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2018年03月22日

がん教育を全国の子どもたちに届けるために
教員免許を取って、教壇に立ち続けるがん専門医/東京女子医科大学がんセンター長 化学療法・緩和ケア科 林和彦教授(後編)

がん啓発の限界を感じ、若い世代にがんの知識を届ける「がん教育」に乗り出した林先生。後編では、実際の学校での授業の様子や、授業を通して発見したこと、課題、そして今後の夢などについても伺いました。医師は教育の現場でなにができるのか。次世代を担う若い先生方こそ必見です(前編記事はこちら)。

大人顔負けの理解を示す子どもたち
がん教育の手ごたえを実感

2017年度から文部科学省が「がんの教育総合支援事業」として、全国の小・中・高等学校で「がん教育」を本格的に始動させた。これは林先生のような現場の医療者やがん経験者たちの文部科学省への提案が実を結んだ結果でもある。中学校・高校の学習指導要領に記載されることが決定すると、林先生の活動に対する学校側の捉え方も一転。国に先行し、4年前からがん教育に携わってきた林先生のもとには、今や全国からオファーが殺到している。今まで4、5校に1校実施してくれる学校があればいい方だったが、最近は出張授業でほぼスケジュールが埋まってしまうほどの忙しさだ。

林先生は「がん教育には2つの大きな目標がある」と話す。

一つはがんについて正しい知識をつけること。もう一つは、がんという病気を通じて、健康と命の大切さについて主体的に考えることができるようになること

「がん教育を始めた当初、小学生には理解できないのではないかという人もいました。しかし、実際に授業をしてわかったのは、がんについて知っている知識は大人もほとんど変わらないということでした。むしろ、子どもは純粋で感受性が豊かなので、がんを正しく知ることで、大人以上に意識が大きく変わります。まさにこれこそが、がん教育の醍醐味なんです」

出張授業で林先生が重視しているのは、授業前の準備だ。どんなに多忙でも、必ず事前に学校に打ち合わせに出向く。なかでも授業前に必ず行うのが、がんについて知っていることを問う事前アンケートだ。

主な質問は
①がんについて知っていること、感じている印象
②がんの辛さや苦しみは、どんなものだと思うか
③もし自分の大事な人ががんだったら、あなたはどうするか。

子どもたちの知識を知る目的はあるものの、驚くのは、子どもたちが豊かな感受性で「がん」を理解しようと回答していることだという。授業では、子どもたちの回答も使いながら、「がんってなに?」という基本の話からスタートする。次に、がんにならないためには、どうしたらいいのか、養護教諭や担任の力も借りながら、みんなで話し合うこともある。さらには、がんにならないための12か条も紹介する。

「この授業を受けた子は、親に言われなくても食事など日々の生活に気を付けるようになるでしょう。少なくともタバコを吸おうとは思わなくなるでしょうね」と林先生。
また、がんには予防の方法がいろいろあること、早期発見・早期治療をすれば、がんは治る病気で、仕事にも復帰できることも具体的な数字を示して伝えるという。

「ほとんどの子は、がんは治らない怖い病気と思っているので、それを聞くとホッとした表情を見せますよ。その上で、早期発見に有効ながん検診の受診率は約40%と、とても低い現実も伝えます。それには、将来、子どもたちには積極的に検診を受けてもらいたいという想いに加え、家族と検診について話し合う機会をもってもらいたいという狙いがあります。実際に、子どもから『検診に行ってる?行った方がいいよ』と言われると、行く気になる親は多いようで、授業後に検診受診率が上がった地域もあります。」

シミュレーションすることでがんを身近に
自分にできることを考えさせる

病や死と向き合ったことのない子どもたちに、がんという病についてシミュレーションしてもらうことも授業の大きな目的だ。「もしも身近な人ががんになったら、どんな風に苦しむのだろう」「その時、自分は何ができるのだろう」と、真剣に考えることがとても重要だという。

「小学生や学力の低い学校の生徒にそんなこと聞いても、大した答えは出ないんじゃないかと思う人もいるかもしれませんが、とんでもないですよ。出て来る答えは大人と何ら変わりません。特に、大切な人ががんになったらどうするかという質問の回答には、思わず涙が出ます」

