E1f85128 4649 400e aa45 721587cdbb06連載・コラム
2018年06月26日

40歳を過ぎた脳外科医、働き方を考える。/Dr.まあやの「今日も当直です」 第24回

医局員としてスタートしたDr.まあやの医師人生。様々な転機を経て、今はクリニック院長、釧路の当直、はたまた兼業デザイナーとして彩られています。人生は予想通りにはいかないし、転機はつきもの。では、医者の転機っていつ訪れる? Dr.まあやが考えます。

ついに新専門医制度がスタートした。脳神経外科も新しい制度に沿って、専門医の更新登録が始まった。制度の全容がわかっていない部分も多いワタシは、巣鴨のアトリエで不安に駆られながら作業をしている・・・。今回はそんな背景も含め、ワタシの医者としての働き方を勝手に考えてみようと思う。

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専門医じゃないと一流じゃないのか

新専門医制度は、その制度自体、取得基準はもちろん、更新方法にもまだまだ問題があるんじゃないかと思っている。日本専門医機構が求める診療実績を満たすには、大学病院や大都市じゃないとかなり厳しいのかなぁ、と。地方の医師や開業医やフリーランスの医師はけっこう不利である。更新に必要な講習の受講や学会参加にしたって、その多くは大都市開催だし、そもそも脳外科医の数が少ない地方の病院では穴をあけることもできず、参加のハードルだってものすごく高い。都市に勉強しに行っている間に代わりの医者を派遣する制度やオンライン受講があれば救いようもあるのだが・・・。

現に、先日消化器内科の病気を疑う患者さんを他院に搬送しようとしたところ、どこも消化器内科医がいない、と断られたケースがあった(ちょうど、その週末に消化器内科の学会が開催されていた)。
※関連記事 Dr.まあや、新専門医制度について語る編はコチラ

とボヤいたところで、制度は粛々と進められ、何と言っても患者さんからの医師の評価基準の一つが「専門医」ということで、それも仕方ないのかなと思う。いろいろな情報が錯綜する中で、患者さんとしては、何を基準に自分の病気の治療をしてもらえるベストな病院を選べばいいのか、わからないだろうから。その基準の第一段階として「専門医かどうか」というところになるのであろう。

病院の規模はそれぞれ、役割も、働き方もまた、それぞれ。

ワタシは今、都内の脳神経外科のクリニックで院長として勤務させてもらっている。院長とはいえ、管理業務は理事長先生にお任せで、理事長先生のご理解の元、成り立っているというわけである(ありがたや・・・)。脳外科医の前線でオペをしたり論文を書いたりということはないが、臨床医として一人の患者さんにちゃんと向き合って医療を続けることが、デザイナーでもある私にとって重要な時間だと思っている。

日本にはいろんな規模の病院がそれぞれ役割で存在している。個人クリニック、診療所、市中病院、個人病院、総合病院、国公立病院、そして大学病院など、規模によって診察できる病気の範囲、その病院の意味合いが違う。当然そこで働く医師やそのほかのスタッフの役割、負担も違ってくる。一口に「院長」と言っても、病院の規模で意味合いが少しずつ違う。周囲を見渡してみても、家業を継ぐ以外に最初から「絶対院長になるぞー!」ってモチベーションで働く医者はほとんどいないと思う。

大学病院でがんばった先の人生って…


Dr.まあや渾身の作「脳外科医、出世の道」

医者になったなら、最初は大学病院などで自分の専門分野の研究で成果を出したい、様々な臨床経験をしたい、教授を目指したいなど、出世を目標にしている先生が多いはず。その競争で振り落とされたり、戦線離脱した人が医局から出て、自分の道を進む。

医局を離れた後は、大学の関連施設(地方の市中病院、総合病院など)へ出張し、そこで新たな医者人生がスタートする。ときに脳神経外科は、大きな病院にしかない上に救急の最前線に入ることが多く、脳腫瘍や特殊な病気よりも脳卒中や外傷を診る機会が増える。月に3〜6回くらい当直があり、それ以外にオンコールや当番、緊急手術も入る。これが50歳、いや定年まで続くことも少なくない。冷静に考えるとこれはかなりきつい・・・。

このような生活に疲れてくると「開業」という言葉が頭をよぎる。医者の仕事は、地位名誉とお金が全く結びつかないため、開業して時間の余裕を得ながら、収入も増える先生も多い(最近は開業する医者が増えすぎて、逆に経営が難しいケースも増えているようである・・・。)

開業せずに定年まで市中病院、総合病院に残っていると、必然となんらかの「肩書き」が回ってくる。診療部長、医局長、副院長、院長、そのほか細かい委員などの役職など、管理職業についての打診があるはず。でも、診療だけでも忙しいのに管理業務まで、しかも給料が大きく変わるわけでもない。ここに積極的に攻め込む先生は少ないのでは・・・。

脳外科医の転機は40歳!?

ワタシの大学時代の友人たちや脳外科の医局の同世代も40歳を超え、実家の病院を継いだり、開業する人が増えてきた。脳外科は専門医を取って初めて医者としてのスタートラインに立てる。そこからサブスペシャリティを見つけて次なる専門医を目指す。つまり40歳くらいで、やっと脳外科の一般的な顕微鏡を使った手術ができるようになってくる。手術の経験値も増えてきて、自信がついてきた!という一方で、徐々に身体に堪えることが多くなり・・・。病院の規模が大きくなればなるほど、勤務時間が長い上に雑用も多い。後輩や学生の指導もある。ポジションによってはこの先の人生のことを考えるタイミングだろう。すなわち40歳を過ぎたら医者(脳外科医)の転機と言っていいだろう。ちなみに内科の先生は専門医を取った時点で新たな道に進む人も多かった。

そんなわけで、20代、30代の脳外科医のみなさん、転機を迎えるそのときまで、今はとにかくひたすら、目の前の患者さんと向き合いつつ、治療革新を続けて世界に発信していってほしい。私は外来や当直をがんばりながら、みなさんに着いていきます・・・!(情けない先輩・・・。)

そうそう、ワタシがデザインしたスクラブは、年齢問わずおしゃれに着こなしていただけるので、40歳過ぎた方やデブの方にもぜひおすすめ!スクラブってどうしてどこも同じなんだろうと思っていたので、医療現場が少しでも明るくなればと(笑)ぜひ、よろしくお願いいたします!!

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1975年東京生まれ、岩手育ち。岩手医科大学卒業後、慶應義塾大学病院で研修を終え脳神経外科に入局。2010年にかねてから夢だったファッションデザイナーの道に挑戦しようと日本外国語専門学校海外芸術大学留学科に入学する。翌年にはロンドンのセントラル セント マーチン カレッジ オブ アート アンド デザインに約2年間留学しファッションデザインの基礎を学ぶ。帰国後は事務所『Dr.まあやデザイン研究所』を設立しアーティスト活動をスタート。現在は釧路孝仁会記念病院、東京・小平市のあかしあ脳神経外科の院長として非常勤勤務している。 

■イラスト/Dr.まあや 構成/ふるたゆうこ