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2016年12月12日

子供のベストな産みどきっていつ?
悩める女医たちに力を与える
千葉大学病院・三澤園子先生の情熱

研修・専門医取得と妊娠適齢期が重なり、子供の産みどきに悩む女性医師が多いといわれています。千葉大学病院・神経内科の三澤園子先生も同じでした。「今、産休に入ったら戻れるポジションがない」と思いタイミングを見ながら第1子を出産。第2子の際は新薬開発の山場とぶつかり一歩が踏み出せない……。そんな産みどきの重圧を女性医師たちだけに負わせるのでなく、働き方改革に乗り出す姿を取材しました。

研究途中で休むことができず
2人目のタイミングに悩んだ日々

わたし、いつ妊娠したらいいんだろう――。

後期研修を終え大学院在学中に結婚した三澤園子先生は、卒業後、子どもを産むタイミングが見えずひとり悩んでいた。「当時、教室に空きのポストがなく、そのうえ臨床医、研究者として未熟な状態で、妊娠や出産で長期離脱したら、たぶん永遠にポストにはつけない。そう思い将来に不安を感じていました」

約3年が経った頃、助教になれることが決まったときに妊娠が発覚。「ベストなタイミングで妊娠ができてうれしかったですね。これで安心して産休がとれる。復帰できる場所があるとホッとしました」。勤務していた千葉大学病院の神経内科学教室で女性医師の妊娠・出産は久しぶりのこと。「私より周囲が妊婦をどう扱っていいのか分からなくて戸惑っていた様子でしたが(笑)。立場的に仕事量がまだ少なかったので、それほど負担なく出産まで過ごすことができました」。

 

34歳で出産したのち、今度は第2子を産むタイミングがつかめなかった。「難病であるクロウ・深瀬症候群の新規治療開発に従事しており、代わりを務めるメンバーも皆無で、妊娠・出産で休むと言うタイミングがつかめなかったんですよね。でも、そうこうしているうちに年齢が上がってきて、これはまずいぞと思った頃には妊娠しづらくなっていて。時期を待つなんてもう言ってられない! そう思って不妊治療に通うことにしました

通院をはじめると不妊で悩む人の多さに驚き、同時に仕事と治療の両立の難しさを切実に感じた。「週に1~2回は出張があり忙しい時期だったので苦労しました。治療のことはオープンにできなかったので、一人で対処しなくてはいけない辛さもあったかな」

1年ほど通院し41歳で第2子を出産。第1子のときより、仕事量も多く、医局での責任も重くなっており、仕事を抱えたまま産休入り。産休を2週繰り上げ、6週間で現場に復帰した。

産休って“休”と言う字がつくけど、全く休みじゃないですよね。命をかけて出産して、24時間体制の新生児育児に突入していく。精神的にも体力的にもかなり追い詰められます。その状況で空いた時間って、つまり赤ちゃんが眠っている時間を見つけて、横になりたい気持ちを我慢しながら仕事をしました。産休に入る前に忙しくて手が回らなかった論文と依頼原稿を7本、一気に書いたのですが、とてもとてもつらかった。でも当然ですが、職場の方々にはそれは想像すらしてもらえない。だから、後輩の女医さん達には、なるべく仕事を抱えずに休暇に入ってもらえるよう、サポートを心がけています。」

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仲間、先輩とつながることの大事さを知り
女性医師が集う『立葵の会』を立ち上げる

「同世代の女性医師たちを見ると、出産後に自分の希望するような働き方ができない方はまだまだ少なくないんです。そのサポートのひとつとして2011年に『立葵の会』という女性医師のネットワークの場を院内に立ち上げました。参加者は既婚者だけではないので、出産、育児だけではなくいろいろなテーマで情報交換できるように食事会や外部の識者の方々を呼んで講演会を開催しています」

経験者の適切なロールモデルを知るだけで、気持ちがすっと楽になる。彼女自身の経験が『立葵の会』を作ろうと思ったきっかけでもあった。

「仕事と育児の両立で悩んでいたときにママドクターの会で大西由希子先生のお話しを伺って元気をもらったんです。大西先生は第一線で活躍しながら3人のお子さんの育児をされている方。夜に演者として講演にでかける合間に家に戻り、下のお子さんをお風呂に入れるなど、私が思いもつかないような柔軟な時間の使い方をされていらっしゃるんです。

私も講演に頻繁に出かけるのですが、周りに同じような働き方の女性医師がおらず、自分だけが頑張っている気持ちで、いっぱいいっぱいになっていました。そのお話を聞いて、私だけじゃないんだ、私よりしなやかに賢く頑張っていらっしゃる方がいるんだって、目からウロコが落ちました。横のつながりを持つことでたくさんのヒントがもらえる。だからこそいろいろなロールモデルと出会える『立葵の会』の必要性を強く感じました」

育児中ママも独身医師も
不公平感なく働ける職場を

 

↑今年の春にオープンした三澤先生の長男も通う院内併設の学童保育園。2017年には敷地内に新家屋が誕生する。

千葉大学病院神経内科学教室の初のママドクターとして先頭を走る三澤先生は、病院の職場環境向上委員として、教室では医局長としての立場から働き方の改善に取り組んでいる。