<事前アンケートの一例>
・近くにいて、励ましてあげたい
・お見舞いに行って、花束を渡してあげたい
・千羽鶴を折ってあげたい
・少しでも長くそばにいて、話したい
・楽しい話をして、笑顔になってもらいたい
・自分には苦しみが分からない分、できる限り笑顔で接したい
・いろいろなことを手伝ってあげたい
・毎日一緒にいて、安心させてあげたい

「小学生でも何とか手を差し伸べて、支えようとしてくれることに感動します。がんと向き合う機会が身近になくても、学校でがん教育を受けることで、子どもたちはがんという病気を正しく理解し、健康であることの素晴らしさを実感します。そして、家族全員の健康に気を配り、がん患者の苦悩を理解することで、他人を思いやり、命を大切にする心が育まれていくのです」

自分は父の死を前にして、何もすることができなかった。しかし、30年以上がん治療に携わってわかったのは、家族の笑顔や声掛けが、がん患者にとって一番の支えになるということだ。

「僕は授業の終わりに必ずこのことを伝えます。あなたたちは家族や大切な人の支えになることもできるし、検診を勧めることで大事な人の命を救うことだってできる。これって、本当にすごいことなんだよって」

出張授業を続ける中で、課題も見つかった。学校や地域の実状、子どもたちの発達段階に応じて授業内容を変えるなど、柔軟な授業の仕掛けづくりが必要だということだ。

「特に難しいのは、公立の中学校での授業です。学力レベルも家庭環境も異なる上に、思春期の難しい年代。事前アンケートなどを参考に、講和方式の授業では効果が見込めないと思う時は、がんサバイバーの若者に同行してもらい、自身の体験を語ってもらいます。すると、最初は体育館に入ろうともしなかった子たちが着席し、彼の話に真剣に耳を傾けるのです。一方で、医学部を目指す生徒も多い進学校の高校生には、キャリア教育も意識した内容を組んだり、がんや死について生徒と語り合ったりすることもあります」

このように、学校でのがん教育は興味・関心のない人にも、正しい知識を伝え、がんや健康に対する認識を変えることができる。

「とても時間がかかることですが、教育こそがすべての人に伝わる確実な啓発方法だと思います。がん教育を受けた子たちが大人になったら、がんに対する意識も今とは随分変わるはず。今後、がん教育が義務化されれば、今度こそ社会は大きく変わりますよ

林先生の研究室には、授業を行った学校の生徒たちから多くの手紙が届く。

教員×がん専門医
二足の草鞋でがん教育推進に奔走

学校を訪れる機会が増えるなかで、林先生が気づいたことがある。医療と教育の類似性だ。

「教育は子ども中心の『チルドレンファースト』、医療は患者さん中心の『ペイシェントファースト』。医療も教育も多職種の専門家が関わっていて、どちらにも“モンペ”(モンスターペアレント、モンスターペイシェント)がいる。モンペの対応に追われ、ますます仕事は増え、本来の仕事に集中できない状況にあるところもそっくりです」

がん教育を通して、教育の効果を実感した林先生は、これから先、社会を救う大きな力となるのは“医療”と“教育”だと確信。教育の専門家を目指し、これまで通り診療やがん教育を続けながら、通信制の大学で教育学を学び始めた。時間をやりくりし、レポート、試験、教育実習などの課題をこなすのは、至難の業だったが、苦労の末、2014年7月に特別支援学校自立教科教諭一種免許状を取得。さらに3年半後の2017年1月には中学校・高等学校保健科教諭一種免許状も取得した。
名実ともに教育者となった林先生は、教員免許があることで、学校関係者の信頼度が違うと話す。

「最初にがん教育をやりたいとプレゼンした時に、先生たちはなぜ聞く耳も持ってくれなかったのか。今ならよくわかります。学校のことを何も知らない奴がいきなり来て、がん教育は大事だ。僕にやらせてくださいと言っても、簡単に受け入れられるわけがないですよね(笑)。教員免許を取ってようやく“頼りになる仲間”として認めてもらえた気がします

そんななか、国にも大きな動きがあった。文部科学省が2020年に全小学校で、21年に中学校、22年には高校で、「がん教育」を全国展開することを決めたのだ。
林先生はがん教育を進めるに際して、文部科学省が設置した検討会会議に参考人として出席。実際の教育現場で、何をどう教えたらいいのか。使用教材についてもさまざまなアドバイスを行ってきた。
 
