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2015年09月18日

冒険家・三浦雄一郎を支えた国際山岳医の挑戦。 
未知なる世界だから見える景色がある。

日本初の国際山岳医となり、冒険家・三浦雄一郎さんのチームドクターとしてエベレスト遠征に参加した大城和恵先生。自身のライフワークである登山と医師キャリアが結びつき、目標であった全身を診るジェネラル・フィジシャンとして活躍の場を広げています。誰と比べるわけでもない、自分らしい道の見つけ方のヒントを伺いました。

大城和恵先生

1967年長野県生まれ。日本大学医学部卒業後、
同附属第1内科に入局し、内科専門医を取得。
2002年より北海道に移住し心臓血管センター
北海道大野病院に循環器内科として勤務する。
趣味の山登りを通じて山岳医の重要性を知り、
2010年に日本人初の国際山岳医の資格を取得。
翌年、北海道大野病院に山岳外来を開設する。
2013年には冒険家・三浦雄一郎氏のチームド
クターとしてエベレスト登山に参加。山の事故
を減らすための講演会を行うなど幅広く活躍。

ギリギリのコンディションで見せた三浦雄一郎さんの底ヂカラ。
「生きること」が愛おしく思えた。

 私は2013年に冒険家・三浦雄一郎さんのエベレスト遠征のチームドクターとして参加しました。三浦さんは80歳という高齢に加えて四度の不整脈の手術を受けていたので、とにかく準備が大切でした。何か起きたときに対応するのではなく「起きないようにする策」をたくさん練っておきました。それだけ山の事故は重篤な結果につながる可能性が高いんです。

三浦さんはエベレストの隣にあるプモリという標高7161mのキャンプ1(5900m)山を行ったり来たりの高所順応を行ってから、山頂にのぞみました。登りが5日で下りが2日の計画。登頂のタイミングを天気のいい日に合わせて出発。予定通りの日程でエベレスト登頂という3度目の偉業を成し遂げました。

しかし、登山は無事に戻ってきてこそ成功。登頂から6時間後、三浦さんが動けなくなったという一報が入ってきました。私は標高6500mのキャンプ2で待機しており、突然の無線に緊張が走りました。三浦さんに同行している息子さんから話を聞くと、心臓発作、脳浮腫、高山病の症状ではなかったので、極限の体力消耗状態と判断。まずはコンディションを立て直す必要があったので、水分とカロリーを摂ってもらうように伝えました。具体的な目標があったほうがいいと思い「水を1日2ℓ飲んでください」と提案。ふつうは高所で酸素不足だと胃腸が働かないので大量の水を摂取できないのですが、三浦さんは1.5ℓも飲んだそうです。「三浦さんは本当にすごい、生命力のかたまりみたいな人」と感動しました。その後、何とか動けるようになって無事に下山し「帰ってきたよ」という三浦さんに「おつかれさまです」と言葉を交わし、ほっとしたことをおぼえています。生死を分ける過酷な環境から帰還した三浦さんの姿を見て「生きることは愛おしい」とつくづく感じました。

エベレストのキャンプにて

 住みたい場所で仕事をしたいから、35歳のときに札幌へ移住。

私のキャリアのスタートは都内の大学病院の内科。ジェネラル・フィジシャンという全身を診る医者になりたいと思っていたので、血液、免疫、呼吸器などひと通りを勉強させてもらい、免疫の専門医を取得しました。勤務して10年ほど経った頃、病院の再編成時期だったのをきっかけに将来について考え「次は住む場所から仕事を見つけよう」と思ったんです。そこで浮かんだのが北海道。理由は冬にスキーによく訪れていた場所で、趣味の登山がしやすいから。当時は私のようなライフスタイルの人がいなかったので、「どこの馬の骨ともわからない奴が北海道に逃げてきた」と思われていたみたいです(笑)。

循環器系を勉強したいと考えていたので『心臓血管センター 北海道大野病院』の循環器内科にお世話になることにしました。こちらでは循環器だけでなく合併症を患っている方を診させてもらっていたので、より全身を治療するスキルが身についていったと思います。

