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2018年12月03日

できないことを嘆くより、今を懸命に――育児の制約があるからこそ踏み出せた「臨床+予防医療普及」への新たなチャレンジ/産婦人科医 稲葉可奈子先生

結婚・出産を機に変わるライフスタイルに、どう向き合っていくのかは人それぞれだ。多忙な会社員を伴侶に持つ産婦人科医・稲葉可奈子先生は、「育児は自分の役割」と受け入れ、2児の育児とフルタイムの仕事を両立させている。一定期間、当直や悪性腫瘍の手術に携われないことは「仕方がない」と割り切り、子育てだって楽しむ。そんな潔いワークライフを送る中、子宮頸がんなどの予防医療をインフルエンサーとも協働して世の中に普及させるという活動にも関わるようになった。

正しい情報を伝え、行動変容を促すことで、病気やトラブルを未然に防ぐ予防医療。「もっと前にどうにかできなかったのか・・・」、臨床現場で抱えていたもどかしい思いをそのままにせず、非医療者ともタッグを組んだこれまでにないアプローチでの予防医療普及に邁進する稲葉先生に、医師の新たな社会貢献の形を見た。

稲葉可奈子先生
医師・医学博士・産婦人科専門医
2008年 京都大学医学部卒業。同大学医学部附属病院で初期研修の後、東京大学医学部産婦人科に入局。三井記念病院を経て、東京大学大学院にて医学博士号を取得。現在は、関東中央病院産婦人科勤務。2児の母。

夫は多忙な会社員
自らの意思で、当直なしの病院を選択

 京都大学医学部を卒業後、同大学で初期研修中に結婚。出身は関西ではないが、ずっと住みたいと思うほど関西は水が合ったという。そんな稲葉先生が東京に転居した理由は「夫の就職先が東京だったから」だそう。

「夫は医師ではなく会社員です。私は医師免許があれば、どこでも仕事ができるだろうということで(笑)、一緒に東京に行くことにしました」

 その後、東京大学医学部附属病院産婦人科に入局し、大学院1年目に長男を出産。しかし、多忙な夫は毎晩帰りが遅く、家事・育児は主に稲葉先生が担うことになり、やむを得ず医局に当直免除を願い出た。

ちょうど、東大の関連病院である関東中央病院(世田谷区)が、閉鎖していた産婦人科を再開することになり、赴任することになった。お産や悪性腫瘍の治療は行っていないため、当直や頻繁な呼び出しもなく、育児との両立が可能だろうと医局が配慮してくれたのだ。

「我が家の状況を考えると、医局の気遣いはとてもありがたく、自分も納得の上で勤務させていただいています」

関東中央病院に入職後に二人目を出産。産後わずか8週間で復帰した。

「医師の人数が少ないので、他の先生方になるべく迷惑をおかけしないように、というのと、あとは、元々動いていないとダメな性格なんです(笑)。本音を言えば、どんなに子どもはかわいくても、一日中ずっと家にいて、子どもの世話だけをするのは精神的にしんどいです。幸い院内保育があったのですぐに復帰でき、子どもを預けている間は仕事に集中。会えない時間に愛情を充電し、仕事が終わったらマックスに溜まった愛情を子どもにたっぷり注ぎます。その方が仕事へのモチベーションもわいてくるんですよね」

スペクトラムが広い産婦人科は
“日々新た”の連続

 医学の基礎研究に対する興味から医学部を志した稲葉先生。入学当初は自分が産婦人科に進むとは、全く考えていなかったという。しかし、実習でいろいろな診療科を回るうちに、他科にはない同科ならではの魅力に気づいていく。

「産婦人科は内科的なことも診られるし、婦人科腫瘍の外科手術もできる。さらには赤ちゃんの誕生という、この科独自の魅力もある。そういう意味では、スペクトラムが広いので、興味が尽きないのでは、と思いました。また、女性ならではの体の悩みや気持ちが理解できるため、女性であることが強みになると思い、産婦人科を専門にすると決めました。その結果、大正解でした(笑)」

