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2017年01月06日

「医療はエンターテインメント」
ギター片手に患者さんに心の音色を届ける
―やまと診療所 小笠原清香先生―

大学を卒業し、初期研修が始まった矢先にうつ病を発症した小笠原清香先生。病を乗り越え、在宅医療の道へと進むも、理想と現実のギャップに再び思い悩みます。

答えが出せない日々に希望の光を照らしたのは、一人の医師との出会いでした。「病気になっても、その人らしい生き方を最期まで全力で支える」。

そんな温かい在宅医療を、自身の生きる力となったギターの生演奏と共に届ける、小笠原先生の挑戦を取材しました。

まさか自分がうつ病に?
キャリア断絶の危機を救った家族の絆

「こんにちは~やまとです」。小笠原清香先生の訪問診療は、いつもこの明るい挨拶から始まる。「お父さん、前より足が腫れてるね」「お母さんから足を触らせてくれないって聞いたけど、足湯をしないともっと悪くなっちゃうよ」。

妻や息子との短い会話から、症状悪化の原因を見つけ出した小笠原先生は、前回との違いをビジュアルで見せて丁寧に説明。事態の深刻さをようやく理解した80代男性は「今日からちゃんとやるね」と納得の表情を見せ、家族もほっとした様子だ。

患者や家族の心に寄り添った、きめ細かい診療が評判の小笠原先生だが、これまでの道のりは決して平たんではなかった。

大学を卒業し、初期研修がスタート。忙しさやストレスで心身ともに疲れ果てていた頃、大学の先輩が病院内で自殺を図り亡くなったという衝撃の知らせが飛び込んできた。「あまりのショックに、私自身がうつ病になってしまったんです。それ以来、何もする気になれず、実家で3カ月間療養することにしました」。

最初の1カ月は医療に関するニュースを見聞きすることすら嫌で、テレビや新聞はすべてシャットアウト。ひたすら寝続ける日々だった。「あの時は、医師として働くのはもうやめようと考えるほど、精神的に追い込まれていました。なんとか踏み留まることができたのは、私の医学部合格を一番喜び、学費も工面してくれた祖父の存在があったからです」。

大工として、裸一貫で工務店を開業した祖父は、当時パーキンソン病を患い、自宅療養中。体が動かない祖父の介護は過酷を極め、共働きの両親の睡眠時間は3時間を切っていた。それでも介護を通して互いの絆を深め、「ずっと自宅にいたい」という祖父の願いを叶えた両親を心の底から尊敬したという。

「実家は祖父と父が建てたものです。だからこそ、自分の家にいたいという思いがひと一倍強かったのかもしれませんね。私はと言えば、『毎回病院に連れていくのが大変だから、お医者さんが家に来てくれればいいのに』と思っていました。この時の経験が、将来在宅の道につながるとは思いもしませんでしたが、いま振り返ると、ごく自然の選択だった気がします。

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やまと診療所との出会いが
新しいキャリアの扉を開く

復帰に向けて、最初の目標だった初期研修が無事終了。そのまま同じエリアで在宅医療の道へと歩み出した小笠原先生に、再び壁が立ちはだかる。「週3日、9~17時の勤務体系は、まだフルタイムで働く自信のなかった私には好条件でした。ですが、自分が思い描いていた在宅の世界と現実は違っていて…。患者さんへの思いはあっても、医師としてのスキルや知識が絶対的に足りない私には、結局何もすることができませんでした。

悩んだ末、その病院はわずか2年で退職。退職後は、大学の医局に戻り、医師としての研鑽を積むか、やりがいを感じ始めていた在宅医療を続けるか。真剣に悩んでいた時に友人から紹介されたのが、「やまと診療所」だった。

自分が理想とする在宅医療の形が、日本のどこかにあるのかを確かめたくて。翌日には電話を入れて、見学させてもらうことにしたんです。その時は本当に見るだけのつもりでした。ところが、安井佑院長の診療に同行したら、病気になっても住み慣れた家で暮らし続けたい患者と、その思いを支える家族に親身に寄り添う姿勢に感動してしまって。この人は、これからの日本の在宅医療を変える人だと直感しました。そんな人の側で、いつか自分も働けたらどんなに幸せだろうって思ったんです」。

それでも、今はまだ東京では働けない。半ばあきらめながらも、うつ病だったこと、医師としての経験不足や夜勤への不安など、安井院長には素直に打ち明けることができた。院長はすべてを受け止め、「一緒にやろう!」と誘ってくれたという。さらに「同じ境遇の人も多いから、やまとが受け入れ態勢を作ればいい」「後期研修をしたいなら、教育に力を入れている病院を紹介するから、週1回行ってみれば」と提案してくれた。「一度レールを外れると終わり。そんな狭い考えに縛られていた硬い頭を、カーンと叩かれた気がしました。在宅医療も勉強も、どちらもやろうと思えばやれると思ったら、すごく楽になりました」。

>>>安井院長のインタビュー
テレビ番組「カンブリア宮殿」出演の安井佑院長に直撃取材!やまと診療所の「踏み込む在宅医療」とは? <前編>


↑在宅診療には3人1組(医師、診療アシスタント2名)で回る。『やまと診療所』では事務作業、日程調整などを行う診療アシスタントを育成し、医師が診療に集中できるシステム作りに取り組んでいる。

