いたらまた専門医を目指せばいいんじゃないか……そう弱気になった名倉先生。喝を入れたのは、子どものころから尊敬する糖尿病専門医の女性医師だった。「親友の母であるその先生に弱音を吐くと、“何言ってるの!”と一喝されました。“ここまできたならやり抜きなさい。絶対に専門医を取りなさい”って。先生にそう言われて“私、やっぱり諦めたくない”という自分の本心に気付かされました」。腹をくくれば行動あるのみ。持ち前の行動力をフル発揮し、アプローチを続けた。

膠着状態を打破するきっかけを作ったのは、1人の紹介会社担当者だった。「いろんな紹介会社が私の厳しい条件に匙を投げる中、唯一緻密なリサーチを続けてくれていたのがエムステージの田中さんでした。確かココスだったかな。産んだばかりの下の子を連れて田中さんと会った別れ際、お互いの車に乗ろうとしたところでiPadだか携帯を見ていた田中さんが“先生、ありました~!”って。なんだかドラマチックな展開でした(笑)」。

2012年4月に無事入職。その後、東京医科大学茨城医療センター時代の上司の引き合いで新規開設病院の立ち上げメンバーとして参画。2014年に無事糖尿病専門医を取得した。

>>女性医師に強い! ライフステージに合わせたお仕事探し➡『Dr.転職なび』

2人の子育てと専門医試験勉強
両立の秘訣は、あえて自分を追い詰めること

2人のお子さんの育児と専門医試験の両立。新規開設病院にいたため、なかなか試験情報も入ってこず、対策には苦労したという。そこで名倉先生が取った秘策は「自分でみんなに今年で受かる宣言をしちゃいました。自分で自分を追い詰めちゃった。そうすると、周囲も応援してくれるし、監視してくれるし(笑)、情報があったら教えてくれるというわけ。専門医試験対策は、ある意味情報戦。過去問をどれだけ入手できているか、出そうな問題をどれだけ把握しているかがモノをいう。当時は新設病院にいたから、伝手なんて皆無。だから、受験&合格宣言をすることでMRさんに他病院情報を教えてもらったり、非常勤でいらした先生の勉強チームに入れていただりと周りのお力を借りれる状況を意識的に作ったんです。だって、私は1人で頑張れるほど優秀じゃないもん。助けてください、困ってます!っていうことは恥ずかしいことじゃなかったですね」。周りのサポートを気持ちよく引き出す圧巻のコミュニケーション力に驚かされる。

そして、そんな“受援力”は子育てにおいても発揮されているとか。「育児をしながらの勤務は、自分の努力だけではどうにもならないことは多々。だから、助けてもらえる人の数をどれだけ増やせるかが大切なんですよね。だから私は、ママ友とも積極的に付き合うし、なんなら飲み会やお出かけの幹事もしちゃう。ママ友からの健康相談や病気相談にも乗りますよ。だって頼ってもらえるうちが花だもん(笑)。自分だけの努力でなんとかなるのってペーパー試験くらい。だから、サポーターは意識して増やすべきって思います」。

病気に苦しむ人に接しているからこその決意――
体が動くうちはチャレンジを続けていかないと!

現在は、都内のクリニックで常勤医として勤務している名倉先生。先輩からの引き合いで入職を決めた同院で、外来はもちろん、往診、リハビリテーションも学び始めているとか。「私は糖尿病外来を発展させたい。だから、数は多くないにせよ往診もとても勉強になります。往診は生活が見えますからね。インスリン投与をしている患者さんが家ではどう過ごしているのか。理論だけでなく、生活を意識した診療をしていくことを学んでいます」。

さらには、思いもよらなかったテーマにも取り組むことに。「糖尿病療養指導士を取りたいというスタッフの指導にも取り組むことになりました。スタッフのほうから、糖尿病専門医である私のもとで2年間研修をして資格を取りたいと申し出てくれて。教育なんて全く考えたこともなかったですが、せっかくの機会ですし楽しく勉強会を催しています」。

往診もリハもスタッフ指導も全て未知へのチャレンジ。臆せず挑戦できるのはなぜかと尋ねてみると「人生って自分がこうしたいって思っても思い通りにならないことって多いじゃないですか。だったら、目の前にチャレンジのチャンスがあったら乗っかるべきだと思うんです。たとえそれが自分の想定していなかったものであっても」との答え。そう思わしめるのは普段患者さんと接しているからこそだという。「医師であるから、普段病気で動きたくても動けない人、働きたくても働けない人をたくさん見ている。みんな悔しいんですよ。その無念の思いが痛いほどわかるから、動ける人は動けるうちに動いていなきゃって思うんです。そうしないと、失礼なんじゃないかな。だから私は巡り合ったチャンス、偶然には乗っかるようにしているのかもしれません」。

「本当の苦労なら覚えているから、私、苦労してないのかなあ?」取材終わりにそうおどけた名倉先生。「きっと苦労の真っ只中にいた当時は必死だったと思うんです。でも、時がたてば忘れちゃうし、今は今で別の苦労に必死だから思い出す暇もないのかな」と自己分析するが、そのわけは、たゆまぬチャレンジで苦労を成長の糧へと昇華させてきたからこそなのかもしれない。太陽のような明るさを引っ提げて、名倉先生のチャレンジとポジティブキャリアは続いていく。

 

医師の常勤求人検索はこちら『Dr.転職なび』
  アルバイト検索はこちら
『Dr.アルなび』
エムステージ産業医サポート【医師向け】

ヘルスケアの今と未来がわかるWEBマガジン➡『HEALTHCARE Biz』


関連記事
壁にぶつかったら動いてみる。
ママドクターの会を立ち上げ、輝く 3児の母、糖尿病専門医・大西由希子先生の挑戦。

メディアで活躍する 現役内科医・おおたわ史絵の医者人生~前編~
あの時の挫折があるから、 今の自分がある。