51e9d059 802a 463c 979a 14fc87323483キャリア
2018年03月20日

がん教育を全国の子どもたちに届けるために
教員免許を取って、教壇に立ち続けるがん専門医/東京女子医科大学がんセンター長 化学療法・緩和ケア科 林和彦教授(前編)

医療と教育。その2つの分野のプロとして、全国の小・中・高等学校で「がん教育」の出張授業を行っている東京女子医科大学がんセンター長、化学療法・緩和ケア科教授の林和彦先生。大学病院のがん診療に携わりながら、学校でのがん教育を続け、ついには中・高等学校、特別支援学校の教員免許をW取得。2017年度を皮切りに国が「がん教育」の全国展開を本格化させる原動力となってきた存在だ。

現役のがん専門医がなぜそこまで「がん教育」にこだわるのか。前編では、その理由を明らかにするとともに、さまざまな困難を乗り越え、「がん教育」のトップランナーになるまでの歩みをお話いただきました。

父の死をきっかけに
がん専門医を目指す

幼稚園の頃にはすでに将来は医師になるという夢を抱いていた林先生。今、自分が教員免許まで取得してがん教育に力を入れるのは、「中学3年生の時に歯科医だった父親を胃がんで亡くしたことが出発点だ」という。

母から父が胃がんだと聞かされたのは父が死ぬわずか1週間前。父親のことが大好きだった林先生は、母の突然の告白を受け止めることができなかった。

「母からはずっと胃潰瘍だと聞かされていましたから、胃がんだと知った時は『なぜもっと早くに教えてくれなかったんだ』と、怒りを爆発させてしてしまいました。父がもうすぐ死ぬとわかっても、何もできない自分をとても無力に感じました。でも、もう一方では『父の命を奪ったがんに仕返ししたい』という思いも湧いてきたんです。そこからはもう、将来はがんの専門医になることしか考えていませんでした」

林先生が医師になった当時は、まだがんを治すなら外科手術という時代。1986年に東京女子医科大学の消化器外科に入局し、寝る間も惜しんで手術に没頭した。

「最初の1年は5日しか家に帰っていません。10年経っても家に帰れるのは1週間に1度程度。医者が身を削って頑張っても、どんなに完璧な手術をしても、治らない患者さんがたくさんいることに気づき、手術の限界を思い知りました

消化器外科医としてがんと向き合うなかで、早期発見の重要性を痛感し、そこからは内視鏡治療による早期がんの治療にも注力。それでも救えない命が多いことから、抗がん剤やがん遺伝子について学ぶためアメリカに留学もした。帰国後は、最新の化学療法を実践しつつも、がん患者と最後まで寄り添うことが医師の役目だと感じ、緩和ケアにも積極的に取り組んだ。

内視鏡手術、抗がん剤、緩和ケアまで――いわば、早期発見から終末期まで扱うがんのスペシャリストへと成長した林教授が出した答えは、「がんは医師の力だけでは治せない」ということだった。看護師、薬剤師、ソーシャルワーカーなどさまざまな職種のプロが手を取り合ってこそ、真の意味でがん患者を支えられる。「そのためにはがんセンターが必要だ」。そう考えた林先生は、がんセンターの立ち上げに奔走。さまざまな障害を乗り越え、がん対策基本法が施行された2007年に東京女子医科大学がんセンターが開設されたのだ。

「ここまで来るのに10年かかりました」

「がん=死?」
患者の誤解を変えなければ

医師になって33年。大学病院のがんセンター長として多くのがん患者とその家族に向き合うなかで、何も変わらないものがあるという。がんと宣告された時の患者の反応だ。

今や男性の3人に2人、女性の2人に1人ががんになる時代。誰でもかかる恐れのある、珍しくない疾患であるにもかかわらず、殆どの人が「なぜ私が…」「よりによってがんなんかに…」「まさか自分ががんになるなんて…」という反応を見せるという。

