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2017年08月12日

決めつけない人生の選択。
非常勤を続けながら夢のパン屋の道へ。

健診の仕事を不定期でこなしながら、飲食というまったく異なる業界で、自分の「好きなこと」に携わる産婦人科医・河野里江子先生。育児に重きを置きたいけど臨床から完全に離れてしまうのはこわい、医師たるものその使命を全うすべきでは……。思い通りにいかないジレンマに悩む女医が少なくないなか、ちょっとだけ肩の力を抜いて生きてみる。そんなヒントをくれるストーリーです。

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賑やかに飲食店が連なる、東京、四谷・荒木町の杉大門通り。その一角のビルの入り口に、昼時になると『ちびパンサンド アフロジョイ』なる小さな看板が現れる。建物はスナックやバーがひしめきあう、いわゆる雑居ビル。多くの店が閉まる日中は人の気配がほとんどない。こんなところに本当にパン屋が…? と、おそるおそる階段を上がり、一軒のバーのドアを開けると、果たしてそこにはパンがずらりと並べられたカウンターがあった。

迎えてくれたのは、産婦人科医であり『アフロジョイ』のオーナーでもある、河野里江子先生。バーの昼間の時間滞を利用して週に3日だけ、ここで手作りのパンを販売しているのだ。

医師と、パン屋。ユニークな“二足のわらじ”に至るまでの道のりを、語ってもらった。

ほとんどの時間を病院で過ごした、
過酷な20代の臨床医時代。

河野先生がキャリアをスタートさせたのは、約20年前。母校である信州大学医学部の付属病院の産婦人科医局に入局し研修を終えたのち、同じ長野県内の総合病院に勤務していた。

「私が勤め始める前、『女性には産婦人科医は勤まらない』と言われていたのを覚えています。それだけ激務だという意味ですが、実際に入ってみて、ここまで時間拘束されるんだ……と改めて驚きました」

当時その病院の産婦人科医は、自分ともう一人だけ。2人の医師で日々の診察や年間約300件あるお産をこなした。

「手術があれば必ず呼ばれるし、土日はどちらかが必ず残らなければならない。夜中にポケベルで呼び出されることもしょっちゅうでした。その後、県内の他の病院にも勤めましたが、いずれも同じ感じ。自宅に帰る時間が惜しい時は、空いている当直室で寝たりしてました。25歳で医師として働き始めてからの約6年間は、ほぼ病院にいましたね(笑)」

人間らしい生活だったかどうかは疑問ですが、と笑いながら「それでも、仕事自体は楽しかったですね。体はきつかったけれど走ってこられたのは、人と接することが好きだったからだと思います」。そう振り返る。

結婚を機に、長野から東京へ。
生命保険会社の医務という、未知のジャンルにトライ。

厳しくも充実していた臨床医としての日々に、転機が訪れたのは30歳のとき。それまで遠距離恋愛で付き合ってきた彼(現在のご主人)との結婚がきっかけだった。

「最初は彼が長野で就職して、私はそのまま病院で働くつもりだったんですが、彼に合う勤め先がなかなか見つからなくて。それなら、私は資格があるのでどこでも仕事はできるし、東京に戻ったほうが選択肢は多いのではないか、ということになりました」

それまで勤めていた病院を辞め、東京へ。再就職先を探すため、医療専門誌の求人欄をチェックしていた河野先生の目に留まったのは、大手生命保険会社の医務部勤務という仕事だった。「一般企業に勤めてみるのもいい経験かもしれない」。そんな思いから就職を決めた。

「新規の契約に健康診断が必要な場合に顧客の自宅や勤務先に赴いて、診察するというのが主な仕事でした。診察バッグを持って電車で移動するのが日課。血圧測定や聴診のほか、尿検査や血液採取も行いました」

何気なく決めた仕事だったが、これが意外と楽しかったという。

「自分はいろいろなところに行って誰かと話をしたり、何かを見聞きしたりするのが好きなんだな、と気づきました。それに、勤務形態もそれまでとはまったく違っていて楽でした。外まわりですが、勤務時間は9時から17時までと決まっていて、残業はなし。何より夜中にポケベルで呼び出されることはもうないんだ、と気づいたときは感慨深かったです…(笑)

それまでの臨床の過酷な生活とは真逆の、規則的でゆっくりとした暮らし。けれど一方で、臨床医として現場から遠ざかることに焦りはなかったのだろうか。そう尋ねると、

「うーん。なかったですね。産婦人科の現場は、数年離れても技術が激変する世界ではないだろうと思っていたことも理由のひとつですが、どんなことでも仕事は仕事、と思ってやっていましたから。ただ、臨床医として働いていたときのほうが、仕事の内容はやっぱり自分には合っていたんだろうな、という気はしていました」。

