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2017年02月01日

女医であり、がん患者であるからこそ果たせる役割とは? 麻酔科医・田所園子先生の葛藤と決意、そして溢れる情熱――

「一科に一台田所!」医局内で誰もがそう呼んでいたほど、底抜けに明るいキャラクターで周囲を魅了する田所園子先生。麻酔科医として、そして母として、ライフステージの中で時に育児に重心を置く時期がありながらも、順調で幸せなワークライフを積み上げていました。そんな彼女を突然襲った思わぬ事態。それは「がん」でした。「こんなキャラクターだから、弱い自分を出せなかった・・・」まさかの事態に怒り、苦しみ、もがき続けた彼女。揺れ動く気持ちに正面から向き合いながら、今なお続く逡巡の末にたどり着いたのは、死を意識するからこそ見えてきた“新たな医師としての自らの役割”でした。

入局早々に浴びた医局の洗礼

高知医科大学麻酔科医局へ入局と同時に結婚。田所先生の医師生活と新婚生活は慌ただしくスタートした。「4月20日過ぎに国家試験の合格発表があって、5月頭には入籍。ちゃっちゃと進めましたね。でも、入局早々、医局の洗礼を浴びてしまって・・・」。それは、医局の先輩に何気なく新婚旅行の相談を切り出したときだった。「行くが!?と高知弁で詰め寄られました。研修医は、寸暇を惜しんで症例を積むべきなんよ。それなのに行くが!?ってすごい剣幕で。気づけば立ち尽くして“絶対に行きません”って言っていました(笑)」。

症例を積んでナンボの新米研修医。結婚式前日だってそれは同様だった。「結婚式にも参列くださる先生から、式前日のオペを入れられました(笑)。夜19時から結婚式当日の朝5時まで寒いオペ室にいましたね。おかげで、見事に顔にデキモノができちゃった」。

消化器内科医のご主人との新婚生活は、お互い当直で“すれ違い”の連続。「なんで洗濯物干してくれないの?」という“医師夫婦あるある”なケンカを繰り返しながらも、交換日記で会えない時間を埋め合っていた。

妊娠を機に医局を退局
育児に重心を置く決意をしながらも、心を波立たせたもの

高知医科大学病院(現高知大学医学部附属病院)から高知赤十字病院・救命救急センターへ。さらなるハードな日々を過ごしている真っ只中で妊娠が発覚。「3日に1回は当直という多忙を極めた時期でした。子どもを授かったことが分かった夜も当直で、救急車が来たと聞いては院内を走り回っていましたね」。激務でありながらも、成長を実感し楽しかった日々。それでも、あまりにも過酷な環境に育児との両立は難しいと判断。医局を退局することを決意する。学生時代から可愛がってくれていた先輩が経営する個人病院に非常勤医師として入職し、3人の子どもを出産した。

出産後は、週2回午前中の勤務から徐々に復帰。無理なく仕事と両立させながら、思い切り子どもに向き合って育児を楽しんだ。「子どもは自分の手でしっかり育てたい」自らの強い意思で選んだ形だったが、友人たちの言葉に心が波立つことも少なくなかったという。「“もったいないね、そのちゃん”って言うんです。子どもの世話に追われる私を見て、かつて共に研鑽を積んだ友人たちが何の気ない様子で・・・。悪気がないのはわかっているんだけど、なぜだか心が乱れて。育児を通して広がった世界や自分の成長を実感しているのに、手をグーにしてぐっと堪える自分がいました」。キャリアと育児の間で揺れ動く気持ちに押しつぶされそうになりながら、積み重ねた真摯な日々。だからこそ、キャリア視点のみの悪意のない一言にやり切れなさを感じたのだろう。そんな田所先生も、今では長女が高校3年生となり、徐々に育児に重心を置いてきたバランスを変化させてきている。

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ご本人らしい最期とは――
ターミナルケアへ湧き上がる思い

