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2018年01月04日

「次は死なせない」挫折と立ち直りを積み重ねてきた
リアル『コード・ブルー』女医の日常と結婚
――公立豊岡病院 但馬救命救急センター 医長 番匠谷友紀

『日本一忙しいドクターヘリ』が活躍しているのは公立豊岡病院 但馬救命救急センター(兵庫県豊岡市)。年間出動件数1926件(2016年度実績)、鳥取県から京都府北部までの半径80キロ、対象人口約80万人をカバーし、365日あらゆる重症患者を受け入れている。番匠谷氏は8年前、同センターのセンター長・小林誠人氏の要請を受け、センター立ち上げメンバーとして赴任した。あらゆる医療現場の中で、最も過酷と言われる救命救急は、屈強な男性でも音を上げる職場。そんな世界でも彼女は決して逃げださず前を向き、患者を救い続けてきた。原動力と強さの理由を探った。

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次は絶対に助けたい
症例に導かれ、今がある

2017年秋も、ドクターヘリの現場を描いたドラマ『コード・ブルー -ドクターヘリ緊急救命-』(フジテレビ)の新シリーズが放映され、総合視聴率(録画視聴率含む)平均24.2%を記録する大ヒットとなった。人気の秘密は千葉北総病院の監修によるリアリティ(そこはテレビドラマなので、ありえないシーンもあるらしいが)と、山下智久、新垣結衣、戸田恵梨香といった若手人気俳優陣が演じる、生と死をめぐる青春群像劇という点だろう。今の日本で、これほど死と隣り合わせの世界は、救命救急以外にはない。その事実の重みが、ドラマであっても視聴者の胸を刺すのだ。こんな日常を生きている人は、一体どんな人なのか。

「お待たせしました、番匠谷です」

 ブルーの制服に身を包み、きびきびした動作であいさつしたその人は、スリムな体型ながら、か弱さはまったく感じさせない、かっこいい女性だった。まずは、フライト・ドクターになるまでの経緯を尋ねた。

「もともとは産婦人科志望でしたが、研修医時代に受け持った患者さんが、出血性ショックを起こして亡くなってしまったことがきっかけで救急の世界に入りました。本来なら、急いで点滴や輸血をしなければならないところ、その時の私はどうしていいか分からず、上の先生が処置されているのを見ている以外出来なかったのです。それが悔しくて研修終了後、救急の勉強をしようと、京都の救命センターで働きはじめました。

 

1年間だけ勉強して、また産婦人科に戻るつもりだったのですが、辞めたくなくなるぐらい救急の仕事が好きになってしまい、今に至っています

 

小林センター長とは千里の救命センターに短期研修で行った際に出会い、指導していただいた関係です。8年前、こちらのセンターを立ち上げる際『一緒に来ないか』と誘っていただき、務めていた京都の病院を辞めて着いてきました」


「写真を撮られるのは苦手」シャイな笑顔を見せてくれた番匠谷氏。死の淵から患者を連れ戻す――強靭な使命感と夫である“米田君”の優しさが、彼女のヘヴィな毎日を支えている。

小林センター長は、福知山線脱線事故等、数々の大災害現場で陣頭指揮を執ってきた凄腕救急医であると同時に、地域の救急医療体制の卓越した改革者でもある。但馬救命救急センターをゼロから立ち上げ、新しい試みを次々と導入、ほんの数年で同地域の救命率を急上昇させ、ドクターヘリの出動件数を日本一に押し上げた。その小林氏が仲間として認めるというのは、相当なことだ。

「産婦人科医をめざしたのは、女性の味方になりたいと思ったからでした。小学生の頃は剣道、中高は陸上の短距離、大学ではバスケ…というようにずっと運動部に在籍し、女性としては結構体力も根性もあるほうでしたので、弱い人を守ってあげられるのではないかと思いました。

それなのに、出血性ショックに陥った患者さんを助けてあげられなかった。そのまま自分が産婦人科の道に進んでも、また同じようなことが起こり、また助けられないだろう。そうしないために、救急を学びに行きました。

