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2018年09月04日

過酷な周産期医療の現場でも、疲弊しない。埼玉県立小児医療センター・清水正樹先生(総合周産期母子医療センター長)が作るワークライフバランスとスキルアップを叶える職場環境

年間約5万人にのぼる埼玉県の出生数。県内産科医療施設22施設と連携して、その半数以上となる約2万7000出生分の胎児と遠隔胎児診断支援システムを通じて向き合い、年間400名以上の重度ハイリスク新生児を診ているのが埼玉県立小児医療センター総合周産期母子医療センター だ。そのトップに立つのは清水正樹センター長。「いい医療を提供するためにも、ワークライフバランスが重要なのです」。周産期医療をめぐる〈厳しい現実〉と相反するように「働き方」「職場環境作り」にも励む清水先生。その歩みと今に迫る。

新生児科を含む周産期医療は医師の負担が大きく、昨今の医師の働き方改革でも内外から注目を浴びている分野。にもかかわらず、全国から医師自らがここで働きたいと男女問わず集まってくる新生児科がある。それが2016年に移転開院した埼玉県立小児医療センターだ。隣接するさいたま赤十字病院と共同で総合周産期母子医療センターとして機能している。院内は、そこが病院であることを忘れさせてくれるかのような患児と家族をあたたかく迎え入れてくれる雰囲気に満ちていた。

持続可能な医療現場づくりは
20年来の計画と構想からはじまる

「新生児科スタッフの人数はいま常勤が13人、レジデントが2人、小児科専門医の後期研修で回っているのが2人 いるので、だいたい16〜18人。常勤医の数としては日本でトップクラスかと思います」

さらりというこのレベルを東京23区隣接ゆえ医師が確保しづらいといわれる埼玉県で実現し、継続していることは並大抵のことではない。長年にわたって埼玉県の周産期医療を見つめてきた清水先生の計画性、医師として人としての柔らかな眼差しと高い志が不可欠であることは想像に難くない。

「NICUベッド数や常勤医の定数を増やしたいといっても、おいそれとは増やしてもらえません。ですから、この病院の建築や基本設計が開始された段階で、必要な病床数を人口データとかいろいろなデータをもとに割り出して逆算し、まずは埼玉県の周産期医療に必要なベッド数を計算して、そこから必要な常勤の医師数を割り出しました。それがこの病院の移転新築計画が本格的になった5、6年前のことです」

「でもね」と清水先生は続ける。

「20年前くらいから埼玉県がおかれている周産期医療の現場が非常に劣悪な状況だというのは当時いろいろなメディアにも出ており、それを改善するために県立小児医療センターへの周産期センター設立の話は当然のように出ていました。

 

病院の建物は時間が経過して建っていけば進むもの。でも新生児科医は簡単には集まりません。この病院の総合周産期母子医療センター化の具体的な話がでてきた8年くらい前の時点で、新生児科医を集める算段を始めました。都内にある大学の周産期関連の多くの教授にお会いし、 『都心からいちばん近い公立の小児病院ベースの総合周産期母子医療センターになり、 若手小児科医にとって新生児医療の研修に最適だと思うので、研修の場として利用してください。』とお話をしたのですが、ほとんど来ませんでしたね。新生児科医不足はこの時期にはじまっていたからです」

当時、周産期医療をめぐる環境はまさに過渡期。周産期医療加算がつくようになり、収益があがるため、どこの大学病院もベッド数を増やす傾向にあった。しかし、医師はすぐには育たない。清水先生は周産期医療全体が共通して抱える問題をどうやって打開していったのだろうか。

熱意ある新生児科医が育ち、集まり、
男女問わず働きやすい環境はいかにして作られるのか

「今いる常勤医はそのほとんどが自ら当センターで働きたいときた人たちです。三度の飯より新生児医療が好きだというスタッフばかりです。新生児科はそういったオタクしかいないんですよ(笑)。でも、在胎期間20週台前半の早産児や重篤なハイリスク新生児のケア・治療の場合は、24時間連続はもちろん2〜3日徹夜なんてこともあるので、子どもが好きだからという理由だけでは続けられないのは事実です」

小さな子どもは好転も悪化も早い。しかも分娩に伴う緊急対応は24時間問わずある。否が応でも厳しい職場環境になりがちな現場。そこで鮮やかに浮かび上がってくるのが清水先生のモットーである「ワークライフバランス」とそれを実現可能にする手腕だ。