「今はターミナルケア、終末期医療に携わりたいと思っているんです」。老健施設や療養型病棟を担当する中で、生まれてきた思いだ。「病気療養の末、“最後の最後にたどり着いたこの病院で亡くなっていきます”という患者さんを担当してきました。その中で大きくなっていったのは、苦しみや痛みを取り除いてできるだけ穏やかに送るというだけでは不十分だという思い。“ご本人らしく死んでいくとはどういうことか”に向き合った形を模索しなくてはならないと思うんです」。ご本人の世界に思いを馳せるため、患者さんの横に顔を置いてベッドからの風景を眺めることも多い。「棚の上の毛布、飾り気のないカーテン・・・。食事すらままならない体でこんな景色しか見られていないんだって思うと、患者さんらしさを少しでも取り戻すためのバックアップに本気に取り組まなきゃって気持ちが漲ってくるんです。患者さんの家族さん、慢性期に携わる医療機関側とそれぞれの事情は事情としてあったとしても・・・」。

その真摯で正義感溢れるまっすぐな思いから、時に経営サイドと議論にもなるという彼女。信頼できるエージェントを見つけ、自らの思いを実現させる転職も行った。「条件のマッチングだけという子どもの使いのような人もいる中で、担当の林田さんは私の価値観、キャリア構築の方向性を理解いただいたうえで、私の疑問に先回りして確認を取ってくださるような方でした。だから、今でも何か相談があると真っ先に声をかけています」。

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突如発覚した自身の「がん」
感情の波をくぐり抜けて生まれた思い

ターミナルケアへの思いは、臨床の中だけで湧き上がってきた思いではない。「実は、私もがん患者なんです」思わぬ言葉が発せられ、取材陣に動揺が走った。「がん患者になってもう6年目です。今高校3年の長女の中学受験があったころですね。11月の健診で子宮がんだって・・・」。非常勤勤務をしながら、もう一度麻酔の勉強がしたいと無給で大学に研修に行っている時期だった。「はじめは“検査ひっかかっちゃったよ~”なんて婦人科の先生に軽口を叩いていたのに、検査を受けるたびに悪い結果が返ってきて。手術でも取り切れるか・・・とうくらいのレベルでした」。そんな非日常な事態の最中でも、子どもに食事を用意し、塾の送迎をするというごく普通の日常のタスクは変わらない。「2週間の入院が必要なところ、1週間で対応いただきました。自ら麻酔の台帳をもって走り回り、先生方に何とかオペを入れていただいて。それでも悪性度は思った以上に高く、 “娘の中学受験が終わるまで何とかならないか”との相談に“待てない。待ったら死ぬよ”と言われたほどでした」。

がん患者としての押し寄せる不安は想像以上だった。「なんでこんなことに、なんでこのタイミングで・・・」と、怒りや憎しみの感情が昂ったり、「私が何をしたからこうなったんだ」と過去を振り返ったり、絶望したり。「想像を絶する感情の乱れでした。ママ友が自分のお子さんの将来を憂う冗談めいた発言にまで、気持ちが昂ってしまいましたね。“将来が不安だっていいじゃん。あなたはその将来を見てあげられるんだから。私は娘の卒業式だって出られるかわからないんだよ”と必死に涙をこらえたのを覚えています」。

怒り、絶望、憎しみ、恐怖、慟哭――次から次へと襲いかかる出口の見えない感情の波。医師としてがん患者さんに接してはいたものの、ここまで感情の押し寄せがあることが当事者にならないとわからなかったという。そんな中、医師でありがん患者であるという自身の役割追求に向き合わせた言葉と出会った。「良くしていただいていた教授から“この体験を発信せなあかんよ。告知を受けて、手術して、混乱して、立ち直って治療を選ぶ過程とその感情すべてを”と言われました。普通の人は言葉にできず苦しんでいるものだ。でも君は言葉にできる知識と経験を持っている。それで救われる人はいるはずだ」との言葉。ごく親しい人を除いてはがんの事実を伝えられず、部屋で泣いて外では明るく振舞っていたという彼女。整理のつかない感情を抱えたまま、自分のがん経験で救える人がいるのなら・・・と立ち上がった。

