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2017年10月09日

“こころ”と“からだ”の両輪で女性の笑顔を支える
-産婦人科医・心療内科医 小野陽子先生-

現在、産婦人科専門医と心療内科医の二足のわらじで活躍する小野陽子先生。「女性を救う仕事に就きたい」という、幼い頃からの思いを叶えるため、迷わず選んだ産婦人科医の道。しかし、第1子の出産を機に、“こころ”と“からだ”が両輪でつながる医療の必要性に気づきます。「今の時代、真の意味で女性に寄り添えるのは、揺れ動く女性たちの“こころ”と“からだ”の両方を専門的にケアできる医師ではないか」。そんな強い思いを胸に、新たな自分の役割に挑む歩みを、じっくりと伺いました。

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女性の身体を救う産婦人科医になりたい

取材時は第2子妊娠中で、産休中だった小野陽子先生。「もう、いつ産まれても大丈夫です」と微笑む姿は、周りの者まで幸せにするオーラがある。

産休直前までは、聖路加国際病院・女性総合診療部の非常勤医、対馬ルリ子女性ライフクリニックでの婦人科外来に加え、東邦大学大学院で心療内科を学びながら、同大学医療センター大森病院で心療内科の外来も担当するなど、精力的に仕事と勉学とをこなしてきた。

産婦人科と心療内科の二足のわらじを履く理由について尋ねてみると、
「ストレス社会を生きる現代女性を支えるためには、“からだ”だけでなく“こころ”も専門的に診られる産婦人科医が必要です。しかし、まだまだ足りてないのが現状で、私自身が心療内科について学ぶことに決めました」

確かに、こころとからだは両輪。その両方の専門知識を有する産婦人科医がいてくれれば、どれだけ心強いことだろう。

小野先生の根底にある「女性を救いたい」という思いを紐解くには、幼少期までさかのぼる必要がある。先生は「女性の胸はなぜ大きくなるの?」など、女性の体の不思議を敏感に感じ取るような子どもだった。また、幼い頃から「将来は女性を助ける仕事がしたい」という、漠然とした思いがあったそうだ。

「最初は法律で女性を救う検事になろうと思ったんです。小学生の時に、かっこいいという理由だけで、親に六法全書を買ってもらいました(笑)。でも、高校時代に私自身が体調を崩し、何よりも大事なのは健康だと気が付いたのです。当時は、女性特有の体調不良を助けることができる職業は産婦人科医しか思い浮かばず、産婦人科医になるために医学部に入学しました」

岩手医科大学医学部に進学。アーチェリー部にも所属し、岩手県代表選手として国体に出場する一方で、部のまとめ役として組織を統率する力も磨いていく。小児病棟に長期入院中の子どものためのプレイルームにも足繁く顔を出し、できる限り一緒に時間を過ごすなど、大学での学生生活は非常に充実していたという。

部内初、初期研修2年目で出産も
産後6週で復帰、半年後に当直も再開

在学中の地域研修や、日本全国の病院見学の中で、医療における「医者は偉いもの」「医者の言うことは絶対」といった感覚には「違和感があった」と打ち明ける。

患者にとっては “お医者様”だが、医師も患者も同じ一人の人間のはず。
「『対等な医療って何だろう』と考えてしまって…。患者さんが人生の大きな決断を下さなければならない時に、医師が現状をわかりやすく説明し、最善の医療策を複数提供したうえで、患者さんご自身が納得のいく治療を選択できる。そんな医療はないのかと、真剣に考えるようになりました」

転機となったのは、日野原重明医師の本を読んだことをきっかけに、学部の5・6年生の時に聖路加国際病院を見学したことだった。聖路加の「人を尊重する姿勢」に感動し、そういう医療を「ここで学びたいと思った」という。

初期研修から同病院で研修を積み、ブレることなく産婦人科の道へ。
「聖路加はインフォームドコンセントが徹底されており、人の温かみを感じる医師が多いんです。患者さんにとっての医師も『お医者様』ではなく、誰々先生という一対一の関係。『●●先生に出会えてよかった』とおっしゃいます。自分の理想に近い医療に出会えたことはとてもラッキーでした。でも、産婦人科の現場は想像以上に過酷で、忙しかったです(笑)」