「土日夜間は一切診ません、というのは新生児医療をやっている以上、働き方としては現実的に難しいと思うんです。そこでまず、スタッフに言っているのはオンーオフをはっきりさせようということです。超急性期で重症の場合は付きっきりになりますけれども、通常の当直・休日勤務は当直医2名と待機(サポート)1名の計3人でやっています。新生児医療経験年数が10~20年前後の医師が多く勤務しているので、ほとんどの業務がこなせるためです。

 

夕方のカンファレンスが終わったら、夜間、土日は基本的にはオフという形にしています。実際には自分でやった仕事の結果が気になって見にきたりしますけれどもね(笑)。でも、それを義務にしないということが大切で、義務ではなく自主的にであれば疲労にならないのです。たとえば気になる症例があったとしても、土日に家族で出かける前とか、買い物に出かけた帰りに寄るとかで対応すれば、時間の使い方と仕事への満足度のバランスを自分自身でコントロールできるんですよ」

いちはやい「チーム医療制度」「交代制」の確立・実践、午前中に一回回診して治療方針を決めて夕方のカンファで結果を報告し、カンファは必ず時間内に納めるなどの時間管理術、情報共有の徹底がワークライフバランスの充実度を増しているのだ。

女性医師を特別視しないからこそ
働き続けられる環境がうまれる

東京医科大学の女子受験者への不利な得点操作が明るみになったことで、さらに注目を集めることとなった「女性医師」という存在。結婚や出産で医師をやめてしまう、ハードな現場には不向き、子育て中で勤務時間に制限のある女性医師のフォローで男性医師にしわ寄せがくるなどのネガティブな声があがるなか、「ハードな科」代表ともいえる周産期にかかわる清水先生はいかに捉えているのだろうか。

「10年以上大学でも講義していますが、女子医学生の割合が多くなってきています。さらに小児の領域は他科に比べると女性医師の割合が多い。だからこそ、女性医師には特別扱いは基本的にしていません。男女関係なくともに働きやすい環境を整備して、そのなかで時間を区切ってどう働いていくかということは彼女たち自身が考えることだと思っています。女性医師が働きやすい職場にするとか、特別サポートするというよりは、働きたいのであればしっかりと働く場を提供しますよという姿勢です。中途半端に〈腰掛け〉的なものでは新生児医療はやっていけないし、医師としてもいろんな問題が生じてくると思います」

女性医師にとっては一瞬厳しい現実を突きつけるような清水先生のコメント。しかし、これは医師として、家族を持つ生活者として、医師の妻を持つ夫としての経験と深い愛情に基づいた結論なのだ。

「我々は小児科医なので、自分の子どもの養育を優先しようとも言っています。自分の家族や子どもが身体的にも心理的にも安定していなかったら、いい医療はできないだろうということです。たとえば発熱で保育園から迎えにきてくださいと連絡が来たら、すぐに申し送りをして年休なり子どもの養育のためのお休みを申請してお迎えに行ってもらっています。さらには熱などが治まるまでお休みをしてもらっています。これは男性医師女性医師問わず、です」

現在、子育て中の女性医師は3名在籍しているという。

「30代後半でお子さんが2人、30代半ばでお子さん1人、20代後半でお子さん1人、という3名です。一番上の女性医師はご主人もこの新生児科の医師で、夫婦とも当科で働いています。だからシフトは入れ替わりでやってもらっています。夫も小児科医ですし、もちろんいわゆる今どきの子育てパパで子どもの面倒は見られますので、その女性医師は当直もしています。
20代後半の女性医師も、最近家族のサポートにより当直を再開しました。その位、新生児医療が好きなようです。
まだ子どもが小さい30代半ばの女性医師は現在当直をしていません。ただし、学童保育の利用や、ご主人やご家族の協力が得られるようになったら当直をしてね、と採用面談では必ず話をしており、産休明けには、土日の午前中だけの日直とかは入ってもらっています」

ブランクを極力作らないようにする、でも無理はさせない、しないということで、科全体の医師が生活と仕事を自分の裁量でワークライフバランスをとれるようにしているのだ。また、女性医師が陥りがちなマミートラックを避け、医師として最前線で働き続けることも同時に可能にしている。さらには、女性医師だけを「優遇」することで起きる男女間の労働環境の格差や軋轢も回避しているというわけだ。
しかし、清水先生はあえて釘をさす。