「うちの病院には、来春に130人規模まで拡張予定の保育園と学童保育があります。育児支援の規模は大学病院の中では最大規模だと自負しています。学童保育では習い事もできたり、長期休暇中のイベントもあったり。おかげで、働くお母さんが抱える『子供にしてあげたいけどしてあげられない罪悪感』が軽減されて、気持ちが随分楽になりました。

病院長が非常にご理解のある方で、この数年でハード面の支援は一気に進みました。一方で、ソフト面には改善の余地がまだまだあると思います。でも、今年の春に育児支援を目的としたフレキシブルな医員枠ができるなど、少しずつですが確実に前に進んでいます」

育児中であることを意識しないで働ける勤務環境づくりがこれからの鍵だという。「時間の制限なく遅くまで病院にいることが当たり前の意識が、まだまだ根強く残っています。それでは、育児中の医師は肩身の狭い思いで働かざるを得ないし、育児を契機に周囲と同じように働けないからと自分の成長をあきらめざるを得ない。でも、遅くまで残っていることが、よい医師の条件なのか、成長に必要な要件なのか、発想を根本的に変える時期に来ていると思います。

神経内科の教室の中で、ワーキンググループを作り、働き方改革を進めようとしています。今取り組んでいるのは、定時で帰宅できる仕組みづくり。育児中であっても、帰宅できる時間が決まっていれば、それがたまに20時や21時であっても、やりくりして働けるんです。育児中でない医師だって、決まった時間に帰れれば、実験だって、趣味だって、もっと有効に時間を使えるはずなんです。合コンに行ってくれてもいいですよ(笑)。背景にあるものが違っても、みなが同じように働けるようにならないと。不公平感を覚えないことも大事です」。

女性医師の割合が医師全体の4割近くになりつつある昨今、出産、育児でフル稼働ができないメンバーが出ることは当たり前になってくる。だからこそ、労働環境の改善が急がれることを三澤先生は強く感じている。

これからの女性医師たちに
伝えたいこと

 いっぽうで多くの女性医師たちはかつての三澤先生と同じように“産みどき”で悩んでいる。「これは本当に難しい。女性としては早い時期に産むほうがいいんですけど、医師としてのスキルを考えると研修に没頭する時期は大事だと思うし、専門医取得前に出産し非常に苦労している人もたくさん見てきました。だから、研修を一通り終えて専門医を取得してから出産するのが、今は理想のように思えます。

でも、いつまでも古い考えに捉われていても発展はないんですよね。働き方改革を進める上でよく出てくるのが、自分たちはこんな苦労をしたから、させられたから、若い人もするべきという意見です。ですが、意味のある苦労はしてもらいたいけど、意味のない苦労は後輩にさせないよう、将来を見据えて道を整備するのが先輩の責任です。

近い将来、AIなどが代替してくれる分野が確立して、医師の役割や身につけるべきスキルは今とは変わってくるかもしれない。24時間365日、患者さんのそばに貼りつくことの重要性が薄れるかもしれない。そういった未来が来る可能性も視野に入れて、これからの先生たちが新しい働き方を作って行くのを、私はしっかりサポートしていきたいです。

ただし、どんな状況にあっても医師の責務を見失わないでほしい。医師というのはとても責任のある仕事で患者さんの人生や命に大きな影響を与えます。育児中の女性医師たちは精いっぱいで視野がときに狭くなりがちですが、医師としての矜持と責任感を常に持って仕事に取り組んでほしい。私もまだ発展途中で分からないことだらけですが、一緒に成長していきたいですね」。

後進の育成に力を注ぎながらも、医師として向かう先を明確に定めている。「大きな目標は2つ。ひとつは患者さんの手元に届く研究をすること。今は、クロウ・深瀬症候群の治療薬の承認をめざして頑張っています。お薬を世に出す重要性、責任感は想像以上ですが、難病で苦しんでいる患者さんの元に届けたい。私の外来にいらっしゃる沢山の患者さんの『生きたい』と言う想いになんとか応えたいと、強く強く思っています。

もうひとつが患者さんにパワーを、生きる気力を与えられる医師になること。「私の家族が体調を崩して入院したときのことなんですけど、担当の先生のわずか1分くらいの診察で、オペ後のひどい顔色が見違えるほどよくなって、とても元気になったんです! 

診察や治療だけじゃない、患者さんに『生きる力』を与えられる医師がいるんだって、初めて気づいた瞬間でした。スキルだけではない何かを与えられるドクターを目指したいです」。

女性らしい柔らかな表情の中にマグマのような熱き情熱を持つ三澤先生。そのバイタリティーはどこからくるのだろうか。「常に頭にあるのは、周りとの競争ではなくて、自分に勝てるかどうか。疲れて眠くてもやるべきことはがんばって今日のうちにやり遂げる。

その積み重ねを続けていけば、いつの間にか5歩くらい進めているような。遠い先のことよりも今を大事にするほうかな」。育児もキャリアもあきらめない。高い志と柔軟さを兼ね備えた三澤先生は、大学病院という大組織の古い体質にメスを入れ革新をもたらすエネルギーに満ちていた。

三澤 園子先生(みさわ・そのこ)

1999年に千葉大学医学部卒業後、関連病院で研修。2006年に千葉大学大学院卒業後に、同大学大学院研究院神経内科学教室の助教を経て、講師に就任。2015年からは医局長も務める。34歳で第1子、41歳で第2子を出産。

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