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2018年08月02日

「生理がこなくて一人前」に警鐘。女性アスリート特有の健康問題に取り組むトップランナー/東大病院「女性アスリート外来」能瀬さやか先生

無月経や月経不順、骨密度の低下など、女性アスリートには特有の健康問題がある。しかしながら、その実態は長らく気づかれず、誤った指導の温床となっていた。そんな中、地道なデータをもとに、日本で初めてこの問題をクローズアップしたのが産婦人科医の能瀬さやか先生だ。現在はトップ選手だけでなく、学校の部活動に所属する10代の女子選手の診療や、選手たちに適切な医療や指導が届く体制づくりにも注力している。産婦人科医の能瀬先生がスポーツ医学に取り組むきっかけは何だったのか。トップランナーとなって見えた課題とは。「スポーツ医学=整形外科」の牙城に切り込み、正面からこの問題に挑み続ける能瀬先生の取り組みを取材した。

産婦人科医がスポーツ医学に参入

父親が産婦人科医だった影響もあり、子どもの頃から産婦人科に興味があったという能瀬先生。産婦人科は新生児から高齢者まで、内科的なことも外科的なこともトータルで診られる数少ない科で、患者に唯一「おめでとう」と言えることも大きな魅力だった。

一方で、バスケットボール部に所属するスポーツ少女だった能瀬先生は、スポーツ医学への興味も捨て切れずにいた。スポーツ医学といえば、整形外科医の領域という考え方が一般的。それでもなんとか産婦人科医とスポーツ医学を結びつける道はないかと、ずっと考えていたという。
転機となったのは医学部5年の時に偶然見つけた小さな記事だった。

無月経や月経不順、骨粗しょう症など、女子アスリート特有の健康問題を抱える選手が多いことを、産婦人科医が指摘しておられました。その記事を読んだ時に、これだ!とピンと来たんです。当時、産婦人科医でスポーツドクターなんて聞いたことがありませんでした。それでも、どちらもできる可能性が少しでもあるなら挑戦してみたいと思い、産婦人科に進むことに決めました」

しかし、スポーツに関わりたくて産婦人科医をめざすのは異例のこと。真面目にスポーツに携わりたいと話しても、周りは「何言っているの?」という反応ばかりだったという。
突破口が見つからないまま、時間を見つけてはドーピング検査員の資格や日本医師会認定健康スポーツ医の資格を取得するなど、しばらくは手探りの日々が続いた。

「産婦人科医の私がどうすればスポーツに関わる仕事ができるのか。その時点では、全くわからなかったので、スポーツと名の付く学会や研究会には、片っ端から参加しました。

 

研修医の時に日本サッカー協会に突然電話をして、『女子選手の問題で何かやれることはありませんか』と聞いたこともありました(笑)。今考えれば恥ずかしいのですが、そのことを機にサッカードクターセミナーに参加させてもらえるようになり、2008年にアジアで初開催された13歳以下の女子チームの帯同ドクターとして、参加するチャンスまで頂きました。スタッフがすべて女性というのは、サッカー協会でも初だったそうです。その時の監督が、現在のなでしこジャパンの高倉麻子監督でした」

スポーツの世界に一歩ずつ近づきながら、産婦人科の専門医も取得。その頃にはスポーツ関係の知り合いも増え、無月経の選手の治療を依頼されるようにもなった。しかし、月1~2人の選手を診るだけでは、競技特性やアスリートの生活の実態が見えてこない。
「選手に関われば関わるほど、もっとよく知りたいという想いが大きくなっていきました」

700人のデータから導き出した
女性選手特有の健康問題に反響

2012年、ついに能瀬先生とスポーツ医学を結びつける大きなチャンスがやって来る。国立スポーツ科学センター(JISS)の内科医の公募があり、応募してみないかと声がかかったのだ。

「JISSでは内科としての採用だったので、男子選手も含め、ほぼ毎日多くのトップアスリートのメディカルチェックを行いました。その中でも専門の産婦人科のことを調べたいという気持ちもあり、メディカルチェックのカルテのなかから約700人の女子選手の婦人科に関わるデータを拾い、どのような傾向があるのか自主的に調べてみたら、無月経や月経痛など婦人科の問題を抱える選手が多いことが明らかになりました。その実態を、2012年の日本臨床スポーツ医学会で発表したところ、日本産科婦人科学会やメディアなどが女性アスリートの健康問題について取り上げてくださるようになりました」

アメリカでは女性アスリートの三主徴(①無月経②利用可能エネルギー不足③骨粗しょう症)について、1990年代から対策が取られていたのに対し、日本はかなり遅れていた。産婦人科医である能瀬先生が、明確なエビデンスを示したことで、この問題が日本でもようやくクローズアップされたのだ。

「無月経になると、骨密度が低下し疲労骨折のリスクが高まります。当時は疲労骨折で婦人科に行くという発想がなかったため、整形外科を受診するわけですが、整形外科医が『生理はちゃんと来ていますか?』なんて、なかなか聞けませんよね。今は、整形外科から婦人科を紹介する環境が整ってきましたが、当時は難しかったと思います」