「女性医師が働くことにすごくポジティブな意見だけを持っているかというとそうではないです。育休明けの時短も当然のように取得して趣味の時間にさいて・・・・・・というのは違うと思います。家内もそうですけれども、大変な思いをしながら働いてきた女性医師もいて、中堅以上の女性医師、男性医師のなかには苦言を呈する方もいます。義務と権利のバランスも大事で気にかけています」

と医療の現場を俯瞰したうえで、わきまえるべき「前提」を語った。
生活を大切にし、男女平等にという考えから生まれるワークライフバランスの上手なコントロール方法は、清水先生みずからのご経験からきているのかもしれない。

「医師夫婦」の子育てと仕事の両立術〜清水先生の場合

奥様は大学の同級生。眼科の専門医で、2人目が生まれるまでは大学病院に勤務し、当直もこなしていたという。2人目出産以降は、医局を離れて眼科の専門病院で常勤勤務医として現在も活躍中だ。夫婦揃って最前線の医師として働いてきたからこそ、清水先生も子育てに関わることは当然だった。

「子育ては、そりゃーもう思いっきりやっていますよ。もう大学生と高校生ですが。それこそ今よく言われている〈イクメン〉のはしりじゃないですけれども、小さい頃は普通にご飯食べさせたり、オムツかえたり、お風呂入れたり。自分の子供を寝かしつけてから病院に戻って、患児の様子を見たりもしていました。朝は祖母が保育園に送ってくれて家内がお迎え、または家内が遅くなるときは自分がお迎えに行っていました。

 

家内の実家は両親ともに医師で、祖母は産科小児科医として長年臨床の現場で活躍してきました。そのさらに曾祖母も教師をしていたらしく、代々子どもの面倒を世代ごとにサポートするという働く女性の家系だったんです。女性でも常勤として仕事をきちんとしなさいと。家内も母から、その母もその母から代々言われていたみたいです。女性医師も資格を与えられたのだからきちんと仕事をしなさい、と。そのサポートは先達の医師である親がやればいいのだ、と。

「これができたのも、以前から当科にはベテランスタッフが多かったことと、『この方法でなければ仕事ができません』と自分が上司に言っていたこと、ですかね。子どもが熱をだして呼び出しの連絡が家内のところにいって、家内から今日は手術があるから迎えに行ってと自分に連絡が来たら、『子どもが発熱して迎えにいくんで今日は帰ります』と言って、上司がダメっていう前に帰っていました(笑)。上司がまあ理解があったかというとよくわかりませんが……。

 

今、この新生児科でやっていることは、全部自分が実践してきたこと。とはいえ、環境としてはすごく恵まれていたと思います。すべての女性医師がこういう環境にあるわけではなく、大学の同級生にはご主人が救急医でとても忙しくてサポートを得られず、でも自分もやっぱり働きたいといって、給料の大半を24時間保育に使って働いている女性医師がいたのもまた事実です」

清水先生の長女は現在医学部5年に在籍中。娘さんには結婚や出産などの時期が来たらサポートするよ、ともずっと伝えているという。

新生児低体温療法、遠隔胎児診断支援システム、音楽療法……
10年ごとにテーマをかえ、新しい分野へ挑戦し続ける

埼玉県立小児医療センターに全国から医師が集まる理由は、合理的で働きやすい職場環境だけではない。医師が自らの手技や専門性を高め、成長し続けられる仕組みと文化を清水先生が戦略的に作り出しているからだ。

「医師がこの新生児科に集まる理由としてはやっぱり小児専門病院という専門性がひとつ。あとは、どういう患者さんがいて、どういう診療をして、どういう研究をしているのかという研究テーマも重要だと思います」

清水先生は、画期的な治療法や新しい診断法なども積極的に取り入れ、フロントランナーとして活躍し続けている。

「まずひとつめは、新生児低体温療法に取り組みました。約20年前に埼玉県立小児医療センターの先達の科長と我々スタッフが、日本で初めての臨床応用を開始しました。これらは学会や論文で発表・プレゼンしました」

今では、低酸素性虚血性脳症の患児に対して多くの施設で臨床応用されている低体温療法も、清水先生が先駆けて取り組んできた治療なのだ。その臨床研究の成果は頭部冷却用の専用パーツに清水先生ゆかりの名前がついていることからもうかがい知れる。


