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2017年05月25日

マルチな産婦人科医を目指し、行動力でつかんだ理想の形。
スキルアップのための転職そして海外ボランティアへ

産婦人科専門医として、着実にキャリアアップしてきた都築まどか先生。10年選手となり、産婦人科医長という要職に就いたものの、プライベートや健康を犠牲にするほどの生活の連続に心が折れかけてしまいます

医師になった目的を自らの心に再び問うた時、思い出したのは、子どもの頃からの国際医療への憧れでした。そこで、挑戦したのがアフリカ・タンザニアでのボランティア。大きな転機、その先に見えた未来とは。


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お産もオペもトップレベルに
貪欲に学んだ研修医時代

都築まどか先生は父上の仕事の関係で中学1年から高校2年生までを中東バーレーンで過ごした帰国子女。医学部に入ったのは、国際医療に貢献したいという思いと、女性として自立して「食っていく」のにプラスとなる職業につきたい思いが強かったからだ。そんな彼女は、医学部卒業後は大学の医局には入らないと決めていた。女性医師としてのライフプランを「その当時の私なりに」設計し、自身の性格を考えてみたときに、時に意に染まない上意下達がある医局という組織に属するのは、むしろマイナスなのではないかと感じていたからだという。

「学べるうちにいろいろなことを経験したい」。

そんな思いから、初期研修先には、当時必須ではなかったスーパーローテーションコースのある病院を自ら選択。総合的知識・技術を持つ医者になることを意識して挑み、手応えを感じた。続く後期研修先を探し始めて改めて感じたのは「私は大学の医局に入るべきではない」という思いだったという。

産婦人科の医局って、産科か婦人科のどちらかを選択しろと言われるじゃないですか。それが嫌だったんです。産婦人科医、でありたいと

それに、その時に既に自分なりに世間のニーズを読み取っていましたから、産科も婦人科もやりたい女性医師なんて、“金の卵”に違いないって勝手に思っていたんです。でも、有名大学の系列病院は大抵『来たいならくれば』という反応で、いかにも男性医師の方が欲しいオーラが出てました。時代の流れが読めてないなぁ、と。そういうところで働いたら苦労するばかりだろう、と思って即、選択肢から外しました(笑)」

その時に、女性医師には、出産や育児などがあったとしても、医師であることを辞めるのではなく、何らかの形で医療を支え続けることが強く求められているんだな、というのも知ることができたという。

のちに常勤となる東京都立府中病院(現・東京都立多摩総合医療センター)で後期研修を開始。ここでの仕事はやりがいがあり、必要があれば研修にも快く出してくれ、手術も上手い女性上司がいて、「ずっと働きたい」と思える病院だった。

産婦人科医として脂が乗り始めた頃、周産期センター開設計画が立ち上がる。当時、胎児エコーができる医師が実質ゼロという状況に危機感を抱いた都築先生は、同分野のスペシャリストがいる埼玉医科大学総合医療センターに自ら直接交渉し、1年間の研修を受け入れられた。「井の中の蛙だったな」と思ったという。

技術を習得し古巣に戻った後も、力不足を感じたら、次なる研修場所を自分で探すのが都築先生流。患者と向き合うなかで周産期分野での専門的知識習得の必要性を感じ、さらなるキャリアアップのため、胎児治療などで周産期部門が特に有名な静岡県の聖隷浜松病院に転職した。

しかしそこには、研修医時代から高みを目指し走り続けて来た都築先生を立ち止まらせる試練が待っていた。

医師をめざした原点に戻り
単身タンザニアへ

「私、何がしたかったんだろう」。

今までの研修同様、全霊を傾けて臨んだため転職後1年で産婦人科医長として迎えられた都築先生。当時は毎日深夜まで働いて、食事はコンビニ弁当。家は荒れ放題で、顔も洗わず歯も磨かずに眠ってしまうことや、徒歩5分の自宅に帰る気力も無くなり病院の更衣室で寝たまま朝を迎えることもあった。

「いつのころからか、新しい命が誕生し幸せそうな患者さんを見るたびに、『私は全然幸せじゃない』と思うようになってしまって…」。極限生活のなかで、自分の生き方について、ふと考え込んでしまったという。

「疲れすぎて患者さんの幸せを一緒に喜べなくなってしまっていました。ちょうどその頃、仕事量に見合う評価が得られなかったり、患者さんの家族から罵倒されたりした出来事も重なって、今まで一度も嫌だと思ったことのない仕事が、初めて辛くなりました」。

心身ともに疲弊した都築先生の脳裏に浮かんだのは、医療をめざした原点に戻ることだった。「行くなら今しかない! そんな思いで、海外医療ボランティアとしてアフリカ・タンザニアに行くことに決めました」。

