
私、台湾にて出産す~出産1日前「ついに絶食編」
Dr. ミナシュラン! 第13回
Dr. ミナシュラン! 第13回
異国の地・台湾で陣痛に耐えつつも、なかなか子宮口が開かないミナシュラン。しかし、確実にその時は近づいてきており・・・・・・ついに、ミナシュランをミナシュランたらしめている食事もストップ。はたして、空腹にもだえつつその時は迎えられるのか!?
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夜中だが、医大の産科病棟には絶え間なく大きな音が響いていた。
「うぅーん、うぅぅーーーん、痛い、痛い、痛い、痛いぃぃぃ!!!」
陣痛に苦しむ妊婦の声。
……ただし、隣の部屋の。
壮絶な叫び、これが他人事ではないのである。主人と顔を見合わせて、(私も数時間後にはこんな声出しているのかな?)と戦々恐々とする。
「おぎゃーー、おぎゃあーーー」
叫びは、少し後に、1オクターブ程高い叫びに変わる。
「ああ!」
「産まれたんだね」
たとえ声だけであっても、出産というシーンは特別である。まるで隣室の赤ちゃんが取り上げられる様子が目に見えるようで、ちょっとウルっとしてしまう。
そんなラジオ劇が、夜の間に何度か繰り返され、緊張が高まってくる。
「さあ、次は私たちの番だ!」
ところが、私は、そんな感動とは程遠いレベルで、苦悩の時間を過ごしていた。
……、トイレ問題である。
私の体には、点滴と陣痛のモニターが装着してあり、動くためにはモニターを操作しなければならない。即ち、自分ひとりではトイレに行けないのだ。
「あの……、トイレに行きたいんですけど……」
ナースコールを押してまず助産師さんにモニターを外してもらい、主人に付き添ってもらうのだが、これがとても心苦しい。助産師さんたちは忙しそうだし、もう丸一日以上も付き添いで疲れている主人には、夜ぐらいゆっくり休んで欲しい。
が、私は、助けを借りないとトイレに行けない。しかも、妊婦は膀胱が子宮に押されてトイレが近いのに加え、朝からかなりのペースで入っている点滴(と、たくさん食べたお粥)のせいで、夜中も頻繁にトイレに行きたくなるのである。
「下の世話」という言葉は若い患者さんの療養における尊厳のキーワードだったが、私もまさに、その問題に直面していた。「産まれそうです!」と言ってナースコールするのに比べて、「(また)トイレに行きたいんです」と言ってナースコールするのは、ものすごく気が引けるのである。
(ああ、お粥、食べすぎた……)
(あと10分ぐらい我慢しようかな、あと1回陣痛の波をやり過ごしてからにしよう)
(助産師さんたち忙しいかな、うーん、足音からすると……今なら大丈夫かな?)
そんな小さな戦いを経て、決死の思いでナースコールを押す。
「あの……、またトイレに行きたいんですけど……、すみません」
「いいんですよ、いつでも遠慮なく声をかけてくださいね。それより、痛みは大丈夫ですか? 痛かったらまた痛み止めを追加しますから、教えてくださいね」
助産師さんが天使に見えた。モニターを外してもらって、次は主人にお願いする。
「またトイレ。夜中にごめんね、ごめんね」
「何言ってるの、いつでも起こしてよ」
主人は眠たい目をこすりながらも、“キラーン☆”という効果音が聞こえてきそうなスマイルで点滴台を押してくれる。
「ありがとう……、あっ、ちょっと待って!」
またやってきた陣痛の波が収まるのを待ってから移動して、トイレに座りながら、しみじみ思う、「一人では、産めないんだなぁ」(みつをモード)。弱っている今、手を貸してくれる人の笑顔が染みる。
明け方になり、医師の診察があった。そろそろ子宮口も開いているだろうか。開いてきていて欲しい!
「まだ3cmですね」
医師は淡々と言う。それにしても、担当医はすごいと思う。この週末、自然分娩と帝王切開を合わせて数件の分娩があったが、全て一人で取り上げていたようだった。診察も、早朝から夜中まで、何度も見に来てくれた。
自分が僻地の病院に勤めていたころ、夜中や休日に病院に足を運ぶのがどんなにエネルギーを使うことだったか分かっていたからこそ、有り難かった。
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さて、すでに楽しみになったセブンイレブン粥の朝食とプリンのデザートを済ませ、また昼に粥を食べるのを楽しみにしていた頃、助産師さんが診察にやってきた。
「お産、長引いて、しんどいですね。さて、子宮口を見てみましょう」
(開いていますように! 開け! 開け!)
