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2016年09月02日

育児の中には成長のヒントがあふれている。
日中を医療でつなぐ
東大病院糖尿病専門医師・飯塚陽子先生。

生活習慣をマネジメントする糖尿病医として、子育ての経験は大きなヒントになったという東大病院の飯塚陽子先生。「育児は努力しても報われない」。子育ての壁にぶつかったときに工夫したことが、患者さん、チーム医療の現場で生かされていきました。日本人と中国人のハーフである彼女だからこそ実現した日中を医療でつなぐ活動、医療の未来についての思い……。まぶしい太陽のように周囲を照らす姿を取材しました。

「ママは私をほめてくれない」
娘の言葉から気づかされたこと。

「ダメな医者はいても、ダメな患者さんはいないんですよ」ときっぱりと話す飯塚陽子先生。「子育てと同じです。99.99%は患者さんをほめてほめて、認めてあげること」。それが、患者さんの生活習慣と密に向き合う糖尿病医としての彼女の姿勢だ。何度来院しても変わらない患者さんに根気よくアプローチしていると、意識が変わる瞬間があるという。「そのボタンをいかに早く押せるか。ともに寄り添い、伴走者となって“やる気のボタン”を探すことが私たちの仕事です。患者さんが一向に変わらないのは、努力に対してのほめの言葉が足らないのかもしれません」。

 そう気づいたのは娘さんから「ママはほめてくれない」と言われたことだった。子どものミスを単に叱るだけだと自分のストレスの発散にはなるけれど、子どもの心には響かない。「まずは子どもの気持ちをしっかり認めたうえで改善点を伝えたほうが効果的だと学んだんです」。育児は育自。ひとりの人間として、医師として、子育てを通じて見えたことがたくさんあった。

 飯塚先生が妊娠したのは大学院時代。「いざ子どもを作ろうと思ってもなかなか妊娠せず、病院でタイミング療法を何度かやりましたが、心身ともに疲れてしまったんです。主人と話して不妊治療は一旦やめようと決めたときに妊娠が発覚。肩の力が抜けてリラックスしたのがよかったんでしょうね」。

 当時、周りには出産した女性医師が少なく、産休制度があることすら知らなかった飯塚先生は産後7週目で職場に復帰する。お子さんは9月生まれだったので保育園に入る4月までは、両親と義理の両親に面倒を見てもらった。「娘が保育園に入ってからは主人と協力しながら仕事とやりくりしていきました。0歳から延長保育でしたが、娘は楽しそうだったので預けることに後ろめたい気持ちはなかったです。おかげさまで風邪をほとんどひかない元気な子に育ちました」

 そして、子どもの成長とともに実感するのは「育児は努力しても報われるとは限らない」ということ。「やっぱり子育ては難しいですよ。でも自分なりに実践してきた子どものモチベーションの引き出し方、持続させ方は、糖尿病の患者さんにも反映できたんですよね。職場の人間関係、仕事のノウハウにおいても子育ての経験はすごく生かされていると思います」

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糖尿病大国となった中国。
「もうひとつの故郷を救いたい」

 育児で培った一人ひとりの能力を引き出すエンパワメント力。飯塚先生は糖尿病治療において、医師、看護師、栄養士、薬剤師といったコメディカルとの連携に重きを置いていた。

専門家からの多角的なアプローチを効果的に行う飯塚先生の治療モデルは、東大病院糖尿病・代謝内科の中で高い実績をあげ、2010年には日本式糖尿病治療の講演を行うため訪中する。これが飯塚先生の大きな転機となる。中国で日本式チーム医療がいかに優れているかを実感し「これを中国に持っていこう」と新たな一歩を踏み出した。

 中国人の父と日本人の母を持つ飯塚先生にとって両国の架け橋になることは使命でもあった。中国で生まれ育った彼女は16歳のときに「子どもの教育は日本で」という、教師だった母の意志で弟と家族4人で日本に移り住む。「母は中国残留孤児だったので日本語はほとんど話せませんでした。だから私が日本語をマスターしないと生活ができない(笑)。来日して2ケ月で語学テキストを必死で丸暗記して日常会話はこなせるようになりました」。