専門家の意見なども参考に、文科省が新たに開発した「がん教育推進のための教材」に対応したスライド資料は、2017年5月に文部科学省のホームページで公開されている。これらは授業者や学校の狙いに合わせ、必要なモジュールを自由に選択し、組み合わせて活用することも可能だという。

制度や教材は整っても、「がん教育も医療と同じ様にチームが必要だ」と林先生は指摘する。

「全国には小学校が約2万校、中学校が約1万校、高校が約5000校あります。それだけの数の学校でがん教育を行うには、医師やがん経験者など外部講師の確保が全国的な課題です。

 

東京都ではチームでがん研究を行うため、学校医やがん専門医、がん経験者、学校教育関係者らが一丸となり、2017年に『がん教育推進協議会』が発足しました。
さらに、僕が勤務する東京女子医大病院が属する東京都区西部二次医療圏(新宿区・中野区・杉並区)の教育委員会、医師会、大学病院、市中病院のメンバーを集めた話し合いも、既に始まっています。最初はがん教育にネガティブだったらどうしようと危惧していたのですが、皆さん非常に意欲的な発言をしてくださり、一気にムードが盛り上がりました」

課題は出張授業に欠かせない
がん教育を担う医師の育成

林教授はこのほど、『「がん」になるって、どんなこと?』(セブン&アイ出版)という著書を出版した。がんの基礎知識に加え、実際にがんに罹患した3人の患者の治療や生活、リアルな想いなどがつづられている。

「それぞれの話の中に、がんを正しく知るためのヒントがたくさんあります。ぜひお子さんと一緒に読んでほしくて、イラストにもこだわったらコストがかかってしまいました(笑)。図書館にも置いてもらい、多くの人に読んでもらいたいので、印税なしでいいから、いいモノを作ることにしました。今まで自分の人生をかけてやってきた活動ですから、お金は正直どうでもいい。カッコつけているのではなく、そのぐらいの覚悟で取り組んでいます」

学校教育を正しく理解し、学校の先生たちとともに授業を構築できるような医師を育成することも、林先生のこれからの課題だ。
臨床だけでなく、教育という+αの役割にも邁進する林先生。将来の医療を担う医師に対しても、臨床オンリーの現状に甘んじることのない姿勢を求める。
 
「自分がどういう医者でいたいのか。一人ひとりが考えることが大事だと思います。今後、10年・15年もすれば、医者余りの時代が確実にやってきます。これから先、付加価値のない医者は生き残っていけません」と手厳しい。
 
医療やがんの専門家である医師が、もっと積極的に学校に関わることで、がん教育の可能性は確実に広がるだろう。医者は医療という狭い世界に閉じこもるのではなく、医療以外の分野と関わることで、これからの日本の医療を変えることもできるだろう。林先生の言葉の裏には、そんな期待が込められている気がした。
林先生自身は、さらに新たな夢に向かって、また一歩踏み出そうとしている。

「がんを完全に克服していても、就職や結婚で差別を受ける人が後を絶ちません。この現状を打開するため、がん患者(および経験者)しか入れない会社を、乳がん経験者の妻と一緒に作ろうと考えています。給料も福利厚生も一般企業より待遇をよくして、新卒の学生に『がん患者しか入れないのは差別だ』と言わせたら、本物かなと思っています(笑)」

 

林 和彦(はやし・かずひこ)
東京女子医科大学がんセンター長
化学療法・緩和ケア科教授

1961年、東京都生まれ。86年に千葉大学医学部卒業後、東京女子医科大学消化器外科に入局。94年米国南カリフォルニア大学留学。10年から同大学化学療法・緩和ケア科教授。14年に同大学がんセンター長に就任、現在に至る。日本外科学会認定登録医、日本消化器外科学会認定医、日本消化器内視鏡学会指導医・専門医。日本臨床腫瘍学会指導医・がん薬物療法専門医、日本がん治療認定医機構暫定教育医・認定医。日本緩和医療学会暫定指導医など。日本食道学会評議員、日本婦人科腫瘍学会代議員・卵巣がん治療ガイドライン2015年版作成委員。厚生労働省「拠点病院の緩和ケア提供体制における実地調査に関するWG」構成員(2013年8月~2016年3月)。厚生労働省「緩和ケア推進検討会」構成員(2014年6月~2016年3月)。「がん教育」を実現するため、2014年7月、特別支援学校自立教科教諭一種免許状、2017年1月、中学校・高等学校保健科教諭一種免許状を取得。

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