専用パーツには、清水医師ゆかりの名前がつけられている。

「10年単位くらいで研究テーマを変えてやっています。次に取り組んだのが再生医療関係の研究ですが、国のレギュレーションがかなり高くなってしまったので小児病院単独で臨床研究でやるのは現在難しくなってきてしまい、ペンディングになっています。現在は大学やいくつかの研究所と連携して研究を続けています。


その次に取り組んでいるのが、遠隔胎児診断支援システムです。これも計画の段階から独自に考え新病院開設と同時に運用しようと考え、実現させました。システムの規模は、カバーする胎児の数としては世界で一番大きいと思います。ITネットワークを使った遠隔医療システムで、県内22か所の産科医療機関の胎児診断用超音波診断装置とオンラインでつないでいます。埼玉県内出生数は年間5万人くらいで、本システムがカバーしているのが2万7000件の胎児です。遠隔地も含めた県内産科医療機関の先生が胎児超音波検査をしたうえで、「疑わしい」とか、「ちょっと診て」とか、「これどうしたらいい?」という問い合わせが全部この病院のオンラインサーバーに画像情報とともに入ってきて、個々に対応するシステムです。


ちなみにこの業務をメインでやってもらっているのが、現在当科で働いている女性医師たちです。昼間にできる仕事ということで、昼間にしか働けない女性医師に業務を振り分けて、通常の新生児医療と合わせて新生児科による胎児診断業務をやってもらっているというわけです。

 

埼玉県内には医療過疎地もあるため、IT技術による遠隔医療を駆使して、遠隔地であっても総合周産期母子医療センター胎児診断外来と同等のレベルの診断支援が受けられるシステムです。遠隔胎児診断支援システムによって胎児が疾患をもっている可能性がわかった場合は、共同運用しているさいたま赤十字病院を受診してもらい最終診断をします。その後、我々新生児科医がお産に立ち会って速やかにNICUで治療することができるシステムになっています。

 

以前の埼玉県立小児医療センターには分娩施設がなかったので、埼玉県内で胎児診断がついたら、その多くが東京都内の周産期施設に母体搬送されていました。そこで、小児の内科系外科系診療科が全部揃っている小児専門病院と産科があるさいたま赤十字病院とが一緒に総合周産期母子医療センターを共同運用すれば、あらゆる胎児疾患に対応でき、さらに遠隔医療システムのネットワークを構築することで、県内全域の胎児疾患に対して県立小児医療センターで治療とその後のフォローもできる体制作りをしたのです」

男性・女性問わず、その人の働き方に合わせて仕事を振るのが自分自身の仕事なのだと清水先生はいう。また、誰にどんな仕事を振っているかということを、全員がお互いに認識できるように共有するという。こうすることでたとえば育児中で長時間病院にいられない人でも、できる仕事をしっかりこなすことができ、同僚に仕事内容を認識してもらえることで後ろめたさは軽減される。
遠隔胎児診断支援システムという新たな領域への挑戦が、埼玉県の周産期医療の抜本的改革を行い、新生児科医師の働き方や女医の活躍の場を広げた好例といえるであろう。

遠隔胎児診断を行うモニター類
遠隔胎児診断を行うモニター類

日本で医師として働く意味を改めて考えさせらせる
ベトナムでの新生児医療支援

清水先生は、埼玉の周産期医療を飛躍的に改善させているだけでなく、ベトナムの新生児医療支援にも積極的に取り組んでいる。

「ベトナムの新生児医療支援に行くことになったのは、〈ベトさんドクさん〉のドクさんが働いているベトナム・ホーチミンのトゥーズー病院から小児・新生児科医が当科に研修にきたのがきっかけです。その時にベトナムの新生児医療環境の現状について話を聞き、生まれてくる子どもは親を選べないけれども、当然国も選べないということ、同じ時期に生まれた子が日本で生まれたら助かって、ベトナムで生まれたら助からないっていうことに、憤りまではいかないけれども、わだかまりというか、何とかならないかと感じました。だったら、実際に自分の目で見て来ようかとなったのが1回目です」

ベトナムの新生児医療支援はほぼ手弁当で行われているという。しかも思っていた以上に実際に見るベトナムの新生児医療の現場は大変なものだった。

「保育器が足りないので一つの保育器に病的新生児が2〜3人入っていて、水平感染も発生していました。亡くなっていく子どもの隣に生きながらえる子どもが並んで入っていて。亡くなっていく子どもを看護師さんがなすすべなく見ている。そういうのを目の当たりにして、これはなんとかしないと、と思って。