16歳で中国の高校を飛び級で卒業していた彼女は、医師を目指し東京大学に現役合格。「患者さんと密に関われて、全身を診る仕事をしたい」という思いで進んだ糖尿病専門医の道が、いつしか日本と中国をつなぐ架け橋になる。それはまるで運命づけられているようだった。

経済成長に伴い糖尿病大国となった中国は2013年の調査によると成人の糖尿病有病率が11.6%、1億1,390万人と推定される。「日本式治療法は生活習慣改善が軸ですが、中国は医師からのトップダウンによる投薬療法が主体でした。しかも、薬の量は欧米式で日本の2~4倍。低血糖をおこし多くの患者さんは“薬を飲むと調子が悪い”と訴えていました。欧米人と比べてインスリンの分泌能が低いアジア人には適さない治療法でした」

 日本のように患者主体のホスピタリーにあふれた医療を中国で実現させるために、経済産業省による国際医療交流調査研究事業に応募し選抜される。飯塚先生は医師、看護師、栄養士、薬剤師のメンバーを編成し、上海で5回の外来を行う。

「治療効果は私たちが思っていた以上でした。“成果の見える化”を目指し、活動量計をつけての運動、毎日の食事内容の記入等を行ってもらいました」。日ごろの外来で生活習慣のアドバイスを受けてこなかった彼らはまじめに実践し、1ケ月後の数値は驚くほど改善されていた。

「患者さんの中には“話を親身になって聞いてくれてうれしい”と涙を流す方もいらっしゃいました。みなさんの学ぼうとする姿勢はすばらしく、まるでカラカラのスポンジに水がいっきに吸収していくようでした。強く感じたのは言葉ではなく心が大事だということ。通訳を介さなくても心を込めて患者さんに接すれば相手に伝わり、120%で応えてくれる。その達成感は成熟した日本の医療現場では経験しないことでしたので、医療チームみんながやりがいを感じ、興奮状態にありました。患者さんのがんばりに感動して涙するメンバーもいましたね。アドレナリンが出っ放しで、仕事が終わってもよく眠れなかった(笑)」

 この活動は翌年、杭州でも行われたが尖閣諸島の問題による日中関係の悪化で中断。「中国の患者さんとの交流を通じて、反日感情を覚えることはありませんでした。隣国同士、協力しあえることがたくさんあります。今後日本は、医療の国際化がますます求められます。

アウトバンドでは日本式医療の輸出、インバウンドでは外国の患者・医療従事者の受入などが不可欠になってきます。さらに医療を受ける人口の減少により、日本の医師たちはトレーニング症例が減ってしまう。その対策として、日本の10倍の人口を誇る中国で症例を積むこともひとつの可能性だと思っています」

前を見続け、立ち止まることなく進み続ける飯塚先生。「娘が小さいころに “人生はチャレンジ。自分への挑戦だ”と言った言葉が私のなかに常にあるんです。実際に挑戦してみると、新たな自分に出会える。それが楽しくて、うれしくてやめられない」。愛娘、患者さん、チーム医療の仲間たち……。どんな立場の人に対してもリスペクトする彼女の姿勢が、すべての出会いをエネルギーに換え、計り知れない原動力となっていた。

飯塚陽子(いいづかようこ)先生

 

東京大学医学部附属病院糖尿病・代謝内科特任講師、医学博士。1969年中国生まれ。日本人の母と中国人の父を持つ。中国の高校を飛び級で卒業、16歳のときに来日し。1994年、東京大学医学部を卒業後、3年目に虎の門病院勤務。その後、東京大学大学院医学系研究科在籍中に長女を出産し、産後7週目で現場に復帰する。2011年より上海と杭州で日本式糖尿病診療サービス調査研究事業を実施する。2014年に第10回中曽根康弘賞奨励賞受賞。東大病院国際診療委員会委員、両立支援推進委員会委員、経済産業省国際医療交流調査研究事業委員、日中医学協会日中医療交流協議会委員。

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