でも救急に行ったら行ったで、外傷の患者さんや重症の感染症の患者さんなど、その時の自分の実力では助けてあげられないことが結構ありました。
それで、もっと勉強して、次はちゃんとできるようになりたい、こんな重症の人も助けることができるようになりたいと思うことがどんどん増えてしまい、結果、救急医をずっと続けることになりました」

 厳しい経験にへこたれず、何度でも立ち上がるタフさ。現状に満足せず、高みをめざし続ける、あくなき向上心。ほんの少し言葉を交わしただけでも、彼女の強さが伝わってきた。

フライトドクターに必要なのは「周りを見る」スキル


秋の夕陽に照らされた公立豊岡病院 但馬救命救急センター(兵庫県豊岡市)。ヘリポートは、右手奥にある。

「実は、ドクターヘリの存在は、センター長に誘っていただくまでは知りませんでした。また、ドクターヘリやドクターカーで急行し、病院外で救命士の方々と一緒に診療する『病院前診療』も初めて経験するものでした。京都にはそういうシステムは無かったので」

 赴任当時のことを振り返る番匠谷氏。設備も人手もある院内を出て、外で診療することに不安はなかったのだろうか。

「中と同じことをしようと思うと無理ですが、病院前だからこそできることがあります。
 つまり、病院前診療は、院内での治療につなげるためのもの。つなぎですから、いかに円滑に院内につなぐかが大事。歯車の一部を担うため、周りを見ながら回していくことに努めていたので、外だから不安ということはありませんでした。特に、怖さもなかったですね。

というのもうちは2フライトドクター制と言って、自分以外にもう1人、監督役のファーストドクターが乗っているんです。私の場合、最初の頃はたいがいセンター長とペアだったので、あんな強い味方がいれば、怖い事なんて全くないですね(笑)

周りを見ながら回すために、最も重要なスキルはなんだろう。

「スキルじゃないですが、センター長を見ていて感じたのは、救命士さんとのコミュニケーションが大事ということ。救命士さんのお名前を、ひとり一人覚えるというところから始めました。病院前診療を一緒にやって行くなかで、『救命士さん』と呼びかけるのではなく、ちゃんとお名前を呼んで『これこれしてください』と言うのでは全然違うのです。

 

あと現場には、救命士さんと医者以外にも多職種がいるので、全員の動きを広く見ることが必要です。患者さんだけを診ていると、周りが見えなくなるんですね。

 

パイロットさんとか、周りの動きを見ながら、どうしたら一番円滑に、病院へ早く行けるのかを考えれば、この患者さんに必要な処置は何で、ここで何をして、どういうふうに動かせばよいかが見えるので。全体を見て、必要なモノをぱっと的確に判断する、指示するというスキルが、病院前に出る人間には必要だと思っています」

 こうして、日本一多忙な現場で経験を積み、スキルを磨いた番匠谷氏は、今ではファーストドクターとして、後輩の若手フライトドクターと一緒に飛んでいる。

「当初9人だったドクターも、今では15人に増え、私も学年が上がったので、指導的な役割を任されるようになりました。
たいがいのミッションは、普通に平常心でやっていれば何の問題も無くできますね。時々、多数傷病者であるとか、極めて重篤な症例のときのみ、ファーストの本領を発揮しなければならない時があって、そういう時はちょっとアドレナリンが出ているんですが、それ以外は、平常心でできているかなと思います」

 アドレナリンが出るのはやはり外の仕事だろうか。

「アドレナリンはともかくとして、外でできることは限られており、外だけで救命できるということは絶対にありません。あくまでも、内がしっかりしているところに搬送して来るからこそ救命もできるので、ドクターヘリでの仕事に対しても、病院内での仕事に対しても、同じように誇りを持っています。このセンターのそういうスタイルが好きなので、大切にしています


メディアの取材を受ける小林誠人センター長。2017年秋は、『プロフェッショナル仕事の流儀』(NHK)にも登場。注目度、知名度ともに抜群だ。

「ドクターカーより揺れない」
ドクヘリあるある


同センターのドクターヘリは119番通報から治療開始まで平均20分、救急車を飛ばして1時間かかる場所からの搬送も含め、病院搬入まで平均37分、1分1秒を争う事態に対応する(※番匠谷氏提供)

