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2017年08月21日

震災で露呈した「非常勤」の落とし穴。
窮地をチャンスに変え地域医療で輝く。―形成外科医・手島玲子先生―

女医が仕事と子育てを両立するためには、非常勤という働き方が選択肢の一つだろう。「でもそれは、パートナーに安定した収入があるからこそ」と形成外科医の手島玲子先生は言います。

東日本大震災の直後、アルバイト中の自身も声楽家の夫も仕事がキャンセルになり、世帯収入ゼロの恐怖を体験したことから、突如開業を決意。その選択は、収入の安定以上に「女医であり、母であること」が初めて強みだと思える、理想のワークスタイルをもたらす結果に。波乱万丈ともいえる手島先生の歩みをお伺いしました。

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東日本大震災を機に開業へ急発進。
収入ゼロの恐怖が変えた仕事観。

「私って、今もしかして無収入?」

東日本大震災から数日後、そんな不安がふと頭をよぎった。

当時、子育てを優先して非常勤のクリニック勤務だった手島玲子先生は、アルバイト先から自宅待機を告げられていた。3歳と1歳の子どもと遊びながら自分の置かれた状況を冷静に考え、急に怖くなったという。

「形成外科の専門医資格を持っていても、こんなに簡単に、突然収入を絶たれることに動揺しました。しかも、テノール歌手の夫も震災後の自粛ムードで仕事はすべてキャンセル…。夫婦共に無収入状態だと気づいた時は衝撃でしたね」。

実際はわずか1~2週間の出来事だったが、小さな子どもを抱えながら「こんな状況がいつまで続くのか」という不安は大きかったそう。「子育てが落ち着くまで、しばらくアルバイトでいい」という考えは、震災を境に大きく変わったという。

「家族のためには、夫婦のどちらかに安定した収入源が必要」

そんな強い思いに突き動かされ、クリニック開業へと急発進する。震災から2~3カ月後には開業コンサルタント会社と契約。1年の準備期間を経て、平成24年に生まれ育った文京区に『てしま皮膚科・形成外科』を開業したのだ。

アルバイトから開業医という、周囲も驚くほどの早業で方向転換した理由について、手島先生はこう振り返っている。

「いつか自分のクリニックを開業できたらという思いはあり、開業資金も貯めていたのですが、実行に移すのはまだ先のことと考えていました。東日本大震災を経験して、自分がやりたいと思った時にやらないと、次はないかもしれないと思ったら、迷いはありませんでした」

震災のような不測の事態が起こった時に、「子どもたちをすぐに迎えに行ける場所で働きたい」と思ったことも、地元で開業した理由の一つだった。

子育て中の女医は医局のお荷物?

 医局を当てにしない道は、昔から考えていた。

東北大学医学部を卒業後、東京大学医学部形成外科教室に入局し、翌年には医局人事で千葉県の旭中央病院に赴任。上司にも恵まれ、豊富な症例に携われる環境は大変充実していたし楽しかった。しかし、子育て中の女医に対する評価の低さを肌で感じ、「出産後も仕事を続けたいなら、医局を頼ってはいけない」「自分でなんとかするしかない」と、腹をくくったそうだ。

「私から見ればフルタイムで、バリバリ働いている女性先輩のことも、尊敬していた上司は悪気なく『彼女はコースから外れているから』と言うのです。当時、私は独身でしたが、急な呼び出しや夜勤への対応が難しいママ女医は、男性優位の医局が求める人材ではないのかもしれないと、早々に悟りました」

いつか自分も結婚して子どもを持ちたいと思いながらも、しばらくは仕事が最優先だった。しかし、医局人事で福島、静岡、神奈川県厚木市など1年毎に移動する生活が続いた。医師として、そして人生の転機にもなったのが、静岡県立こども病院での1年間だった。

同病院は県内の小児医療の最後の砦。治療法がない難病や、先天性疾患を抱える子どもに接する機会も多かった。子どものありのままを受け入れて前向きに生きる親もいれば、自分を責めて、ずっと暗い表情のままの親もいて、「親の考え方ひとつで、親子の人生が大きく変わることを学んだ」という。