 高山病の登山者の処置に自信が持てなかった。
それが国際山岳医を目指すきっかけに。

仕事で忙しくてもオンとオフの切り替えはつけるほうなので、時間を見つけて国内外の山を登っていました。ネパールで登山をしているとき、高山病にかかっている方と遭遇したんです。SpO2(経皮的酸素飽和度)を計ってみると40%程度。深く呼吸させると70%ぐらいまで上がるので、呼吸法の指導と水分補給という原始的な対処法を試みました。結果的には正しい処置だったのですが、果たしてこれがベストなのか自信がなかった。そこで、山の医療について勉強したいと思い、ヨーロッパの先生から国際山岳医制度のことを聞き挑戦することにしました。

英国で年4回行われる国際山岳医プログラムに参加するため病院をいったん退職。1回の研修は1週間なので、合間に日本に戻ってアルバイトをして資金を作るという生活を送っていました。世界の山を知っておくことも大切だったので、プライベートでヨーロッパやアメリカの山々に登っていました。途中で高山病や凍傷の症状が出たりして、自分が痛い目にあうことがとても勉強になりました。山岳医を目指した1年間は、次のステージに行くための必要な助走期間でしたね。

↑フランスでの登はんトレーニング

↑6194mのデナリ(マッキンリー)に登頂

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病院から一歩外に出れば“先生”だらけ。
山岳医は人生までも豊かにしてくれた。

国際山岳医免許を取得してからは、再び北海道大野病院に非常勤として勤務。同時に「山岳外来」を新設させていただきました。山で必要なのは「予防」なんです。山での死亡原因で多いのが外傷、心臓発作、低体温症の3つ。登山をする前に心臓の検査をしたり、体調管理のポイントをアドバイスしたりなどの登山の準備に重きを置いています。山で困ったときに誰かに助けてもらうのではなく、自分の足で降りる知識を培うための医療サポートをする。救助をする側は命がけなので、登山者が自助能力を獲得し、必要のない救助が減り「安全な登山の文化」が育つことを目指しています。

山の医療をしていて実感するのが病院の医療とは180度違う点。病院での治療目的は病状を快方させることですが、山では状態を悪化させずに病院まで運ぶことが使命です。私が登山者に対してよく使うのは意外にもバンドエイド(笑)。外傷が多いですからね。あとは脱水症状の方が頻繁にいらっしゃるので、経口補水液OS-1の粉末タイプを持参し、水筒の水で溶かして水分補給をしてもらいます。

山ではその場にあるもので対処するので視野を広く、頭をやわらかくすることが大切。骨折した方にストックの柄を足に当ててサランラップでぐるぐると固定したら、搬送した病院の方に「サランラップいいね!」といわれたりしました。

山岳医の魅力はいろいろな“先生”に出会えることです。登山者、山のガイドさん、遠征隊のメンバーなど違う分野の方たちから学べることがありがたいし、楽しい。現場で“発明”が生まれることもあるんですよ。例えば警察の救助隊の方に「低体温症は体の接触面積を広くして温めたほうがいい」と伝えたところ、「じゃあ、プラティパス(袋状の水筒)にお湯を入れて湯たんぽにしよう」とアイデアが飛び出したり。現場で活躍している方々は発想が豊かなんです。

↑北海道警察の救助隊と合同パトロール中に熱中症の登山者を救護

↑救護隊と合同想定訓練を行う

唯一残念なのが子供を持てなかったこと。
プラスもマイナスもひっくるめて人生は面白い。

 私の生き方は王道のレールから外れているかもしれませんが、よくいえば自分の適性を見ながら選んできた気がします。飽きっぽいので、興味のある分野にチャレンジしていくことが向いている。だから、山岳医の世界に飛び込む際に躊躇はありませんでした。キャリアをステージに分けて考えて、新しい環境に身を置くと、違う筋肉が鍛えられ視野が広がります。振り返ると、常勤医の時に押し付けられたと思いながらやってきた仕事が、今とても役立っている。目の前のことを一生懸命やってきたことが無駄ではなかったと実感しています。収入面では不安定さがありますが、非常勤と山岳医の両立の生活が今の自分には合っていますね。

私は好きなことしかやってこなかったので、人生の中で何かをあきらめたことはありせんでした。ただ、子供が欲しかったので、それだけは残念ですね。だったら、若いときに妊娠しておけばよかったかというと、それもタイミング。今のパートナーと10年前に出会っていたら子供を作っていたでしょうけど、思うようにいかないのが人生。将来はフランスとイタリアの国境の町で山登りをしながら暮らすのもいいかなとか、いろいろと夢を描いています。

山岳医としての目標は、山岳遭難が少しでも減ることです。まだ草の根的な活動ですが、予防に力を注ぎ社会の役に立てたらうれしいです。


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