自宅での看取りも重要な仕事の一つだ。「1年目は、人が死にゆく過程を正しく判断できずに、よくパニックになっていました。2年目、3年目と経験を積むことで、最近は落ち着いて対応できるようになりました。私自身がカトリック教徒で、死は怖いものではないという考え方も、在宅医療向きだったかもしれません。最近は人が亡くなる瞬間はすごくきれいだと思うことがあるんです。最後にぱっと花が咲くような、その方の集大成の瞬間。家族が心から納得し、本当に良かったと思える看取りの場に同席させていただくことが、私の喜びになっています」。

看取りから1~2カ月後には必ず遺族のもとを訪れ、グリーフケアも行っている。時間が経つほど死を実感して心にぽっかり穴が開き、心身のバランスを崩す家族が多いからだ。「私自身が人の死を機にうつ病になり、どん底から抜け出せなかった経験があるぶん、“心の痛み”に対して真摯でありたい。残されたご家族の心情に寄り添っていくことが私の役割だと思っています」。

医療と音楽の両面で人を喜ばせる
エンターテイナーをめざして

「自分がやりたいこと」と「やるべきこと」が合致し、今が充実しているという小笠原先生。課題や目標を質問してみると、「今は医師としてスキルアップが必要な時期。専門と言える分野がほしい!」と即答。夜間救急など、一人で対応しなければならない場面では、力不足と感じることも多いと打ち明ける。

いつまでも“新米”な気持ちでは甘いこと、現状を見据えて、理想に向かっていく大切さもやまとで学びました。そこで、今年は自ら志願して、千葉県旭市にある旭中央病院で救急医療の現場を約3カ月間経験してきました。救急患者がひっきりなしに運ばれてくるような現場でしたが、とても勉強になりました。今後は緩和ケアの専門医資格にも挑戦したいです」

昨今は診療にギターを持参し、生歌を披露することもあるという。「きっかけは、前の病院で担当したある認知症の患者さんでした。偶然歌の話をしたところ、いつもは見せないようなイキイキとした表情をされたんです。その時の目の力、輝く笑顔を見た時、音楽は医療とはまた違う人の生きる力になると感じました。もちろん私は医者で、音楽のプロではありません。ギターの生演奏なんて医者がする必要はないのかもしれませんが、歌を届けることで患者さんの喜びが1つでも増えるなら、やってもいいのではないかと考えるようになりました」

「いつかそういうことができたら」と考えていた小笠原先生が、「診療でギター弾いていいですか?」と安井院長に相談すると、あっさり「いいよ」と承諾。医療が最優先であることは言うまでもないが、誰にどのタイミングでどんな歌を届けるべきか、試行錯誤を繰り返しながらの、新たな挑戦が始まった。

 「すべての患者さんに一方的に歌うのではなく、ご本人やご家族との信頼関係を大事にしながら、どなたに歌を届けるかを慎重に考えてギターを弾いています。その中で、家族も知らなかった患者さんの好きな歌がわかり、家族の会話が増えるなど、音楽を通して家族の絆ができていくことがあるのです。皆さんの嬉しそうな笑顔を見ると、これからも続けようと励みになります」。

小笠原先生は「音楽も医療も人を喜ばせるという意味では同じエンターテイナーだ」と話す。その根底には、生まれて初めて手にしたギターを練習することで、うつ病から抜け出すパワーが体中に沸いてきた自身の体験があるという。

音楽を通して患者や家族が輝く瞬間に出会うなかで、いつか武道館で車イスライブを開催するという夢もできた。「会場の真ん中のアリーナ席を車椅子で埋めて、生演奏を楽しんでもらえたら最高ですね」。

やわらかな歌声で患者さんに音色を届ける
小笠原先生の映像↓


↑「ギターは毎回弾くわけではなくて音楽が好きそうな患者さんのみに限定しています」と小笠原先生。弾いた後には患者さんから記念にギターにサインを書いてもらっている。

座右の銘は「七転び八起き」。「私は人よりもちょっと敏感で、すぐに転んじゃう。でも、辛いときには必ず手をさしのべてくれる人がいて、立ち上がってきました」。

患者や家族との心の交流を少しずつ深めていくことで、仕事への自信もついてきたという小笠原先生。「やまとさんが来てくれるとうれしいわ」の声に支えられ、今日も患者の元へと向かう優しい眼差しの奥には、「転んでいる人がいたら、自ら手を差し伸べる医師になる」という、強い意志が感じられた。

小笠原 清香(おがさわら・さやか)先生

 1983年生まれ。神奈川県出身。筑波大学医学群医学類を卒業。初期研修後、在宅医療を担う病院で2年間勤務した後、2014年にやまと診療所へ。大学まではピアノやバイオリンなど、クラシック音楽に没頭。研修医の時にギターに出会い、現在は大のロック音楽好きに。なかでも「パール・ジャム」の大ファン。診療中に生演奏を届けた患者には、自前のギターにサインしてもらうことが楽しみになっている。

文/岩田千加

小笠原先生が勤める『やまと診療所』ではドクターを募集しています。

【常勤】https://tenshoku.doctor-navi.jp/jobs/597283?token=NXOfSuojd69dhR7HNqtDfw

【定期非常勤】https://arbeit.doctor-navi.jp/re/jobs/586635?token=k48Cblz8DQa-xSVEyi-gCg

医療法人社団 焔(ほむら)やまと診療所 
東京都板橋区東新町1-26-14
℡03-5917-8061
http://yamato-clinic.org/

2013年4月に開業。「死ぬという時間を家族と共有できるように」という思いで終末期緩和ケアに力を注ぐ。
診療科目/在宅診療(総合内科、緩和ケア科、循環器科、心療内科、形成外科、皮膚科) 
診療エリア/板橋区を中心に練馬区、和光市の一部。 

 

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