手島先生には、今でも忘れられない上司の言葉がある。

「先天的な手の異常のお子さんが、リコーダーの授業で辛い思いをしないか気にする母親に、『大人になってリコーダーなんて吹く奴はおりゃせん。鉛筆も持てるし、勉強もできる。この子にとってはこの手が普通だから、何の問題もない。親が気にして、先回りすることはない』とおっしゃったのです。私はその言葉を聞いた時、形成外科医は傷を綺麗に治したり、見た目を正常にしたりすることだけが仕事じゃないと学びました」

日々子どもたちと接するなかで、仕事優先だった考え方にも変化が起きる。

「生まれて初めて強烈に子どもがほしいと思いました。子どもを産むと決めたら、早めに産んだ方がいい。だったらまずは結婚だと思うと、急に結婚願望が沸いてきて。学生時代から長く交際していた彼に、半ば強引にプロポーズさせました(笑)」

激しいつわりで常勤は断念。
美容に特化しない形成外科医の道を模索。

結婚後も、お互いの仕事の都合でしばらくは別居婚。その後、千葉時代の上司の口添えで東京への赴任が叶い、待望の第一子を妊娠した。その喜びも束の間、激しいつわりが手島先生を襲う。

休暇中に倒れ、食事もとれず体重は5㎏減った。先生の変わりように驚いた上司や看護師たちは身重の体を気遣い、少しでも楽になれるようサポートしてくれたという。その思いに応えたい手島先生は辛くても仕事は休まず、産前6週までフルタイムで診療を続けた。

「医局を頼ってはいけないと思っていましたが、結局いろいろな人に助けてもらい、人の情けが身に沁みました。その一方で、今まで通り医局人事に乗って仕事を続ける難しさも感じていました。二人目は欲しいけど、またあのつわりに襲われたら…。周りの人に多大な迷惑をかけるのが辛くて、医局のローテーションから外してほしいとお願いしました」

仕事より二人目の妊娠を優先する。そこに迷いはなかったが、アルバイト先を探すうちに、形成外科医としての求人案件は思った以上にないことを知った。しばらくの間、健診バイトや皮膚科のクリニックなどでアルバイトを続けるなかで、形成外科の専門性を生かした仕事をしたい気持ちが高まっていったという。

医局を離れた形成外科医は美容に行く人が多いが、専門医として保険医療で社会に貢献したい気持ちが強い手島先生は、美容オンリーの診療には抵抗があった。どうすれば自分の技術を生かせるか悩む先生の道しるべとなったのは、「皮膚科も診られる形成外科医は強い」という気づきだった。

外科的な処置が得意で、皮膚科がある程度診られる。さらに国立国際医療センター戸山病院時代に学んだ、手術をせずに傷を治す“湿潤治療”は将来きっと自分の武器になる。そう確信した手島先生は、大学の先輩の紹介で、関東中央病院皮膚科外来の見学生になり、週1回約1年間皮膚科の基礎を学ぶことに。

さらに、アルバイト先の皮膚科医にもレクチャーを受けた。「先生とは研修医と上司のような関係で、皮膚科を実地で学べたことが大きかったです。私にとってアルバイトの経験はとても意味のある時間でした」

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女医であることが初めてメリットに。
開業してやっと自分の居場所が見つかった。

あらゆる経験を糧にし、収入ゼロの窮地をチャンスに変え道を切り拓いてきた手島先生。今年、開院5周年を迎えた「てしまクリニック 形成外科・皮膚科」は小さな子どもから高齢者まで老若男女が通う地域の頼れるクリニックとなった。手島先生の“武器”である湿潤治療は、やけどや傷を「痛くなく、早く、きれいに治せる」と、幅広い患者から好評だという。

「手術がメインの形成外科で、湿潤治療をおもしろいと感じる医者は珍しいと言われました(笑)。私の知識や技術は、医局にいてもそれほど重宝されなかったでしょう。でも、クリニックでは多くの人に喜んでもらえる。そこに気づいてよかったです」

最近は患者から「女医さんでよかった」と言われることも多く、女医であることをメリットに感じる機会が増えたそう。

男性医師に皮膚のできものや傷跡を診られることを恥ずかしいと感じる方はすごく多いのです。女医である私が診ることが、患者さんの安心感や恥ずかしさの軽減につながるので、やりがいがあります。大きな病院で働いている時は、女医は体力がないし、特に子育て中の女医は使いづらいという雰囲気があり、女医であることに負い目を感じていました。今やっと存在価値を認めてもらい、自分のいるべき場所が見つかった気がしています」

