444bb3e7 a738 4e14 bfc9 61e6a50059fbワークスタイル
2018年03月28日

ハンデもパワハラも乗り越えて
金髪先生は「好きな医療ができる家庭医」を選んだ――常喜医院院長 常喜眞理

常喜医院の院長であり、慈恵医大新橋健診センターの医長であり、大手企業の産業医として、職場におけるメンタルヘルスのサポートも行っている常喜眞理氏。「あまり丈夫なほうではない」と言いながらも、「休日は日曜日だけ」の医師生活を貫いている。なぜ、彼女は複数の場と役割で精力的に頑張るのか? その原動力を尋ねてみた。

医院では白衣を着ない。ブロンドのショートヘアがトレードマーク。最初は白髪染めを卒業するための金髪だったが、勤務先の大学病院で大問題に。でも患者さんからは好評で「金髪先生」と親しまれているとか。よくお似合いです。

専門にも組織にも縛られず
患者さんをトータルに診たい

大学病院の健診センター医長として、また大手企業の産業医として、大忙しの日々を送っていた常喜医師は2012年、忙しさに追い打ちをかけるように、内科、皮膚科、小児科診療を行う「常喜医院」を開業させた。その裏には、どのような想いがあったのだろう。

「第一に、患者さんを、全人的に、トータルで診てあげたいという気持ちがありました。専門の消化器内科だけでなく、皮膚科も小児科も、それ以外の診療科も。たとえ専門医としての知識がない分野でも、お話しを聞いて、考えて、勉強して、一緒にボトムアップしていくことはできるし、大学病院とかに紹介することもできますよね。そんなふうに患者さんに寄り添って、相談相手になってあげられる『家庭医』になりたいと思いました。

 

専門に縛られずに、気になる症状があったらなんでも診てあげられて、重症の疑いがあれば見逃さず、すぐに大きな病院に紹介してあげる。気軽に健康相談に乗ってあげられて、長くお付き合いができる医院が、これからの日本には必要だし、そのほうが患者さんのためになると考えたのです。

 

だから高度な医療機器は置かず、検査は大きな病院を紹介して受けてもらう。超音波検査装置も、導入すべきかどうか、今思案中です。大学病院などはMRIやCTを、3年に一度の割合で買い替えていますからね。そんなことは個々のクリニックでは難しいし、あまり意義があるとは思えません。

 

私は内視鏡の専門医ですが、自分の医院ではやろうとは思いませんでした。(常喜医院がある)千代田区は、通常の健診で、胃がんの内視鏡検査を受けることが出来ます。バリウム検査か内視鏡か、どちらかを選択できるんです。今、そういう市町村は増えていますので、個人の医院がする必要はないと思っています」

何よりも、患者本位の医療がしたい。それが、医院を開業し、家庭医を選んだ最大の理由ということか。

「それと、組織でずっと働いていると制限がいろいろあるので、自分で好きな医療がしてみたかったというのもありますね。組織だと、いいと思うことを導入するのも10年がかりという感じなんですよ。

 

たとえば、胃のバリウム検査をやめて内視鏡検査を増やしましょうと提案して、ものすごく反対されたこともありました。エビデンスがないって。バリウム検査と内視鏡検査を比較した論文は、当時、中国の論文が1本しかなかったんですが、そこには、どちらも死亡率が変わらないと書いてあったんです。それで、死亡率が変わらないなら、内視鏡にする意味がないと。最近やっと認識が変わって、胃がん検査を内視鏡でするところが増えてきましたけどね。組織は本当に大変です。なので、自分のやりたい医療がやりたいようにできる場が欲しかったんです」

専門医・指導医を取得
やれることは全部経験

午後からの診療を控えた、土曜日の午前中。医院の診察室にあらわれた常喜氏は、細身のボディにすっきりとフィットした黒の上下。「白衣は患者さんを緊張させる。自分をあからさまにしないと相手も心を開いてくれない」との理由で白衣は着ていない。医師としての威厳より、人間としての親しみやすさを優先したスタイルは、患者だけでなく、常喜氏自身も、縛りから自由にしているように見える。

「私は全然普通で、エピソードがありません。一人っ子で、兄弟もいないので、将来親がいなくなっても生きて行けるよう職を持って自立して欲しいと言われ、医師になりました。家も医者ではないですよ。女性に職業を持たせたいという方針の中高一貫校に通っていたので、先輩にも医師になった女性は大勢います」

医師人生、最初のテーマは「自立」。その第一歩として選んだのは消化器内科だった。

「糖尿病や肥満にも興味はありました。でも大好きな女性の先輩がいる慈恵(母校)の第三病院が三鷹の実家から近く、実習に通ったりしているうちに自然と、先輩と同じ消化器内科の一員になっていました。ほぼ成行きですね。

 