 

2回目から本格的に色々な講義を病院やその地域の研究会で行いました。とにかく死亡率が非常に高い。そのトゥーズー病院で生まれる子どもは1日に300人。病的な新生児の割合も多く、極低出生体重児が月に80人ほど生まれます。ちなみに都内の総合周産期母子医療センターで生まれる超低出生体重児と極低出生体重児が合わせて年間平均40人程度で、当センターでは年間120人ほどです。そしてトゥーズー病院のその当時の極低出生体重児の死亡率が80%くらいでした。

 

亡くなった原因を解析してみると、やはり感染症が主な原因でした。医療スタッフが素手でいろいろ処置しているので、『手洗いをしてアルコールを使いましょう』と指導し、呼吸器の使い方を教え・・・・・・。ここ2〜3年でトゥーズー病院に関してはだいぶ死亡率も下がってきていて、以前は全滅だった800~900gの超低出生体重児が助かるようになってきました

最初の5〜6年は多い時は年に2〜3回行くなど集中的に取り組んできたという。帯同するのは新生児科のスタッフ。2〜3人ずつメンバーを変えながら支援活動を行ってきた。現在はトゥーズー病院が改善されてきた様子を受け、さらに田舎町にある病院への指導をはじめたそうだ。その病院においてはNICUにもかかわらず、手洗い以前のレベルの、『窓閉めをして空調を使い、虫の侵入を防ごう』という指導だった。人道的支援以外の狙いはあるのだろうか。

「金がない、物がない、人がいない一方で、生まれる数は多いという日本の新生児医療ではあり得ない新生児医療現場を若手は実感しますよね。

最近の若手医師は僻地・海外医療現場の視察とかには興味をもっていて、欧米の医療施設には留学には行くけれども、東南アジアの特に社会主義国の医療施設へ行く機会はない。彼らがそのような現実を見て帰ってきてからは、我々が日本で行っている医療への考え方が変化すると思います。いかに自分たちが豊かな医療現場で働いているかということ、日本でせっかく新生児医療をやっているんだとしたら、それを使って良い医療をしようと前向きな考えになって帰ってくるということです。

 

ベトナム人の医者のほうが日本の医者よりよっぽど勤勉です(笑)。彼らが日本と同じように資材や財源があったら、もっといい医療をやるよ、いつか抜かされるよって言っています。支援先の若い医師とはSNSで常にやりとりをして患者の相談を受けており、若手医師同士でも交流を続けているようです。これも一種の遠隔医療です」

今年の秋には13回目の新生児医療支援 となる渡航を予定している。
「もう今は〈フォー食べに行くぞ〜!〉ってノリですよ」と、大変な取り組みにもかかわらず冗談交じりに話す。

現在はその次の研究テーマも手がけている。それがNICUにおける音楽療法だ。すでに臨床実践しているアメリカ・マントサイナイ病院へ研修に赴き、マントサイナイ病院で働いていた米国認定音楽療法士を新生児科専属音楽療法士として採用し、日本初の米国認定音楽療法をNICU/GCUでスタートしている。

いわれてみれば、埼玉県立小児医療センターのNICU・GCUはモニター音などが一切しない、静かで穏やかな生活の場のような環境だった。モニター音やアラーム音がしないように管理されているのは、じつは音楽療法の一環で、異音による患児のストレスを減らす工夫だったのだ。

次々と難題をみずからに課し、超えられない状況や変えられない環境もそれを是とせず改善を試み続ける情熱。緻密に短期・長期の療法を捉える計画性。困難を超える道筋を見出し行動に移す実行力。清水先生は日本の新生児医療全体を明るくし、一緒に働く人やNICUの赤ちゃんたちとその家族を幸せにし続けている。

清水 正樹(しみず・まさき)
埼玉県立小児医療センター 新生児科 部長兼科長、総合周産期母子医療センター センター長

1989年 東京慈恵会医科大学卒業

日本小児科学会専門医、日本小児科学会埼玉地方会理事、日本周産期・新生児学会専門医、日本周産期・新生児学会指導医、日本新生児成育学会評議員、埼玉県周産期医療懇話会代表幹事、日本新生児慢性派疾患研究会幹事、日本低体温療法・体温管理学会幹事、臍帯血による再生医療研究会幹事、東京慈恵医科大学小児科講師

文/田中祐子

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