救急医として、打つべき手はすべて打てるようになり、助けられなかったという敗北感を味わうことも、ずいぶん減ったという。

「気管挿管、止血、血管内止血治療など、昔の自分なら出来なかったけど今はできるようになった手技は増えましたね。ヘリの中で、止血のための開胸手術もします。行っている施設は少ないそうですが、うちはセンター長が普通にやっているので、開胸手術のほか気管挿管なども最初の頃から行っています。


 ヘリの中で手術するのは大変だと思われるかもしれませんが、狭い以外は、救急車よりは揺れないので、やりやすいですよ。風がめちゃめちゃ吹いている時は当然揺れますが、そうでないときは、ヘリは案外揺れない乗り物です。

 

 例えば、くも膜下出血の初期治療では,搬送中の再破裂を予防するため、刺激を避けることが重要ですが、救急車単独での搬送より、ドクターヘリで鎮静薬を使用しながら搬送した方が再破裂が少なかった、という研究データもあります。それくらい、ヘリは揺れません」

 これはフライトドクターだからこそ分かる事実だろう。それにしても、救命活動と共に学会での研究発表も行っているというのもすごい。

「病院前診療に特化した学会発表ではなく、うちの特色を活かしたよさを発表するようにしています。たとえば病院前診療をした外傷患者さんを、うちの施設はそのままダイレクトでCT室に運んで検査するという工夫をしています。本来、初療室でやるべきことを、搬送中に全部やっているという前提でCT室に直入すると、救命率が改善するということが分かったからです。これは、最近学会で発表しました。

 

一般的には、救急車で搬送されてきた患者さんはまず、救急外来の初療室で全身に大きな問題はないかを診てからCTを撮るのが普通の手順です」

当直の後のヘリ勤務
力尽きて行き倒れたことも

 体力的にも時間的にもかなりの激務と見たが、実際どうなのだろう。

「昔はきつかったですね。特に、センター開設時には、ドクターが9人しかいなかったので、当直の際は2人でICUと救急外来を診なくてはならず、実質1人で救急外来を回していました。救急車で搬送されてくる方も、ウォークインの患者さんも診ていました。当直明けの日がヘリでの勤務だったんですよ。『当直がんばったご褒美としてヘリに乗らせてあげるよー』みたいな感じで(笑)。ハードでした。シャワーも浴びず、頭とかベタベタの状態で朝8時~5時とか、夏なら6時とかまでヘリに乗っていたので。終わった後はもう疲れて。病院から家に帰る力が残っていなくて、そのへんで行き倒れていたこともあります。それくらいしんどかったのは間違いないですね。

でも徐々にドクターが増え、大変さはずいぶん緩和されてきました。ただ昔はそれが当然と思っていたので、あまりしんどいとは感じていませんでしたね」

 なんとも過酷な勤務体制だが、休日は。

当初から週2日、休みがありました。その日は完全オフで、自分の担当患者さん何か起きても、病院にいるスタッフが対応してくれることになっているので、仕事から完全に解放されます。但馬地域から離れて、京都とかに出ていても、絶対に電話がかかってくることがないので、そういう点で、働く時間はすごいしんどいけど、オフの日は完全オフという切り替えができるので、その点では楽でしたね。

 

 その前に務めていた病院では、24時間オンコールで、担当の患者さんの具合が悪くなったら、自分で対応しなければなりませんでした。なので一旦重症の患者さんを診てしまうと、その後1ヶ月2ヶ月は常に病院の周辺にいなければならず、夜中に3回4回呼ばれて病院に行ったりしたこともありました。そういうのがなくて、オンオフがはっきりしているだけでも、楽だったかなとは思います」

フライトナースと結婚
「彼を尊敬しています」


2012年9月9日(日)「救急の日」。同僚のフライトナース、米田勝一氏と結婚。※番匠谷氏提供

 さて、そんな多忙な毎日を送りながらも2012年、番匠谷氏はめでたく結婚。相手は同僚でフライトナースの米田勝一氏だった。

「私は意外と人見知りで、これまでの人生で、合コンとかもしたことがありません。医療バカなので、同業者意外とお話するのも苦手なので、結婚するなら相手は『医療職でないとムリ』と思っていました。

 