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がん患者の不安を和らげたい!
400人をSNSで個別サポート

「がんになって驚いたのが、押し寄せる不安がここまで大きなものかということでした。想像を絶する不安です。そんな中でも私は医師だから、主治医に1つ1つ疑問をぶつけ理解を深めて自分の状態を理解していくというプロセスを踏めた。それはもうある意味“嫌な患者”になれるくらいに(笑)。でも、一般の患者さんには難しいですよね。経験したことのない不安に押しつぶされそうになりながら、治療を判断していくって」。がん患者の不安を和らげるサポートがしたい。その思いを胸にSNSでコミュニティを設立。400人ほどのがん患者さんの精神面、知識面のサポートを個別に行った

「治療方針や治療法といった医学的な知識面のサポートももちろんですが、精神面のサポートを意識しました。だって、がんというあまりもの状況に向き合えていない人、絶望しきっている人って本当に多いんです。とことん話を聞き、恐怖に付き合い、一緒に泣いて怒って感情の波を共にする。そういう存在と共に感情の波を乗り越えてはじめて、ようやくがんに向き合う覚悟ができるんじゃないかな。そのプロセスを経て“大丈夫だよ、それで”って背中を押してくれる存在、それって私が一番ほしかった人なんです。精神面のフォローをするといっても安定剤を出す心療内科じゃなくて、一緒に向き合ってくれるセラピストのような存在っていうイメージかな」。がん患者の心の動きを熟知した自分だからこそ、がん患者の不安を和らげる外来やサポート活動ができる。ただの寄り添いではなく、医学的な知識で納得感のある安心を与えられる。それが、がん患者である自身の役割だと決意。「話を聞いてもらって楽になって治療する気持ちになりましたという人が増えればいいなと思っています。とはいえ、お金になるものではないので、仕組化に頭をひねらなければなりませんけどね(笑)」。

前向きに治療に向き合う気持ちができることで、生活は彩りを取り戻すいう彼女。自分自身の満ち足りた毎日がその証拠だ。「最後を意識するようになると、できることは全てやろうって気力が湧いてくるんです。私は、大好きな嵐のコンサートもナオト・インティライミのライブもこれで最後かもしれないからって”足しげく通うようになりました(笑)彼らが指をさしてエアハグしてくれるたびに、生きる喜びに打ち震えます。家族には“これが最後っていいながら、毎年いってるやん”なんて言われてますけどね(笑)」。

がん患者として、ふさぎ込むのでもなく、家族との時間だけに専念するのでもなく、医師としての役割を見出していく田所先生。「強いですね」思わず漏らした言葉に、思わぬ言葉が返ってきた。「自分が強いのか弱いのかもわからんのよ。でも、この体と生きていくってオープンにしていくしかない。これで塞ぎこんでたら終わりだからね。私が私自身を奮い立たせるために、新しい役割への没頭が必要なのかもしれない」。明るいキャラクターの裏側で必死に自らを奮い立たせる弱さを内包した強さが見えてくる。がん患者として、医師として、そして母として、揺れ動く感情に押しつぶされそうになりながら、それでも一歩でも前に足を出そうともがく姿。その健気で誠実な姿が、これからも多くのがん患者さんを照らしていくに違いない。

田所 園子先生
愛知県出身。1995年高知医科大学医学部卒業。高知医科大学麻酔科医局に入局後、高知赤十字病院救命急センター勤務。妊娠をきっかけに一般病院に非常勤医師として勤務しながら、3人の子どもを出産。現在は、医療法人三和会国吉病院で麻酔科医として勤務し、ペインクリニック外来、地域医療に携わる。自身のがん経験を生かし、ターミナルケア・緩和ケアに関わりながらSNSでのがん患者サポートの経験を仕組化するべく、がん患者の不安を和らげる支援の形も模索中。無類の嵐ファンで、忙しい勤務と育児の傍ら全国各地に足を運ぶアクティブな側面も。

キャリアの相談があったらすぐに連絡するという担当エージェント林田との1コマ。「先生の使命感、医師としての視座の高さにいつも刺激されています(林田)」

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