実際、日勤後に休む間もなく、休日当直へ突入。その当直明けに、更に休みなく部のカンファレンスに通常業務、学会プレゼンチェックに手術記録チェックなど、約50時間働き詰めという日も稀ではなかった。過労で倒れそうになったことも、1度や2度ではない。さらに、初期研修2年目での妊娠・出産が、小野先生の心身を一層追い詰めていく

「同病院の女性総合診療部で初期研修医が出産したのは、たぶん私が初めてです。今でこそ女医のワークライフバランスへの配慮がありますが、当時は専門医を取得するまで妊娠を控えるように、と言われても、珍しくない時代です。出産後も、変わらずキャリアを積ませてくれようとする病院に迷惑をかけたくなくて、出産前日まで仕事をし、産後6週間で復帰。半年後には当直も再開しました。復帰後しばらくは、搾乳しながらカルテを書く日々でした(笑)」

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出産後の “揺れ”で気づいた
“こころ”と“からだ”がつながる医療の大切さ

「正直、産後しばらくの記憶はありません」と笑う小野先生。
育児の忙しさは、当直の比ではなくて(笑)。特に、出産直後は眠れない、食べられない。こんなにも心身の疲弊が続く状態は、今までに味わったことがなく、別格の辛さでした。仕事に復帰すると、自分の心の揺れを肌で感じることがさらに増えて…。育児中の患者さんの心が揺れるのも当然だと気づきました」。

奇しくも、第一子の出産が、“こころ”と“からだ”の両面から、患者と向き合う医療の必要性を、小野先生に痛切に気づかせることになる。先生自身も「専門に入る前に、このことに気づけたのはよかった」と振り返る。

産婦人科医となった後も、自身の“からだ”の変化を受け入れられず苦しんだり、戸惑う患者さんを目の当たりにするたびに、その思いは一層強くなっていく。

小野先生には今でも忘れられない女性がいる。40歳の末期の卵巣がん患者だ。すでに施せる治療はなかったが、両親は一日でも長い延命を希望し長期入院を切望していた。本人は自分の殻に閉じこもり、医療者もどう扱っていいかわからない状態だったという。

小野先生はできる限り病室に足を運び、話をするよう心がけていた。折を見て「『本当はどうしたいの?』と聞いてみると、ぽつりと「家に帰りたい」。本心を、ようやく打ち明けてくれたそうだ。

「その後は『本当は最初から帰りたかった』と、堰を切ったように号泣されて…。我々スタッフもご本人の意志を尊重するため、ものすごいスピードで在宅の受け入れ体制を整え、1週間後に笑顔でご自宅に戻っていかれました。このような要望に速やかに応えられたのは、聖路加という病院であったからこそだと思いはしますが、その方の笑顔を見た時に、治療は病気やからだを診るだけではなく、“こころ”と繋がっていなければいけないと強く感じました。今は、絡まっていたり、ほどけかけたりしている“こころ”と“からだ”の結び目を整えるサポーターに私がなれたらいいなと思っています」

 

“こころ”を知ることで広がった
産婦人科医ができること

“こころ”と“からだ”の両面で診られる医師をめざすと決めた小野先生は、2016年に東邦大学心身医学講座大学院に進学。“こころ”について学ぶと同時に、『NPO法人 女性医療ネットワーク』の次世代委員会に所属。日本女性心身医療学会では本年度大会事務局を担い、シンポジストを務めるなど、女性の心身の健康に貢献することを目的とした活動を行っている。
心療内科や精神科の医師との連携も大切であるが、産婦人科医自らが心身の健康を診ていく必要性について、小野先生は次のように説明する。

「更年期障害だと思っていた方が実はうつ病だった…など、体だけ診ていてはどうしても抜け落ちてしまう部分があります。女性の場合、介護やお子さんの問題、職場の人間関係、社会的要因などが複雑に絡み合って、うつ病を発症しているケースが多い上に、ホルモンも関わってきます。

 

