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2016年08月12日

想定外の転機も、新たなチャレンジに高めて――
五十嵐有紀子先生がもがきながら築き上げるベストキャリアへの道

リハビリテーション専門医として回復期リハ病棟の立ち上げや、FIMやEBMに基づくリハ医療の導入を先導。恵まれた環境でのキャリアの道半ばで、夫の出身地・静岡に3人のお子さんとともに移り住んだのが聖稜リハビリテーション病院の五十嵐有紀子先生です。「私のワークライフは、崇高な努力でなく、沈まないために“もがく努力”によるもの。だから毎日が土俵際なんです」。そう自己評価しながらも、新天地でも装具外来、ボトックス外来を新設するなど挑戦を続けるエネルギーの塊。転機をも“夫のキャリアの犠牲”でなく、新たなチャレンジへのチャンスに高めてきた力強い歩みを伺いました。

五十嵐有紀子先生
1993年日本大学医学部を卒業後、同大整形外科学教室入局。大学病院並びに関連病院に勤務後、大学院に進学。慶應義塾大学リハビリ教室の特別研究員も務める。2003年に医療法人社団永生会・永生病院に入職。回復期リハ病棟の立ち上げ、FIM導入に携わる。その間、3人の子の出産も経験。泌尿器科医の夫の家業継承に伴い、静岡県藤枝市に転居。2013年6月より同市の聖稜リハビリテーション病院入職。日本整形外科学会専門医、日本リハビリテーション医学会専門医。

気が付けば決定!?だった静岡行き

2012年10月。静岡行きは、パレスホテルで義理の両親と食事中に決まった。「藤枝市の義父の医院を夫が継承するという話は、以前にも出ていました。でも、老親を置いて知人もいない町への転居を“はい、わかりました”とすぐには決断できないですよね。その時の私も “まだ東京にいたい”“しなければいけない仕事がある”とうやむやにしていたんです。そのためか、2回目の打診時には静岡行きに向けてのスケジュールが具体的に決まっていました(笑)」。継承前の近隣病院での夫の勤務、医局退局へ向けた準備は整いつつあった。「主人も以前に私が渋ったから、言い出せずにいたのでしょう。相手の事情もあるし、話がほぼ固まっていたから、行くしかないのかなというのが正直なところです」。

「東京に残りたい」そう思っていたのは、住みやすさや友人の存在だけではない。「天職だ」と心の底から感じられる手ごたえのある仕事をして、産休・育休を支えてくれた同僚たちや患者さんへの恩返しがもっとしたかったからだ。

自作マンガを使ったパンフレットも作成
FIM導入に奔走した永生病院時代

当時は八王子市の永生病院で勤務。同病院が回復期リハ病棟を立ち上げる際に引き合いがあり、2003年に入職。入職後は、当時まだ一般的でなかったFIM評価をいち早く導入しようと奔走していた。昨今の診療報酬改定でも最重視されるようになったFIMだが、当時はまだまだマイナー。それでも、五十嵐先生はFIMの導入にこだわった。「FIMは、日常生活で行っている動作を7段階で評価するため変化を確認しやすい。特別研究員を務めていた慶應義塾大学リハビリ教室でFIMを学び、その必要性を実感していました。とはいえ、FIMの概念は今までにないもの。生活の様子を観察し、点数化し記録していくため、トレーニングが必要です。当初、看護部やPT、OTからの懸念もありましたが、同門の先輩で整形外科部長の後押しもあり全員一丸となって取り組んでくれました」。

というものの、当時は確立したFIM講習プログラムはまだなく手探り状態。五十嵐先生は、美術部出身の本領を発揮して自らイラストや漫画を描いたパンフレットを作成。業務後にスタッフへの講習会を行い、夜が更けてもサマリー作りに没頭した。