その点米田君は、千里救命センター時代からの知り合いで、このセンターの立ち上げの時に、私と同じく小林センター長に誘われて赴任した人間です。
お互い、相手の仕事をしている姿勢に魅力を感じ、交際し始めました。救急好きの人間らしく、9月9日に結婚式をしました

 女医という職業は、異性との出会いの機会は限られているというが。

「私の周囲は、学生時代からの相手と結婚している例が多いですね。もしくは初期研修医の頃に同僚か上司と結婚するパターンか。正直、学年が上がるほど男性は既婚率が増え、チャンスが減るのは事実です。私の周りは、結構独身が多いですね。
でも結婚がべつに、人生の正解だとは限らない。独身で、仕事メインで頑張っておられるのも素晴らしいと思います」

 とはいえ、夫婦で同じ職場で働くのは、やりづらくないのだろうか。

「やりやすいですよ。医師と看護師さんの仕事はぜんぜん違うので。
看護師さんは、私から見たら自分では絶対できないなと思うことをされているので、すごく尊敬しています。一番患者さんのそばで、24時間寄り添っているのは彼ら彼女らなんですよね。なので、たとえば『今日あの人どうだった』と私の担当患者さんについて聞くと、看護師さんは細かく情報を教えてくれます。その中には、私たち医者がつい見逃してしまうような事柄もあるので、すごく助かります。
 私たち夫婦は、家の中での会話もそういう感じですね。病院のことばかりです」

世の中には、「仕事を家庭に持ち込まない」という主義の人も多いが、番匠谷夫妻にとっては、「仕事も家庭も一緒」なのは、メリットだらけのようだ。

「そうですね、いいことだらけです。なぜなら仕事が好きだから。家で仕事の話をするのは苦痛じゃなくて、好きだから
職場でいやなことがあっても、家で米田君に話しを聞いてもらうことでストレス発散できるので、メリット以外何もないです。彼は全部、分かってくれているので。いい人を見つけました(笑)」

未来予想図は分らない
でも救急にずっと携わっていたい

 仕事が本当に好きだということが、ひしひしと伝わってくる。フライトドクターは、女性にお勧めの仕事なのだろうか。

「私は大好きですけどね。女医だからできないということは別にないと思いますし、女医だからこそできることというのも、特にないと思います。
 男性と比べてハンデに感じるのは体力ぐらいですね。
トーマスバッグという救急セットは10キロぐらいあるのですが、現場の近くに降り立って、あれを持って走る時、どれだけ頑張っても彼らの一歩に追いつけない。そういう時は筋力の差を凄く感じます。距離が長ければ長いほど差がつきますからね。
それから救命士にはあまり女性はいないので、決して上から目線にならずに、一緒に協力していくスタンスを示すことを大切にしています。女医として、そのへんは注意していますね。救急医療は今のところ、男社会です」

しかし、これからの時代、女性のフライトドクターや救急医を増やしていくことは、日本社会全体にとっても重要だと言われている。

救急に入ってくる若い年代は増えているのですが、結婚出産を機に辞めてしまい、そのまま帰ってこないパターンが多いみたいで、問題になっています。
救急医療を維持して行くには、出産育児を経験した女医に、また戻って来てもらえるような環境を作っていかないと難しいと思いますね。

 

労働環境の改善は学会をあげて検討されていますが、なかなか難しい問題です。救急医の人数が少なければハードワークを強いられるところも多いですし、1人のためだけに皆で融通するということもできないので。うちのセンターは、センター長が全面的にカバーしてくださるので、本当に感謝しています」

 最後に、今後のヴィジョンを聞いた。

救急は続けていきたいです。できれば,どんどんパワーアップしたい
でも、フライトドクターをいつまで続けるかや、どんなスタンスで救急を続けていくかは、今はわかりません。子どもが出来たら変わるかもしれないし。未来予想図はわからないですけど、カッコイイ救急医でいたいと思っています」

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番匠谷友紀(ばんしょうたに・ゆき)

公立豊岡病院 但馬救命救急センター 医長。
滋賀医科大学卒業。専門:救急医学,集中治療学,救急・外傷外科学。
認定:日本救急医学会救急科専門医、日本集中治療医学会専門医、日本外科学会専門医。日本DMAT隊員、日本航空医療学会認定指導者。

 文/木原 洋美

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