また、「母親になることは、女医の強みになる」とも語る。

「1日3回軟膏を塗れといっても、塗れない時もあると気付いたのは、子どもができてからです。塗れないことを叱るより、どうしたら塗りやすいかアドバイスすることがママたちの安心につながります

男の子2人を育てていると、親がどんなに気を付けていても子どもはケガをするものだとわかります。母親になれば自分の経験値が上がるので、ママたちの気持ちを理解しながら、よりきめ細かい対応ができる。それがママ女医ならではの強みです」

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女医が仕事を続けるためには
夫も子ども、両親もチームの戦力。

開業時は幼かった子どもたちも、今や小学5年生と3年生に。「働くママにとって家族はチーム。うちは、夫はもちろん、息子たちも立派な戦力です。みんなお手伝いを頑張ってくれていますよ」と手島先生。

テノール歌手の旦那様はなんと小学校の同級生! 手島先生の1年ごとの地方転勤、突然の逆プロポーズにもいつも穏やかに対応してくれた貴重な存在だ。声楽家の母に育てられ「家事は何でも自分でやる」ことが当然との考えで、2人の息子たちもパパをお手本に、率先して家事を手伝うという。

「息子たちはお世辞にも勉強ができるタイプじゃなくて(笑)。だからといって、親がガミガミ怒っても伸びるわけではありません。そこで、うちでは子どものモチベーションをあげるのに家事を活用しています。掃除や片付けなどは毎日繰り返すうちに上達が見え、何より、親が子供に『ありがとう』と言う機会が増えるのがいいですよ」。

家事は身の回りが整い、結果的に自分を自由にしてくれるというプラスの発想が子どものやる気を後押しているそう。

まだ子どもが小さく手がかかる時期にクリニックを開業し、無事に軌道に乗ったのは、近くに住む両親、夫の両親のサポートがあってこそだと手島先生は言う。

「特に、義父・義母が私の仕事に理解があることが有り難いです。実は、開業に最後まで反対していた母を説得してくれたのも、実母のママ友でもある義母でした。

医学部を卒業するとき私が『これから忙しくなるし、地方の勤務も続いてほとんど会えなくなるかもしれない。それでも私と付き合ってくれるの?』と主人に聞いたときは彼もさすがに深刻になり、思わず親に相談したそうです(苦笑)。そんな時『大丈夫よ! 何とかなるって!!』と言ってくれたのも義母です」

紆余曲折を経て、地域医療に自分の居場所を見つけた今、たった一つ心残りなのは、医局人事から抜けたことで、育ててくれた大学病院に十分な恩返しができなかったこと

「医局にお世話になった分、後輩のためには、何でも協力するつもりでいます。一つ助言するならば、医師という希少価値の高いライセンスを得た以上、専業主婦にはならないほうがいいよ、ということ。スペックの高い女医が医療の現場から離れて、その圧倒的なエネルギーを息子や娘の教育に注ぐと、子どものほうが大変ですから(笑)」

女医はキャリアをライフステージに合わせて細かく軌道修正していけるので、今では女性で良かったと実感しているという。

医局・アルバイト時代、子育てなど、その時々の学びや出会いを常に大切にしてきた手島先生。すべての経験は、自分の足で立って生きていくためのプロセスだと思えば、何一つ無駄なことはない。曇りのない笑顔からは、いかなる局面でも揺るがず突き進む情熱としなやかさにあふれていた。

手島玲子(てしま・れいこ)先生

 

東京生まれ。東京大学理IIに入学するも、医師を目指し東北大学医学部を再受験。2000年に卒業後、東京大学医学部形成外科教室に入局し、東京大学医学部付属病院、旭中央病院、静岡県立こども病院、国立国際医療センター戸山病院などで形成外科を習得。関東中央病院皮膚科見学生などを経て、2012年に『てしま皮膚科・形成外科』開院。2児の男の子のママで、夫はテノール歌手。

  文/岩田千加

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