怒涛の導入期を経て運用期へ。仕事も大きく変化する中、結婚・妊娠・出産とライフイベントも大きく動いた。「育休期間中に病棟運営に支障をきたすこともありました。それは業務が私に張り付いていてシステム化・フロー化がされていなかったということ。人に依存するのでなく、安定的な運用を実現させるにはどうすればいいか。新たな課題に直面しては、改善を図り評価することを繰り返しました。最終的には現都丸部長や慶應義塾大学名誉教授の千野直一先生が名誉院長としていらっしゃるなど、非常に優秀な先生方が入職され、リハビリテーションの医療レベルを高められたことも大きかったですね。民間病院での他院に先駆けてのFIM導入やEBMに基づくリハ医療を行うことが、その後の発展につながったのかなと思っています」。小さな子を抱えながらの奔走の日々。その苦労は想像以上のものであるはずだが、「子どもを預けて仕事してるくらいなんだから、そこでやってる仕事がしょぼいのじゃいけない。引きはがされて寂しい思いをさせている子どもに対して、いい仕事をすることは義務。『これだけのことしてるんだからちょっと待ってろ』くらいの意気込みでしたね」と胸をすく豪快な言葉。

FIM導入への奔走、出産・育児と勤務との両立――とにかくがむしゃらだった永生病院での10年間。静岡行きが決まり最終勤務を迎えた日、五十嵐先生は忘れられない言葉と出会った。「ある療法士から『先生がはじめて講習会をしてくださった際のイラストを大切に持っていますよ』と声をかけられました。『今、確立された永生のFIM講習会の教材とは別なんだけど、僕はあれこそが初回だと思っています』って。いい種を蒔けたのかなと嬉しく思いました」。現在、永生病院は他院に対しFIM講習会を実施するまでの存在に。五十嵐先生が蒔いた種は、確実に枝葉を伸ばし続けている。

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静岡行きを決断させたのは、大好きなサルからの学び!?

そんな充実したキャリアを手放しての静岡行き。外堀を固められていたからとはいえ、潔く決断できたのはなぜか――。五十嵐先生に尋ねると、思いもよらない答えが返ってきた。「別居婚も考えられなくもないけど、家庭内にゴミ出し要員は多いほうがいいじゃないですか(笑)。それに仮に私と子ども3人との生活になったとしたら、追い詰められた環境になる。そうしたら、獣として本能的に備えている自分の中の暴力性が目覚めるのが怖かったんだもん」。

暴力性?とあっけに取られていると、「出産をきっかけに自分は獣なのだということを思い知らされたのです。自分の体の一部をわが子に与えるという原始的な経験はとにかく衝撃で! 出産、育児って原始的で本能的なものなのだって気付いたら、我々と共通の祖先を持つサルはどうしてるんだって気になっちゃって、気づいたら育児書も読まずにサル関係の本ばかり夢中で読んでました(笑)。島泰三先生の『サルの社会とヒトの社会 子殺しを防ぐ社会構造』など読み漁ったのですが、サルもチンパンジーも同族の子どもを襲って殺し、チンパンジーに至っては食べてしまう。ということは、チンパンジーとDNAが98%以上同じである人間にもその暴力性は秘められているのですよ。だからそれを発動させないことが大切。そんなわけで夫に付いていかなきゃならんと思ったのです」と熱弁。ユニークながらも、説得力ある言葉で、そして何より水を得た魚のように楽しそうに語る五十嵐先生。「対象に近接しすぎると問題点が見えなくなる。子育てはただでさえ母子密着でミクロになる危険性が大きい。マクロの視点に立つためにサルレベルで思考してみると本質が見えてくるんです」。

ゴミ出し要員確保と暴力性を発動させないリスクヘッジのために決めた(?)静岡行き。腹が決まれば行動は素早く、職場探しに突入した。「実は最初に静岡行きの話が出た際にも、情報収集のためいくつかエージェントに当たったことがあるんです。子どもも3人いるし、なじみのない土地だし、非常勤でもいいかなくらいのスタンスでいた私に『整形からリハ専門医となったキャリアを生かさないなんてもったいないですよ。これからも自分の目指す臨床を追求しましょう。そのためには、常勤を目指したほうがいい』と言ってくれたエージェントがエムステージでした。そこで実際の仕事探しも同社にお願いしたのです。担当の木村さんも誠実で信頼のおける方。地域の医療事情やキャリアアドバイスの的確さもちろん、雑談を通して、彼が仕事同様に家族もお子さんも同じように大切に向き合っている真摯な姿を感じました。そういう価値観の人になら自分のキャリアを託して大丈夫かなと思いました」。