 東大病院では周産期、悪性腫瘍、良性疾患、不妊治療と幅広く研修した。幸せなお産もあれば、命がけのお産もあることを、身をもって体験した。
命の誕生から思春期、そして人生の最期の瞬間まで、女性の一生に寄り添うことができる産婦人科の仕事に、稲葉先生はますます魅了されていく。

「産婦人科って本当に多種多様なのです。さまざまな世代の女性に接し、医師として同性ならではの悩みに一緒に向うことが、段々私の生きがいになっていきました」

元々、社交的で人と話すことが好きな性格だ。多くの患者に寄り添うなかで、自分も日々新たな気持ちでいられることも、産婦人科医の大きな魅力だったという。

置かれた環境を受け入れ
育児も仕事も できることを全力で

 第一子出産を機に、悪性腫瘍の手術やお産に接する機会は減った。その辺りは、ご本人の中でどのように折り合いをつけているのだろうか。

「オペが長引いた時に、夫に急に子どもの保育園のお迎えをお願いすることが難しい現状を考えると、『子どもが小さいうちは仕方がない』と割り切っています。もちろん、子育て中も第一線で仕事を続けている方はいらっしゃいます。そういう方は心から尊敬しますし、その方々のおかげで私は今の働き方をさせてもらえているので、本当に感謝しています。

 

だからと言って、目一杯働けない自分を嘆いてもしょうがないと思うのです。それよりも、私に今できることを精一杯やろうと考えています。分娩に携わることができる病院に週1回外勤に行き、オペも継続して、私なりに今の状況の中で最大限経験を積もうと思っています」

女性医師がキャリアを継続するために、最近は「夫の教育」に取り組むドクターも増えている。しかし、「育児は自分がメインでやる」と決めた稲葉先生には迷いがない。そういう生き方を理解してくれる仲間もできた。

 現在は、8時半から17時15分までフルタイム勤務。女性医師3名体制で質の高い婦人科診療に取り組んでいる。子育て中の女性医師もおり、「勤務時間中は効率よく、全力で仕事をして定時に帰る」をモットーに、抜群のチームワークでまとまっている。自分がこうして働いていられるのは、他の2人の先生のおかげだと稲葉先生は話す。

とは言え、経歴的には“超”のつくエリート医師の稲葉先生。自分がキャリアのスピードを緩めて働くことへの葛藤は、本当にないのだろうか。

「確かに、医師のキャリア、研鑽だけを考えると、子どもの存在は“足かせ”なのかもしれません。でも、私は子育てが本当に楽しいんです。子育てには時間も労力もかかりますが、その分子どももしっかり愛情を返してくれます(笑)。子育てから得られる喜びと相殺すると、ある一定期間、臨床でできることが制限されても仕方がない。そう決めた自分の選択に、後悔はありません。1日24時間しかないのだから、仕事も育児もいまできる最善のことをしようと心がけています」

突然訪れた「予防医療」との出会い

 子育て優先のワークライフバランスを貫く一方で、予防医療普及協会の顧問の顔も持つ稲葉先生。予防医療普及協会は実業家の堀江貴文さんが経営者、医師、クリエイターなどの有志とともに2016年に設立し、胃がんの主な原因であるピロリ菌の検査・除去啓発を目的とした「ピ」プロジェクト、大腸がん予防啓発のための検査の重要性を伝える「プ」プロジェクトなどを実施してきた。
現在、稲葉先生は予防医療普及協会がいま特に力を入れる、子宮頸がん予防の啓発活動に取り組んでいる。
その出会いは、意外なものだったという。