タンザニアでの医療ボランティアは無給なうえ、往復航空券や現地での滞在費などはすべて自己負担。それでも参加を決めたのは、「旅行ではなく長期にわたる異国滞在に、自分がどこまで適応できるのかという純粋な興味が大きかったです。

でも正直いえば、自分を一度リセットしたい気持ちが一番強かったかな」。

現地の医療体制は、都築先生にはある程度想定の範囲内だった。現地の医療スタッフは、日本と同様の専門的知識を持っている。しかし、物品が不足しているばかりに医療水準が保てない現実がそこにはあった。「たとえばお産で出血しても、ルートがなければ、専門医でも命を救うことは不可能です。未熟児で生まれても長期間の人工呼吸管理を支える財力のある患者はあまりいませんから、経鼻酸素投与程度で生き残る赤ちゃんのみが生き残っていく感じでした」。

「人ってこんなに簡単に死ぬんだ。だけど、こんなにたくましく生き延びていくんだ」と、人間の生命力に感動した。医療の恩恵を等しく享受できる日本の医療制度の素晴らしさを改めて実感もした。そして、寄付に頼るのではなく、自国で医療資源やシステムを充足させて医療を維持することこそ大事なのでは、と思い至ることができた。

都築先生が「タンザニアでの一番の収穫」と話すのが、地元の高校生や村人の教育に熱心に取り組む、若き研修医との出会いだ。

「タンザニアには医療を支える理系の技術者が圧倒的に不足しています。医療は医師だけでは成り立たない。検査技師やシステムエンジニアなどがハイレベルな水準で全て揃って初めて、医療水準があがっていくのだということ。そして、患者が健康に関する基本的な知識をもつこと。それらが複合して初めて国が本当の意味で豊かになることを彼は知っていたのです。

彼は国の将来を担う高校生に理系の学問に少しでも興味をもってもらうためにサイエンスワークショップを開催したり、同じ志をもつ病院のスタッフ達と、週末毎にボランティアで村を回って健康相談や簡易健康診断を提供したりしていました。その手伝いをするうちに、私が海外に出て活動するよりも、現地の取り組みを資金援助やアイデアの提供という形で支える方が、よっぽど役に立つとわかったんです」。

日本にいても貢献できることはある。「そう考えられるようになったのは彼のおかげ」と穏やかな表情で話す都築先生。帰国後も、定期的にワークショップを開くための費用をクラウドファンディングを通じて援助したり、アイデアの交換をしたりしている。

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約10カ月間の海外ボランティアを終え、転職活動を開始。「産婦人科専門医の資格があり、10年超のキャリアをもつ女性医師なら、必ずどこかに就職できる」。そんな自信はあったという。しかし、前回の経験を元に、「今までは、患者に滅私奉公するのが医師のつとめであり義務であると思っていました。だけど、自分も40歳になり、身体を壊しては元も子もないし続かない。また、医師としての情熱を絶やさず、患者さんに最善を尽くすためには、自身が人間としてある程度幸せでなければ、という考え方に至ったので」ある程度ゆとりを持った働き方ができる病院を探そうと考えていたという。

これまでは病院へ直接アプローチして、自力で勤務先を決めてきたが、今回は医師紹介エージェント・エムステージを利用することに。

「タンザニアにいる間から数社に連絡をとっていました。そのなかで、一番担当者の感じがよかったのがエムステージでした。科内の実際の雰囲気やスタッフの性格など、ネットではわからない付加情報をたくさん提供してくれることが、他社にはない魅力でしたね」。

希望条件は3つ。産科も婦人科も両方担当できること。初期研修医の教育ができること。当直もいとわないが休みがきっちり取れること。「それと趣味の海外旅行に行けるだけの有休を必ず取らせてもらえることを条件として提示しました(笑)」。

予想通り、転職先はすぐに見つかり、帰国から2カ月後には板橋中央総合病院での勤務がスタートした。

エージェントの担当者・上野「都築先生のキャリア、実績でしたら“すぐに来てほしい”とオファーをいただける確信はありました。ただ、それ以上に分娩もオペも積極的にやりたいという都築先生の情熱が採用の決め手になったのだと思いますと話す。

2016年の春より理想的な職場で充実した日々を送るなか、プライベートでも幸せが訪れる。タンザニア滞在中に頻繁に連絡を取り合っていた一般男性と結婚。現在は19時~20時前には帰宅し、趣味の料理に費やせる時間もあるという。当直やオンコールは以前と変わらない回数をこなしているが、平日に週1日の休みが取れることもあり、プライベートの充実につながっているそうだ。

30歳前後で婚活を頑張っていた時は全然うまくいかなくて。結婚相手としては女医って本当に人気がないんだなって思いました(笑)」。

今振り返ると「昔の私じゃ、結婚できなくて当然だったかも」と笑う。20代、30代の頃は「かなりとんがっていて」、患者や家族から「偉そうだ」と言われたこともあったそう。