五十嵐先生がこだわった条件は4点。

① リハビリ外来、病棟の回復期リハに関わる業務全般
② 週4日勤務
③ 当直なし
④ 自分が学んできたボツリヌス療法を実施できること

聖稜リハビリテーション病院は、見学1件目の病院だった。「院内見学をし、院長先生や理学療法士と話して、私の目指すリハビリテーションができる病院だと確信しました。経験値からくる直観は正しいんですよ。それに学童のお迎え時間にも間に合う。すぐに入職を決めました」。価値観って案外きれいで崇高なものだけじゃないのよと指摘する五十嵐先生。「ごちゃごちゃ御託を並べるより、禁忌がなければOKと決断することが大切。それは結婚や育児に関してもそうなんじゃないのかな」とすがすがしい。

巡り合った環境でベストパフォーマンスを!
新天地でもチャレンジマインドは健在

2013年6月に入職。永生病院でFIM導入を先導したとき同様、聖稜リハビリテーション病院でもチャレンジマインドは健在だ。「まずは装具外来、続いてボトックス外来を立ち上げました。育休中に町中で装具がひどい状態になっている片麻痺の患者さんを見かける機会も多く、“うわ、膝が逆向きに曲がっているよ”とか気が気でなくなることもよくあったんです。モノって壊れるしガタもくる。でも、患者さんは壊れたまま使い続けて壊れた装具に適応してしまう。それだともう装具の意味はなさないのに…。だから、装具外来を立ち上げ、同じ思いを共有するPTと協力して装具がどういう状態だったら治すべきかを解説したパンフレットを作りました。訪問リハの患者さんで来院が難しい方などは、訪問スタッフがスマホで装具の様子を動画で撮影してきたものを見てアドバイスをしたり…そんなコラボレーションも楽しいんです」。

生き生きと楽しそうに現在の仕事ぶりをお話しする五十嵐先生。「リハビリテーション医は、特に年配の医師からまだまだ何をしているか理解されづらい点もあります。理学療法士と区別がつかないと思われることもある始末。地域の医療をうまく回すためにも、より密な情報提供をしていかなければならないと感じています」と今後のビジョンも明快に語る姿からは、夫の家業継承で志半ばに静岡に来たやりきれなさは毛頭もない。「環境は変化するものだし、したくてもできない選択もたくさんある。だとしたら、目の前に与えられた環境でベストパフォーマンスを目指すしかないんです。そのときに出会った環境にもがいてもがいて適応していく。それを積み重ねるしかない。ヒトはアフリカを出て極地での生活にも適応したのですから」。

変化する環境の中で、その都度最適解を模索して“もがく”努力を重ねてきたという五十嵐先生。でも、もがいたからこそ簡単には折れない骨太なキャリアが築かれてきた。動物は環境に適応していくしかない。そう語る先生が、環境に変化を起こす未来もきっとそう遠くはないはずだ――

五十嵐先生によるイラスト「THE自転車操業女医之図」。もちろん、電動アシストはナシとのこと! イラスト同様、とても豪快でチャーミングな先生です。

 

聖稜リハビリテーション病院
1994年に静岡県藤枝市にて開院。
療養病床125床(回復期リハビリテーション病棟125床)
脳卒中、骨折等の急性期治療を終えられた方への回復期のリハビリテーションを中心とし、退院後も通院によるリハビリテーションや訪問リハビリテーションによる医療を提供。日本リハビリテーション医学会研修施設にも指定されている(H28.8月現在)

 

◆採用情報◆
聖稜リハビリテーション病院では現在、整形外科の非常勤医師を募集中です。募集概要はこちらの求人票よりご覧ください。AMのみ、PMのみの勤務もご相談可能です。
ご不明点やご質問がありましたら、求人票の問い合わせボタンより、何なりとお問い合わせください。

 


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