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2016年07月19日

2児の母として行き詰ったときこそ
働き方を見直すチャンス。
地域医療に力を注ぐ内科医・北原恵子先生の選択。

約20年間、父の医院を手伝いながら地域医療に携わってきた内科医・北原恵子先生。「患者さんが求めることには、何としても応えたい」という思いで、話をじっくりと聞き、患者さんに寄り添う医療に取り組んできました。その傍ら2人のお子さんをもうけ、育児と仕事の両立で脇目も振らずに走り続けた北原先生。父の引退を機に医院は2015年に閉院、現在は地元の済生会平塚病院に勤務しています。さまざまな人生の分岐点でどう選択し、何を大切にしてきたのでしょうか。壁にぶつかったら発想を変えてみる。50代ベテラン女医のしなやかな歩みを取材しました。

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北原恵子(きたはらけいこ)先生

 

一般内科医。1959年神奈川県生まれ。東京女子医科大学医学部卒業後、同大学病院神経内科に勤務。その後、民間病院を経て、1996年に神奈川県平塚市にある実家の北原医院で約20年間地域医療に携わる。2015年6月に北原医院を閉院し、現在は済生会平塚病院にて週4日常勤勤務。日本内科学会認定医、日本神経学会認定専門医、日本医師会認定産業医。

研究生時代は給料ゼロ。
バイトを掛け持ちしながらの育児との両立。

2014年のデータによると女性医師の活動率は出産、子育て時期が集中する35歳で76%まで落ちる。育児でキャリアをあきらめざるを得ない女医の悩みに対し北原先生は「私も苦労してきましたが、医師免許を持っていればある程度自由な働き方を選択できる。そう考えれば医者はいい仕事だと思います。当時はそんなことを考える余裕はなかったけど、振り返るとその都度自分に合った働き方を選んできました。育児や仕事など、何に重きを置くのかを取捨選択したことでブランクなく医師を続けることができた気がします

 北原先生が第1子を出産したのは大学の研究生時代。研究の合間に外来も担当していたが学生の立場だと給料はもらえない。認可保育所のことで市役所に相談に行くと「1円もならない仕事をしてるんなら、家で子供を見ていたらどうですか」と冷たくあしらわれたという。やむなく認可外保育所に息子さんを預け、週1~2回アルバイトをしながら研究を続け学位と専門医を取得する。

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2人目妊娠のときは限界を感じ
平塚にある実家の医院へ

その後は民間病院で週4日勤務、当直なし、大学病院で週1日勤務という働き方。週末は家事と育児で休む間もなく疲れ切って寝込んでしまうこともあったという。「私はそれほど体力があるほうではないので、心身ともにギリギリの状態でした。2人目を妊娠したときはこの働き方だと無理だと考えて頭に浮かんだのが平塚にある父の医院。当時、父は平塚の医師会長を務めていたので、午後はほとんど診察しておらず、そのサポートで私が入ることになりました。実家なので融通がきくし、2人の子供がいても何とかなるかな……と」

 父親が院長を務める北原医院での仕事は、これまでの診療とまるで違った。ホームドクターの役割を果たすプライマリーケアは、内科、小児科、耳鼻科、皮膚科など診察の範囲は多岐に渡る。「高い専門性はそれほどいらないのですが、広く浅く、まんべんなく診る技術が求められます。最初の頃は診断がつかなくて迷うことがあり、ベテラン看護師さんが助け舟を出してくれることもありました。とにかくお子さんからお年寄りまで、いろいろな患者さんがいらっしゃいます。プライマリーどころか“先生、どうやったら痩せられますか”と相談に来る学生さんや、お一人で旦那さんやお孫さんまで5人分の健康相談する奥様など、井戸端会議のようなざっくばらんとした雰囲気が楽しかったですね」

 民間病院に勤務していたころは売上に厳しい面もあり、限られた時間でできるだけ多くの患者さんを診ることが求められていた。「患者さんとしっかり向き合いたい」という思いが強い北原先生にとって、患者さんとの距離が近い地域医療は理想的な場所でもあった。

 「大切にしていることは患者さんが何を求めているかを探り、把握すること。話をじっくり聞いて欲しい人、とりあえず手を握ってほしいおばあちゃんなど、求めるものはさまざまです。検査しても悪いところがないのに不調を訴える方には、加齢のせいと片付けずに、医療的見地を含めて話をし、診察が終わって病院を出るときには10のうち1でも2でも満足して帰っていただきたい。父からは話が長いと怒られることもありましたけど、患者さんと向き合う努力だけは惜しみたくないんです」