ただ当時は、内視鏡が目覚ましい進化を遂げており、憧れていました。ちょうど胃カメラに変わって光ファイバーが出てきた時代です。身体の中を観察して治療できるのが楽しくて、惹かれましたね。

 

それ以前は、X線をかけて、胃の中にカメラが入ったのを外側から確認し、中が見えない状態でバシャバシャバシャっとシャッターを切っているだけでした。
それが私たちの時代には、いわゆる覗きカメラで、画像は汚いものの胃の内部をリアルタムで、しかも皆で見ることができる。画期的でした」

当時、最先端だった内視鏡を、常喜氏はわりと貪欲に学んだようだ。

「内視鏡では専門医だけでなく、指導医まで取得しましたし、学会でもやれることは全部経験しました。司会もしたし、研究も頑張りました。勉強は楽しかったですよ。内視鏡の実験では、犬、豚、ネズミも使いました。今では考えられないことですけど」

産休・育休・給料無しの
ワンオペ・ワーキングマザー

若くして結婚し、出産。キャリアを中断させないために、専門医も指導医も、子育てしながら取得した。そこには、今では考えられないような苦労があったようだ。

「私たちの頃は、慈恵医科大学でも女子学生は100人に10人ぐらいしかいませんでした。同級生で医師を続けている人はほとんどいません。みんな結婚退職してしまって。でも、女性が少ない分、やりやすい面もありましたね。『女の子はしょうがないな』みたいな感じで、甘くしてもらえたので。男の先生たちも優しかったですよ。


昔は、当直明けの休日とかもなかったので、延々と働かないといけなかったのですが、妊娠中で辛かった時には、『今日は妊娠中だからやめる』と言えば、許されましたから。そこは、今のほうが厳しいかもしれませんね。ただ、産休もなかったし、無給でしたけど」

常喜氏は、妊娠を理由に当直の負荷を軽減してもらったことを、自分のワガママのように振り返るが、決してそんなことはないと思う。『妊娠中だからやめる』と言い出した時には、本当につらかったはずだ。今なら、当然の権利であることも認められなかった時代。反発せず、しなやかに受け止め、明るく頑張っていたからこそ、周囲の男性たちも優しかったのではないだろうか

「女医だから大変だったという意識はありませんでしたが、産休も育休も全くない状況と言うのは、今から考えたら異常だったかもしれませんね。妊娠中も当直はしていました。大きなお腹で、もう当然って感じで。でも、妊婦にはできない仕事もあるので、一人前には扱ってもらえませんでした。

 

私が子どもを一人で諦めたのは、それ以上は無理だなと感じたからです。仕事を続けたかったのですが、無給では、保育園に預けることもできません。子どもが生まれた時には渋谷区に住んでおりまして、区役所に保育園の申請に行ったところ、『あなたは主たる勤務先からお給料が出ていませんので、入園できません。なので、ご家庭でお子さんをお育て下さい』と断られました。アルバイトの収入はあったんですけどね、公立保育園に入れてもらえないのは痛いです。

 

女医が赤ちゃんを産み育てるのは、国として想定外だったんですね。キャリアを中断させずに子どもを育てられる環境ではなかったと思います。主人はまだ大学院生でしたし。仕方なく、実家のそばに引っ越して、昼間は保育ママに預けて、夜は親にみてもらいました。あとは夫婦交代で頑張って、なんとか乗り切りました
その後主人はボストンに留学したんですが、お金が無くて。ボストンは物価が高いので、一緒に行くことができず、私は2年間日本で、1人で子育てしながら頑張りました

以前、「保育園落ちた日本死ね」というツイッターの書き込みが話題になったことがあったが、常喜氏が直面していた状況は、それ以上の過酷さだ。

「だから二人目は、物理的に無理でしたね。その後、親が病気になったので、子どもを預けることもできなくなりましたし、主人も大変で。私自身も、いかにしてキャリアを作って行ったらいいかと焦っていました。

 

それで当時は慈恵にも、学費を払って、大学病院で無給医として働きながら認定医・専門医の資格が取得できて、論文の研究もさせてもらえる専攻生という制度があったので活用し、子育てしながら頑張りました。

 

今は、無給なんておかしいと思うかもしれませんが、当時は何ら不思議に思いませんでした。修業中で、教えていただいているんだから当然、みたいな感覚だったんですね、男性も女性も。

お陰で、10年間無給ではありましたが、キャリアを中断することなく、専門医も指導医も取得することができました。周囲の心遣いには感謝しています

「男の医者に代わって」
突然蹴られたことも!