そう念じて診察を受けると、助産師さんはこう言った。
「あっ、開いてきていますよ! 4cmです」
「やったー!!」
富士登山も4合目だ。少しだが、確実にお産は進行しているのだ。
「良かったですね、もう少し! 頑張りましょう。それでは、4cmになったので、これからは絶食です。水分だけ取って構いません」
「えっ……?!」
聞いてなかった。4cmになったら絶食だなんて、聞いてなかった。どうして?! 今からお昼のお粥を食べるのに。お腹ペコペコなのに。
「4cmを超えると、お産は急速に進みます。お産になって、吐いてしまう人がいるので、絶食です」
「ひええええええええええ」
とんかつも食べられず、お粥で頑張ってここまで来たのに、そのお粥まで食べられなくなるなんて、涙目になってしまった。今まで(開け! 開け!)と念じていたのだが、一瞬(ちょっと閉じて!)と思いそうになった。
私は、念のため、確かめてみた。
「あの、お粥もだめですか?」
「だめです」
「プリンもだめですか?」
「だめです」
「ウイダーインゼリーはいいですか?」
「それは、飲み物ですか?」
「そうです」
「じゃ、……いいです」
プリンとウイダーインゼリーの違いにどんな医学的根拠があるのだろう。ともかく、私の食事はウイダーインゼリーになってしまった。10秒でチャージできる食事は、全然美味しくなかった。
さて、気がかりなことがあった。
子宮口は4cm開いたというのに、陣痛の痛み自体は、なんだか弱くなってきていた。「一番痛いのを10とすると」、もう2くらいの痛みしかなかった。
入院からすでに丸二日経っていたから、「もうすぐ産まれるよ」とメールした日本の家族は今か今かと気が気でなかったようだが、当の本人はむしろ痛みが弱まったので余裕綽々だった。「早く産まれるから」と医師に勧められるまま、バランスボールに乗ってびょんびょんと跳ねたり(陣痛中!)、主人が待合室から持ってきてくれた日本語のファッション雑誌の嵐のコーナーを熟読したり、AKBを踊ったりしていた。「陣痛には痛さの波があるから、痛くないときにはおにぎりを食べたりできる」と事前に雑誌で読んで知っていたが(おにぎりが中心の記憶)、お産中にAKBまで踊れるとは知らなかった。
ともかく、他にどうすることもできなくて、赤ちゃんが産道を降りてくるのをひたすら願って待った。夕方のウイダーインゼリーを食べ、夜のウイダーインゼリーを食べ、深夜のウイダーインゼリーを食べた。
食べた分だけトイレに行きたくなり、助産師さんや主人に手伝ってもらって、大きなお腹でペンギンみたいに歩いた。
入院して三度目の夜だった。他の病室からまた次々に産声が上がり、私はなんだか駆けっこでどんどん追い抜かれる子みたいに取り残されているけれど、でも、これも悪くないな、と思った。
長く痛みの中にいる中で、たくさんの人の優しさ、産まれてくる見ず知らずの命への敬意に触れた。こんなに長いお産だから、きっと人は「難産だったね」と言うだろう。
でも、私は「長かったけれど、いいお産でした」って、そう言おうと決めた。
……まだ産んでないのに!笑
(翌日に続く)
■プロフィール:Dr. ミナシュラン
四国生まれ、総合医。食べる事が好きで、本名「みな」とグルメの「ミシュラン」を掛けて「ミナシュラン」と呼ばれている。台湾人医師と結婚し、台湾で育児中。クラシックからアイドルポップまで、美しいもの・キラキラしたものを愛でる。クラシックは古典派からロマン派、AKBではトリプル松井推し、嵐は大野くん。出産後はそんな余裕はなくなったが、子どもが何かに興味を持つと関連する絵本やDVDを買いそろえてしまうあたり、コレクター気質は健在。その他の情報は、徐々に明らかになる予定。
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