女性選手が安心して受診できる環境づくりに注力

次に問題となったのは、無月経などの健康問題を抱える選手に、いかに適切な医療を届けるかということだった。アスリートへの治療となるため、ドーピング違反とならないよう細心の注意が求められるが、誤った認識や過剰配慮も散見された。

実際に、無月経の選手に対して、栄養状態の確認もしないままいきなりホルモン療法をしてしまったり、ピルがドーピングに引っかかると誤解している産婦人科も多かったという。また、漢方ならマイルドだから大丈夫だろうと処方しがちだが、アスリートにとっては漢方の方が危険なのだそう。

「漢方はすべての成分が明らかにできないため、アンチドーピングの観点から、アスリートには原則使用しません。このような誤解や、クリニックによってバラバラな治療が行われることのないよう、2014年に設立された一般社団法人女性アスリート健康支援委員会で、産婦人科医向けの講習会を始めました

 

講習会では、使用可能な薬がすぐに調べられるサイトもご紹介しています。受講した産婦人科医をホームページ上で公開し、誰でもネットで簡単に情報収集できるようになっています。現在約1300人の産婦人科医が登録されており、今年中には47都道府県すべてカバーできる予定です」

さらに昨年には、日本産科婦人科学会と日本女性医学学会が「女性アスリートのヘルスケアに関する管理指針」を発刊した。無月経の原因がエネルギー不足であれば、公認スポーツ栄養士が運動量と食事量のバランスを見直し、栄養指導を行うのが基本だ。現在は産婦人科医が栄養指導を行うことはできないが、直接指導できるような指針づくりを進めており、今年度中にも完成する見込みだという。

正しい知識をもつことで
現場の指導者や選手の意識が変化

近年、女子アスリートの健康問題についてメディアで取り上げられる機会が増えたとはいえ、日本の女子スポーツ界には「「生理がとまって一人前」といった誤った考え方が、つい最近までまかり通っていた。選手側にも「生理なんてないほうが楽」「ないのが当たり前」という雰囲気があったと、能瀬先生は指摘する。

「オリンピックに2度出場したトップアスリートから、オリンピックと生理が重なって、2回とも満足のいくパフォーマンスが発揮できなかったと聞いたときは、正直驚きました。重要な試合に合わせて月経をずらす方法があることは、産婦人科医なら誰でも知っていること。メダリストですらまだこのような状況なのかという憤りが、逆にやる気にさせてくれました」

前述の2012年の調査では、月経周期調整(月経をずらす)が可能だと知らない選手は66%もいた。また、ピルは「避妊に使う薬」「将来妊娠できなくなる悪魔の薬」「太る薬」という悪いイメージが大半を占めていたという。しかし、徐々に正しい情報が浸透し、現在では約96%の選手が「月経は調整可能だ」と認識しているという。

「ピルに対する認識は6年前とは大きく変わりました。さまざまな団体や学会がこの問題について取り上げ、啓発を行うとともに、トップ選手が自らの経験を公にするようになったことが大きいのだと思います。最近は、月経痛の治療薬として低用量ピルの服用を希望する10代の女子選手も増加傾向にあります」

スポーツ医学に本格的に関わって6年。三主徴のある選手は疲労骨折を起こしやすく、治りも遅い上、何度も繰り返す。パフォーマンスを落とさないためにも、「アスリートの健康を守る」という考え方が、トップ選手の間にはすでに広まっている。

「生理が止まると、すぐに婦人科に行きなさいと、コーチやトレーナーが指導する環境が整ってきました。本当に問題なのは、それより下のレベルの選手たちです。中学高校の部活動で運動に励む10代の選手たちこそ、早期からの医学的介入が必要だと改めて感じています」

10代の女性が月経について男性指導者に相談することは難しい。指導者もセクハラと誤解される可能性もあって聞きづらい。ましてや、女子中高生が1人で産婦人科を受診するのは抵抗がある。
「だからこそ、周りの大人が問題に気づいて、10代から受診につなげる配慮が大切なのです」

ストレスから摂食障害に陥る選手も
中高生の健康を守る体制整備が急務

能瀬先生は国立スポーツ科学センター(JISS)で5年間の任期を終えた後、2017年4月に東京大学医学部附属病院産婦人科で「女性アスリート外来」を開設し、中心的役割を担っている。東大は元の勤務先で、退職後に再び大学の医局に戻るのは、あまり例がないのではないだろうか。

「外来ではトップアスリートだけでなく、10代の地方大会レベルの選手も診ています。1年間に外来を受診した選手は延べ467人でしたが、受診した選手のうち62%が無月経や月経不順でした。そのうちの96%が利用可能エネルギー不足による無月経で、12%が摂食障害と診断されました。この数字には私もとても驚きました。女性アスリート外来では、摂食障害を伴っている場合、スポーツに精通している精神科医と連携して治療にあたります」

三主徴の問題が最も多い競技は、陸上の長距離選手だという。

「選手たちに食べていますか?と聞くと、食べていますと答えるのですが、エネルギー消費量に食事の量が追いついていないケースが多いのです。無月経の原因が利用可能エネルギー不足なら、公認スポーツ栄養士の協力の下、運動量と食事量を見直し、エネルギーバランスを整えて、自然に生理を戻すことを目指します」