ふたたび戻った臨床の世界と、パン職人としての活動。
偶然の出会いから、新たな方向が拓けて行った。

その後出向した関連会社を含め、会社員生活もかれこれ15年になろうという頃。ひとりのドクターと偶然出会う。

「知人が連れてきていた友達で、場所は……自宅の近所の焼き鳥屋でした(笑)。健康診断会社に関わっているドクターだったんですが、ちょうど婦人科医を探していたらしく、私が医師免許を持っているとわかると開口一番、『婦人科検診できますか』と。いきなりで驚きましたが、これも何かのご縁。乗ってみることにしました

同時に、生命保険の関連会社は退職。「仕事は楽しかったけれど『そろそろもういいかな』と思っていたし、どこかで臨床をもう一度やりたいという気持ちがあったのだと思います」

かくして婦人科健診のアルバイトが決まり、十数年ぶりの臨床復帰へ。

「とりあえず膣鏡など健診に必要な器具を再確認することから始めました。正直できるかな、という思いもありましたが、不思議なものですね。いざ検診を始めてみたら、手が覚えていました。何も困らなかったです」

いまは月に数回、企業や学校に出向いての検診に携わっている。

一度途切れたように見えた臨床医師としての活動を、ふたたび始めた河野先生。それ以前、保険会社時代にもうひとつ、新たに始めていたことがあった。それが冒頭に少しだけ紹介したパン作り。

「食べ物って人を幸せにしますよね。昔から友人を家に呼んで手作り料理でもてなすのが好きでした。とりわけパンはいい匂いだし、パン屋になれたらいいなあ、と以前から思っていたんです。それでパン教室に通い始めたんですが、その後すぐに強烈なパティシエと出会って『パン教室に行ってもパン屋にはなれないよ』とガツンと言われて。その人にパン作りの師匠になってもらい、入門しちゃったんです。はい、お察しの通り、それも飲み屋でです……(笑)」

それから4年。パンは程々焼けるようになり、ベーカリーカフェを開いてはどうかと師匠に勧められていました。店舗を探すうちに出合ったのが、いまランチでパンを販売しているバー『アフロ』だ。

「ここは、もともと夫の友だちの店で。フードメニューが少ないことに目をつけて、ピザ生地を卸させて欲しいと頼んだら、ランチ営業を任せてもらえることになったんです」

人生の岐路は飲み屋にあり。そんなふうに思えてくるほど、いい出会いをやりたいことの原動力に上手に変えてきた河野先生。

「すべて人とのご縁です。いろいろな場面で、運よくタイミングが合うんでしょうね」

けれど、チャンスを逃さずに捉える瞬発力は、誰もが発揮できるとは限らない。ことに医師であれば臨床の世界から遠ざかるのに葛藤がある人も多いなか、一度現場を離れながら機をみて戻り、さらに自分の夢も追いかけていく生き方は、とても新鮮に映る。

たぶん私、『絶対に自分はこうでなくては』というのがないんだと思います。一応やりたいことはあるし、戦略も持っているつもりですが(笑)、ままならないことのほうが多いのが現実社会。今やれることを淡々とやろう、とは思っています

何事も気負わない河野先生の姿勢は、まさに「しなやか」という言葉がぴったり。今後の目標は? そう尋ねると「できるならいつか、路面店のパン屋を開きたいですね」。そんな夢を、輝く笑顔で打ち明けてくれた。

アフロジョイ
東京都新宿区荒木町8番地 AIビル2F 営業時間/月火水の11:30〜14:00 イタリア風の食事パンを使った小さなサンドイッチやスコーンなどを販売。イートインもできる。https://www.facebook.com/namakeushi/

アルバイトをしながら
夢を追いかけるという選択。
『Dr.アルなび』が応援します。

河野里江子(かわの・りえこ)先生

 

東京都出身。産婦人科医。1994年信州大学医学部卒業、JA厚生連安曇総合病院(現・北アルプス医療センターあづみ病院産婦人科、国立松本病院産婦人科(現・独立行政法人松本病院)に勤務。

 

2000年に信州大学医学部付属病院産婦人科を退職、安田生命相互会社(当時)医務部へ。生命保険の新契約に関わる仕事を経て、関連のヘルスケアトータルサポート(株)に出向。2015年に退職、健康診断のアルバイトをしつつ、2017年2月に「アフロジョイ」を開業。

 文/新田草子

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