「女医蔑視もありましたよ」
常喜氏はさらに続ける。

「内視鏡検査をやろうとしたら、女性の患者さんから突然お腹にパンチを入れられたこともあります。こちらはまさか蹴られるとは思っていませんから無防備で、痛みでしゃがみこみました。
でも彼女は謝りもしないで、「男出して」って。

 

その時いた男性は、ご自身の白内障手術を控えた大ベテランの医師と研修医だけだったのですが、それでも男でないといやだというので、結局、白内障の大先輩医師にしてもらいました。」

これは大昔の話ではない。ほんの10数年前、日本の大学病院で起きていた事実だと思うと、唖然としてしまう。こういう世界だと、セクハラも普通にありそうだが。

「慈恵は、ないほうだと思います。
でも、パワハラっぽいことはありましたよ。手術の助手に入っている時に、手術台の下で脚を蹴られるのはしょっちゅうでした。男子は避けたら怒られるのですが、女子は避けても怒られないだけマシとか(笑)。すごい時代でした」

健診も産業医も相乗効果がある

医院で診療に当たるほか、大学の健診センターで検査と診断に当たり、さらに産業医としてメンタルヘルスにも取り組んでいる常喜氏。それぞれの医療に、どのような意義を感じているのだろう。

「大学の健診センターは、大学病院全体からすると末端的な位置づけで、他の診療科の先生方からしたら、「健診なんてね」という感じだと思うんです。皆さん、専門の、先端医療がやりたくて大学病院にいるので。
でもそこは捉え方で、すべての科の患者さんが集まって来るので非常に勉強になる

 

たとえば前立腺がんの患者さんは、前立腺がん以外の病気も心配。だけど、泌尿器科は、全身を診てくれるわけではないので、皆さん不安を抱えて、健診を受けにきます。そこで術後ケアのことや薬のことなど、いろいろなことを話してくださるので、健診センターはブラッシュアップの場でもある

 

大学病院ならではの、希少な症例や難しい症例にも出会えますし、若い先生たちも交流できる、とてもありがたい場所です。看護師さんたちにもいろいろ教わっています。なので、多くの若い先生方が思っているよりも重要で、やりがいのある職場だと思っています」

一方、産業医は・・・・・・。

「父がサラリーマンでしたし、従兄も企業に務めているので、私の中では垣根がないんですね。それに面白いです。

 

医者って、一般社会の常識から外れたところがあって、電話の取り方も、書類の書き方も、いわゆる事務の方たちがやっている企画書とかの作り方とかも分からないし、教わったことも一回もないんですよ。だけど、ある年齢になるとだんだんやらなきゃならないことがでてきて、戸惑ってしまう。
産業医をやっていると、そうしたことを教えてもらえるので、とても役に立っています。

 

健診センターでやっていることも、産業医の仕事も、常喜医院での仕事も、すべては関係していて、相乗効果をもたらしてくれています」

大変な苦労を経験してきたのに、どこまでも柔和に、微笑みを絶やさず語る常喜氏。こんな先生が家庭医なら、患者も、安心して何でも相談できそうだ。

「基本的には休むのは日曜日だけです。『どうしてそこまでするの』とみんなに言われるんですけど。やりたことしているうちに、こうなってしまって、どれも削れないんです、私

 

ワークライフバランスは、自分ではとれているつもりなんですが、傍からは働き過ぎだといわれます(笑)。
とりあえず65まで、あと10年を目標に頑張らないと。
今後もやはり自分の城であるこの医院で、家庭医として、ご縁がある方の健康をサポートしていきたいと思っています」

医師の転職・アルバイト探しは『Dr.転職なび『Dr.アルなび』へ!

常喜眞理
http://www.joki-clinic.jp/
1963年東京生まれ。東京慈恵会医科大学卒業。消化器病学会専門医、消化器内視鏡学会専門医・指導医、内科学会認定医、日本医師会認定産業医、人間ドック健診専門医。2012年、内科、皮膚科、小児科診療を行う「常喜医院」を開業。慈恵医大新橋健診センターでは診療医長として、健康診断(人間ドック)の内科診察を務め、婦人科や乳腺外科の診察結果を総合的に最終診断。長年、大手企業での職場におけるメンタルヘルスサポートの産業医としても活躍。

常喜先生の近著
『マリ先生の健康教室 オトナ女子 あばれるカラダとのつきあい方』(すばる舎/2018)

女性家庭医としての立場から、女性の体に起こる変化を年代別に整理。それぞれの年代での上手な対応策が提案されています。

文/木原 洋美

\「産業医」求人をお探しなら・・・/

<合わせて読みたい>
大病院勤務の精神科医から国内外を行き来する産業医へ——「人々や企業の健康に根本から関わりたい」穂積桜先生の原動力とは

壁にぶつかったら動いてみる。 ママドクターの会を立ち上げ、輝く 3児の母、糖尿病専門医・大西由希子先生の挑戦。

「医療はエンターテインメント」
ギター片手に患者さんに心の音色を届ける ―やまと診療所 小笠原清香先生―

 

キャリアに、進路に悩んだら、医師専門のキャリアプランナーにご相談ください。先生専任の担当者が、ご希望に応じた求職サポートを行います。