「そもそも感情の伝え方が下手だったんです。言葉足らずというか、ぶっきらぼうな態度が良くなかったんですよね。結婚したいなら愛想、も大事でした(笑)。確かに昔、『女医ではなく女優になれ』って教えられました。何度か転職して職場で上手くやっていけるように努力したり、痛い目にもあったりして、ここ5~6年でようやく患者さんから『先生がいい』と言ってもらえるようになりました。タンザニアに行き、自分を見つめ直せたことでパートナーに求める条件も変わり、結果、結婚もしました。今は穏やかな気持ちで仕事に臨めています」。

患者の前でニコニコ笑顔を見せることは今も得意ではないが「私の長所といえば、人の指摘に素直に耳を傾けて直していける点、いつも一生懸命に取り組む点かもしれないですね」と自己分析する。

医師としても人間としても成長した都築先生。今の彼女からは自然と、優しい幸せオーラが溢れていることに、ご本人は気づいていないようだ。

 “災害時にも動ける医者”の育成へ
今後は教育に力を注ぎたい

転職条件に「初期研修医教育」を挙げた理由を聞いてみると、「最近は最初からCTなど検査に頼りすぎて身体所見をとらない研修医が多いことが気がかりだったから」だという。

都築先生は初期研修先の総合病院のジェネラリスト志向にとても共感を覚えた。「問診と身体所見だけで、ある程度の診断をつけることができる医者になりたい」と思ったという。

「産婦人科の緊急疾患は問診と身体所見、超音波と妊娠反応検査、でほぼ鑑別ができます。そんな疾患の痛みで苦しんでいる、あるいは腹腔内出血で不安定な患者さんに、CTなど高度検査を施す必要性がどの程度まであるのか。

医療費の削減についてももう少し研修医時代から思いを至らせるべきなのではないかと思っています。また、最小限の医療器材しかない災害現場などでも医師として活躍できるようになるためにはどのように修練を積んだらよいのか、を常に考えながら臨んで欲しいとも思っています。ただ、そういうことを熱く語っても、今の研修医にはなかなか響かないのが悩みの種です…」。

「こんなことを言うと最近の若い人達には嫌がられるのでしょうけど(笑)、いつなんどき、身体的あるいは家庭の事情などで勉強したくてもできない状況に陥るかもしれません。

女性医師には出産育児の中断期間があります。男性であっても留学や研修などの話がでたときに行けないこともあるかもしれません。であればこそ、そういった制限が比較的少ない低学年のうち、体力の余力があるうちは、楽をしないで勉強研修すること」「一つの場所に固執せず、必要だと思えば外に研修に出ることを恐れないこと。真摯な姿勢を持つ者は、たとえ部外者門外漢でも、どんな施設でも研修に受け容れてくれますよ」と強調する。

転職したからこそ気付いたことも多いという。「病院ごとに異なる視点や観点に気付いて視野が広がったり、人間関係を学んだり。一つの病院しか知らなければ、小さい医者になっていた気がします。いつまでも、医師としての自分を磨く努力は続けていきたいですね」。

医師にとって最もいらないものはプライド」と断言する都築先生。「コメディカル含めた職場のスタッフと、助け合っていける力も、医師としては必要です。医療スタッフは特に、それぞれ各分野でのプロフェッショナルですから、時には教えを請うたりすることもいといません。患者さんの排泄の世話もスタッフと共にできるような医師でありたいと思っています」。

将来的には子どもたちが自分の人生設計まで考えられるような“性教育”にも携わりたいという都築先生。「ある程度の年齢になれば、自分でライフプランを立てられるような教育にぜひ取り組んでみたいです。もし呼んでいただける学校があれば、いつでも伺います!」と既に視点は前を見据えている。

必要とあれば、すぐ動く。これからも変わらぬフットワークの良さで都築先生は周囲に力を与え続けている

都築まどか先生(つづき まどか)先生

 

1976年東京生まれ。2003年富山医科薬科大学(現富山大学)医学部卒業。
聖隷三方原病院で初期研修、東京都立府中病院、東京医科歯科大学での産婦人科専門後期研修を経て、東京都立府中病院産婦人科常勤医。2009年から胎児エコー習得のため埼玉医科大学総合医療センター周産期母子総合医療センター1年間研修(助教職)。

東京都立多摩総合医療センター産婦人科、聖隷浜松病院産婦人科医長を経て、2015年4月から海外医療ボランティアとしてアフリカ・タンザニアへ。帰国後、2016年4月より現職 板橋中央総合病院産婦人科に勤務中。帰国後に新たに周産期専門医を取得。

文/岩田千加

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