 時間をかけてじっくりと診る北原先生の診察は、長いときだと待ち時間が3時間に及ぶこともあった。だからといって患者さんが減ることはなく、待合室で編み物や読書をしながら順番を待つという、地域コミュニティのような場所になっていた。

 2人のお子さんの育児との両立においても北原医院で勤務することで何とかやりくりできるようになっていた。「上の子と下の子は10歳離れているのでお兄ちゃんが弟を保育園に迎えに行ってくれたり、母にあずかってもらったりとサポートが増えたので少しラクになりました。ときには、子供と一緒にいられないことに罪悪感を覚えたこともありましたが、たとえ24時間そばにいたとしても100%子育てに力を注げるわけではない。仕事と育児、2つの世界をもっていたほうがリフレッシュできてプラスの効果が高いと感じてました」

エージェントからの思いがけない提案で
新たな道が開けた。

それから約20年、北原医院で外来を続けていた北原先生に大きな転機が訪れる。父親の現役引退を機に北原医院を閉じる決断をする。「父は続けて欲しかったようですが、私は自分が病院経営に向いていると思えず、患者さんには申し訳ないと思いながら2015年6月に北原医院の歴史を終わらせることにしました。もちろん未練はありましたよ。でも、自分のキャパシティ、能力を冷静に見つめるとこの選択がベストだと納得できたんです」

 北原先生にとってこの20年の歴史は、単に地域に医療を提供してきただけではなく、患者さんと2世代、3世代に渡り家族ぐるみの付き合い、絆が生まれていた。「先生、やめないで欲しいと涙を流してくださる患者さんもいらっしゃいましたね。その姿を見て医院を閉じても地域に貢献したいという気持ちがいっそう強くなりました」

 そのとき北原先生は56歳。これからの働き方を考えたとき2つのポイントに重きを置いた。

・北原医院の患者さんも診られるように平塚市内の病院に勤務すること。

・子育てが落ち着き自分の時間を持つため週2~3日の非常勤で外来のみの勤務内容。

 「いつくつかの紹介会社さんにお願いしたんですが、ある担当の方の提案がきっかけになりました。彼がすすめてくれた済生会平塚病院は外来だけでなく病棟を持つ常勤勤務でした。思ってもいなかった選択肢でしたが結果的にそれがよかったんです。まず家から近いので体力的にラク。地元の患者さんを診ることができる。常勤は社会保障があるうえ非常勤に比べて休みが調整しやすい。また、非常勤を掛け持ちするより拠点がひとつあったほうが学会に出たときにも安心感がある。

 ただ、病棟を持つことは約20年間現場から離れていたので不安が多少ありました。でも、いざ飛び込んでみたら周りのドクターや看護師さんが助けてくれて、新しい刺激を受けながらそれなりに充実した日々を送れています。そうそう、苦手だった電子カルテも習得しつつありますよ(笑)。自分ひとりだけでは選択できなかった働き方を見つけていただいて感謝しています。クライアントの思い、環境、生き方を含めて寄り添うことができるかどうかは、どんな仕事にも通じること。私も患者さんと接するときに大切にしているところです」

 現在、済生会平塚病院に月~木曜の週4日勤務のほか、地域の小学校の校医、医師会の夜間診療所の当番、友人の会社の産業医などを務めている北原先生。「土日を含めた3連休がとりやすくなったので、旅行に行くようになりました。これまで仕事や育児、家事で自分の時間がまったくなかったので、やりたかったこと、好きなことに時間を費やしていきたいです。この間は初めて海外旅行をしました! 場所はポルトガル。自分とまったく違う価値観に触れて新鮮でおもしろかった。これからも1年に1回くらいは海外旅行をしたいですね」

 趣味はジャズやロックを聴くこと。今では仕事終わりにライブに行く機会が増え「自分のための人生」を謳歌し生き生きと日々を過ごしている北原先生。「医師として、母として紆余曲折の人生でしたが、年齢を重ねるごとに人との出会い、つながりの大切さを感じます。患者さんを含めて、どれだけ多くの方々に支えられてきたか。感謝の気持ちを忘れずに、これからも医師として患者さんの力になっていきたいですね」

 

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