「芸能人ががんで亡くなると、その話題で持ち切りになりますが、結局みんな他人事なんですよ。その証拠に、日本の検診受診率は先進諸国に比べ極端に低く、現在でも約40%に過ぎません。自分の体を自分で守ろうという意識が低いのです。国もこれまでさまざまな啓発活動を行ってきましたが、国民の意識改革にはつながっていない」と現状を露呈する。
 
さらに問題なのは、医学の進歩により、実際は早期がんの5年生存率は90%を超え、進行がんを含む全体でも約60%以上の患者ががんを克服し、社会復帰しているにも関わらず、「がん=死」「治らない病気」という誤ったイメージを抱く人がほとんどだということだ。

「突然がんと宣告されて、動揺する気持ちは理解できます。しかし、正しい知識がないために、がんと診断されるだけで死を意識してしまい、勤務者の34%が仕事を辞めてしまうという信じられない調査結果もあります。しかもその4割以上は治療が始まる前に退職しているのです。これは国にとっても大きな損失ですよね」

なぜこんな不幸が繰り返されるのか。林先生は次のように分析する。

1975年ぐらいを境に、日本人は家で死ななくなったことが原因の1つでしょう。自宅ではなく、医療施設で最期を看取るケースが一般的となった今、家庭内で家族の『病』や『死』と向き合う経験がなくなってきています。家族の闘病や死を間近に経験し、学ぶという貴重な機会を失ったことで、病や死はできるだけ家の中で見たくない、忌み嫌うものになってしまったのです。その結果、病や死のシミュレーションができなくなり、死に不寛容になってしまったのではないでしょうか。『大学病院に行けばどんな病気でも治る』と錯覚している人も多いように感じます」

人は誰でも病気にかかる可能性があり、いつか亡くなる日もやってくる。そんな現実を受け入れられず、今なお「がん=死」と思い込み、がんと宣告された途端にパニックを起こしたり、先走って仕事を辞めてしまったり、家庭内が大きく混乱してしまうケースが後を絶たない。そんな患者や家族の様子を目の当たりにするにつれ、「病気になってから考えるはあまりに時代遅れだ、なんとかしなければ」という思いが募ったという。

「がんを正しく理解していれば、万一ご自身や家族ががんになっても慌てず、落ち着いて治療に臨むことができる。そのためには啓発しかないと考え、当院主催の市民講座に力を入れた時期もありました。でも、思うように人が集まらず、参加する方のほとんどは健康への意識が高い人や、ご自身やご家族などにがんを経験した人がいる方々だけ。今の啓発のやり方では、本当に啓発すべき人には届かないことを思い知りました。このまま大学病院で待っているだけではダメだ、だったら自分から街にでて、がんの啓発をしようと思ったんです」

駅前の啓発イベントは大成功!
重要なのは“伝え方”と学ぶ

第一弾として取り組んだのが、2013年6月に新宿駅西口の地下広場で開催したがん啓発イベント「オレンジバルーン・フェスタ」だ。新宿区、中野区、杉並区の医療従事者約250人の協力のもと、たまたま新宿駅を通りがかった人に向けて、がんの基礎知識や緩和ケアの現状に関するミニ講座や介護体験を提供したところ、2日間で約6000人がアンケートに答えてくれた。このイベントの様子はNHKのニュース番組でも取り上げられ、視聴率から換算すると約600~700万人が見たことになるという。

「僕は大のマスコミ嫌いで、NHKからの取材依頼も当初はお断りするつもりだったんです。仲間に諭され、しぶしぶ受けたところ、想像以上の反響に驚きました。この時、本当に啓発をしたいなら、つまらない意地を張るのは止めよう。逆に、マスコミをうまく使ってやろうと、方針を180度転換したのです

ちなみに、このオレンジバルーン・フェスタは今も年に1回開催されており、さまざまな側面からがんの最新情報を知ることができるイベントとなっている。

このイベントを通して、“伝え方”の重要性に気づいた林先生は、テレビドラマの医療監修にも協力。なかなか理解が進まないがんや在宅医療、緩和ケアについて正しく知ってもらうことが目的だ。終末期医療や人生の最期をどう迎えたいかなど、医療現場で日々感じている問題点をできるだけ正確にドラマで表現してもらうようにした。