医師側に体、心、ホルモンの3つの知識があれば、それぞれの効果を考慮した、よりきめ細かい治療が可能になるのです。私自身、心の勉強をしたことで、女性の不調がどのようなメカニズムで起こり、それに対してどのような対応ができるのか、一人ひとりに合った治療法を提案できるようになりました。これからも、女性心身医療学について学びを深め、患者さんに還元し、健やかに過ごしていただくお手伝いができるよう頑張っていきたいです」

その第一歩として、対馬ルリ子女性ライフクリニックで外来を担当する際には、「女性心身医療学的な外来をしたい」と自ら打診。理想の女性医療のあり方を模索中だ。

小野先生の目下の目標は、現在日本には12名しかいない、産婦人科と心身医学の両方の専門医資格を取得する医師になること。
家事や育児などの伝統的な女性の役割と、社会進出する新しい時代の女性像の狭間で、心身ともに不安定な状態に陥りやすくなっている女性たちをケアする側の専門家が全く足りていない状況だという。

「今後は、患者さんにこの医療をどうやって広めていくかが大きな課題です。女性医療ネットワークや学会での講演、コラム執筆など、正しい情報がより多くの方に伝わるような発信方法を模索している最中です。

その一つとして、女の子の月経が始まったら、母親のかかりつけの産婦人科医から、月経について正しい知識を得られるようなシステムを作れていけたらと考えています。月経はつらいものではなく、将来出産できる女子の特典と感じてもらいたい。婦人科で知識を得ることで、自身で月経をコントロールし、快適に過ごせるようになる。そんな思いで、思春期の指導講習にもさらに力を注いでいきたいですね」

高い復活力を持つ女性たち
揺れ動く気持ちに寄り添い、女性の健康を支える

同じ女医として「ドクター自身も心と体を見つめてほしい」とアドバイスを送る。
人生は大切な一本の糸で結ばれている。自分の人生の目標のなかで、今どのあたりにいるのか。「悩んだ時には立ち止まって考えてほしい」という。

「途中で人生の糸の色が変わったり、寄り道をしたりしても、過去も未来も必ず一本の糸でつながっていることを感じもらいたいのです。女性の復活力(レジリエンス)って大きいですから、自信をもってほしいですね。だって、私たちの母親はみんなあの過酷なお産を乗り越えて、見事に復活するじゃないですか」

レジリエンスとは、困難な状況にあっても、しなやかに適応して生き延びる力のこと。
第1子の出産を機に、女性独特の心の揺れに気づいたのは、少女時代から「女の子って何なんだろう?」と興味を持ち続けた小野先生ならではの強み。そして、さらに“こころ”と“からだ”の両面で支える診療スタイルを自ら見出し、行動に移した柔軟性こそ、小野先生のレジリエンスの高さだろう。

「女性に寄り添いたい」という明確なゴールを持ち、困難をも強みに変える。そんなしなやかで逞しい小野先生を支える原動力は、自らの家族の存在に他ならない。

「私が今も医師を続けていられるのは、第1子の出産後から上京して、育児を助けてくれている実母のおかげです。それを認め、愛媛で一人暮らしを続けてくれている父、同じ産婦人科医として私のやりたいことを理解し、協力してくれる夫にもいつも感謝しています。もうすぐ新しい家族が増えますが、これからもちゃんと気持ちを言葉で伝え合える家族でいたいです」

女性には竹のようにしなやかで、決して折れない柔軟な強さがある。育児と仕事の両立にもがきながらも、「女性を救いたい」という強い思いと豊富な知識で、小野先生は今後も女性たちに寄り添いながら、その心身の健康を生涯支え続けてくれることだろう。

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小野陽子(おの・ようこ)先生
愛媛県出身。2011年岩手医科大学医学部医学科卒業。聖路加国際病院で初期研修、聖路加国際病院女性総合診療部で後期研修を経て、同病院女性総合診療部へ。産婦人科専門医。産業医。日本産科婦人科学会認定女性ヘルスケアアドバイザー。日本性機能学会代議員。2016年から東邦大学大学院心身医学講座在学。28歳で第1子を出産。東北のお酒の美味しさに魅せられ、大のお酒好きに。夫婦で晩酌をし、その日あった出来事を語り合うことが夫婦円満の秘訣。

 


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