体重が軽い方が、記録が伸びるという固定観念から、摂食障害に陥る選手も少なくない。強豪校ほどその傾向は強いという。才能のある選手が10代で三主徴を抱え、疲労骨折を繰り返す。時には摂食障害で競技を継続できない選手もいる。能瀬先生はそうしてつぶれていく女子選手を数多く見てきた。

10代で適切な骨量を獲得できなかった女性は、20歳以降いくら治療を行っても、一般女性の平均値まで骨量が回復することは難しいのが実情です。生涯の健康を守るためにも10代が一番大事な時期ですから、長期的な視点で選手を育成してほしいです」と警鐘を鳴らす。

思春期の選手、特に部活動に励む中高生の問題を改善するための課題として、能瀬先生は以下の3点を挙げる。

① 10代での月経教育
② 学校での早期スクリーニング体制の構築
③ 精神科医やスポーツ栄養士らとの連携

「私は学校の養護教諭にキーパーソンになってほしいと考えています。大事なのは10代の女子選手の健康問題を拾い上げて校医につなげ、抵抗なく産婦人科を受診させるシステムを作ること。その下地作りとして、今年12月に私も関わっている女性アスリート健康支援会で、養護教諭と指導者を対象にしたシンポジウムを実施する予定です」

一般女性にも同様の問題がある
2020年以降も継続できる環境づくりに協力を

女性アスリートの健康問題における、日本のトップランナーとなった能瀬先生。産婦人科医への啓蒙や指針作り、10代の選手を守る環境づくりでも先頭に立つ。しかし、ご本人はそんな自分の姿は全く想像できなかったという。

「「最初は、日本にアスリートの治療指針がないため、私自身が診療の際に困った経験があるから、調査研究を行ったにすぎませんでしたが、世間の注目度が上がるにつれ、新たな問題や問い合わせが集まってきます。現場の戸惑いが見える分、自分がやらなきゃという想いに変わりました。

でも、私一人では何もできません。日本産科婦人科学会や日本産婦人科医会をはじめスポーツ関連の学会、日本医師会などが連携して協力してくださったからこそ、ここまで来ることができました。そういう意味では、本当にラッキーでしたね。産婦人科にもこういう分野があるのだと、少しでも興味をもっていただけたらうれしいです」

学会や医師会との連携に加え、普段の診療でも他職種との連携は欠かせない。能瀬先生もスポーツ栄養士、精神科医、整形外科医、トレーナー、コーチ、運動生理学者と一体となって選手の健康問題の改善に共に取り組んでいる。「多職種と連携して選手を支えていけることが、この仕事の一番の魅力です」

日本障がい者スポーツ協会の障害者スポーツ医の資格を持ち、日本パラリンピック委員会女性スポーツ委員会委員長も務める能瀬先生。障がい者の女性アスリートが抱える問題改善も課題の一つだ。

「パラリンピックの選手は健常者とは違うさまざまな問題があります。車いすの選手などは血栓のリスクもあるので、ピル以外のお薬で月経対策を行うなど、より個別の対応が必要です。引退年齢が遅いので、更年期障害を抱えている選手が約23%いるという調査結果も出ています。昨年、日本スポーツ協会と共同で行った約1000人の選手を対象とした調査では、アスリートの妊娠期と産後のトレーニング状況や、身体機能の変化、産後どのぐらいで復帰したかなどのデータを収集しました。これらの結果をまとめて、対策にさらに力を入れていきたいと思います」

いよいよ2年後に迫った東京オリンピック・パラリンピック。女子アスリートの活躍に期待が集まることは間違いない。しかし、能瀬先生は「東京五輪で終わらせてはいけない。2020年以降につながる選手の受診環境整備や、調査研究のサポート体制などを整えていくことが重要だと考えています」と、オリンピック後を見据える。社会的なバックアップ体制の構築には、産婦人科医の協力は不可欠だ。

「アスリートという言葉を使うと、極端な例と捉えられがちですが、低体重、無月経、骨粗しょう症といった問題を抱える方は一般女性にも数多くいます。女性の健康を支える専門家である産婦人科の先生方には、ぜひ明日からでも(笑)、ご協力いただければと思います」

 

能瀬 さやか先生
【略歴】2003年北里大学医学部卒業、同愛記念病院で研修後、2006年4月東京大学産婦人科学教室入局、東京大学医学部附属病院産婦人科、総合母子保健センター愛育病院、焼津市立総合病院、東京日立病院、八戸クリニック産婦人科、国立スポーツ科学センターメディカルセンター、富山大学産婦人科、2017年2月~東京大学医学部附属病院 女性診療科・産科、国立スポーツ科学センター婦人科非常勤、浜田病院非常勤、日本体育大学非常勤

 

【資格】日本産科婦人科学会専門医、日本体育協会公認スポーツドクター、日本障がい者スポーツ協会公認障がい者スポーツ医、日本女性医学学会女性ヘルスケア専門医、医学博士

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文/岩田 千加

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