「ドラマのなかで有名な俳優さんに演じてもらうことで、一般の方にも理解が広がるのではないかと考えました。実際、放送後は多くの方から反響をいただきました」

正しい伝え方をすれば、啓発は進む。そう確信したものの、意見を寄せてくれるのは高齢者ばかり。

「これから自分自身や家族ががんになるかもしれない若い世代にこそ、がんについて正しく理解してほしいのですが、いくらメディアを使って啓発しても、若い世代にはなかなか届きません。ならば、すべての人が平等に、正しい知識を持てる環境をどう作ればいいのか。そんなことを考えるうちに、学校教育に目を向けるようになりました。学習指導要領には法的拘束力がありますから、啓発とはわけが違います。日本全国のこどもにがん教育を届けるためには、学校教育しかないと思いました

「おばあちゃん気持ち悪い」
少女の一言で「がん教育」の道へ

ある日、子どもへのがん教育の必要性を、林先生に確信させるある出来事が起きる。抗がん剤の副作用で髪が抜け落ちた祖母に対し、幼い孫が「おばあちゃん、気持ち悪い」と言っている光景を目の当たりにし、ショックを受けたのだ。

「最初は、なんてひどいことを言う子だと、腹立たしくなりました。でも、冷静に考えてみれば、おばあちゃんは何の病気なのか、なぜ髪が抜けてしまったのかも知らないのだから、子どもには何の非もありません。がんがどんな病気なのか、祖母の苦しさを知っていれば、この子は絶対にそんなこと言わなかったでしょう。子どもだからと、がんのことを知らせないのは、子どもにとっても不幸なことです。僕自身、親の病気についてちゃんと教えてもらえなかったことが、未だに悔しいですからね。子どもにだって知る権利があるのです」

医師である自分が学校に赴き、がんの知識を子どもたちに伝えよう。その決意は固まったものの、その方法が全く思いつかない。思いつくままに教育委員会に電話を掛けたものの、たらい回しにされ、挙句の果てには突然切られてしまう始末。幸い、病院長から教育長を紹介してもらい、近隣の養護教諭を集め、がん教育についてのプレゼンテーションを行う機会を得たが、「医者の思い付きでこれ以上仕事を増やされたら困る」という怒りの視線が、一斉に林先生に向けられていた。

「僕にとって生涯最悪のプレゼンでした。『できるわけないだろ』『勝手にやっていろ』という声が飛び交う、完全アゲインスト。途中でプレゼンを終了したのは、後にも先にもこの時だけです。学校教育のハードルの高さを思い知り、途方に暮れる僕に手を差し伸べてくれたのは、がんでお子さんを亡くされた教育委員会の先生や元看護師の看護教諭の先生など、がんと深く関わった経験のある方々でした

がん教育の必要性を感じ、協力してくれる仲間が学校に掛け合ってくれ、第1回の学校出張がん教育が遂に実施されたのだ。

後編では、学校での授業の様子や、生徒たちの声、今後への課題などをお話いただきます。

<合わせて読みたい>
患者に寄り添うがん医療へ。何が彼女を支え、強くしてきたのか?
がん研有明病院 婦人科副部長・リンパ浮腫治療室長 宇津木久仁子

治すことと同じくらいQOLは大事。がん患者に“カバーメーク”で生きる力を引き出す。東大病院乳腺・内分泌外科 分田貴子医師。

文/岩田千加

求人数最大級。各県の医療機関担当者による緻密なリサーチで、詳細で鮮度の高い求人を収集。非公開求人も多数で、「先生オリジナルの求人」もお探し可能。専任エージェントが先生の転職活動をサポートします。

  >> 求人検索はこちら  
  >> 求職支援ご登録はこちら  
  >> アルバイトの検索はこちら