「『インベスターZ』というマンガを読んでいた時に、ものすごく小さい字で、堀江貴文さんが予防医療の啓発活動をしていると書いてあったんです。『堀江さんがなぜ予防医療?』と思って調べてみたら、ピロリ菌は『ピ』、大腸がんは『プ』プロジェクトを実施していると知り、だったら次はHPV(ヒトパピローマウイルス)の『パ』しかないでしょう!と思い、協会のお問い合わせフォームから『子宮頸がん予防の普及を “パ”プロジェクトとしてやっていただけませんか』と書いて送ったところ、賛同してくださり、同協会の予防啓発活動に参加するようになりました」

 一歩を踏み出した背景には、HPV ワクチンを巡る、産婦人科医としてのジレンマがあった。国による積極的接種勧奨が差し止められた2013年6月以降、かつては約70%だったワクチン接種率が1%未満にまで低下。ワクチンを打った方がいいと考える産婦人科医は多いが、国が推奨しないワクチンを「打ちましょう」というのはさすがにハードルが高い。しかし、「子宮頸がんはワクチンと検診で予防できるという情報が届いていないがために、多くの女性が子宮頸がんにより辛い想いをしている現状をなんとかしなければ・・・」という想いで、悶々としていたという。

「HPVワクチン接種と、報告されている24症状との間に関連性はないという『名古屋スタディ』の論文が発表されても、世論は動きませんでした。医師が医学的根拠のある正しい情報を発信しても一般の人にはなかなか届かない。一人でも多くの人に知ってもらうには、インフルエンサーの力を借りてみるのも一案ではないかと閃いたんです」

産婦人科医としてできることは減っても
予防でより多くの人を救うことができる

 この活動を通して、稲葉先生が最も訴えたいのは「子宮頸がんはワクチンと検診でほぼ予防できる」ということ。ワクチン接種に対する意見は、賛否両論あるなか、本当に公平な情報を広く平等に届けるため、そして国の推奨中止でワクチンを接種できなかった人たちへの助成を、全国の自治体や厚生労働省などにお願いをするためのオンライン署名「『子宮頸がんは予防できる』という情報が届けられていない日本の女性を救いたい!」も立ち上げた。

「日々の診療では、目の前の人を救うことしかできません。しかし、予防の啓発はより多くの人を救うことができる可能性があります。啓発活動は、時間をやりくりすれば、子育て中の私でもできる範囲で参加できます。子どもが寝ている間に、子宮頸がん予防に関する記事を書いたり、休日に子宮頸がんのリスクや予防の重要性を伝えるイベントで話をしたり。予防医療に携わることで、一人でも多くの人を救うことができれば、と思って活動しています」

 予防医療普及協会の「知ることで、行動することで、防げる病気があります」というモットーも、自分の考えと合致した。

「オンライン署名を通じて、医療関係者ではない一般の人から『なんとなく不安なだけだったと気づいた』という声が少しずつ出てきて、情報を届けることの重要性を改めて実感しています。この活動を通して改めて感じるのは、医師が一人で声をあげても何も変わらない。発信するだけでは不十分で、人々に届かないと意味がないということです。どうしたら一人でも多くの人に届けられるのか、仲間とともに考えながら、自分のできる範囲でこの活動を長く続けていきたいですね」

日本の性教育の改善をライフワークに

 仕事・育児に加え、予防医療の啓発・普及活動に取り組むことで、より充実したワークライフを送る稲葉先生に、将来の目標について聞いてみた。

「私の生涯のミッションのひとつが、日本の性教育の改善です。避妊や緊急避妊薬についてちゃんと知っていたら防げたかもしれない、望まない妊娠で悩む10代の子をみるたびに、性教育の重要性を痛感します」

 現在勤務する関東中央病院は、公立学校共済組合の職域病院として出発した病院だ。その強みを生かし、人間ドックで来院した教職員に性教育の意識調査を実施。その結果をまとめた論文(*1)も発表した。

「調査をしてみて、先生方も一般の人と同様に妊娠や避妊についてあまりご存じないことがわかりました。性教育はその内容に対する保護者などからの批判も多いようで、教えたくても、教えづらい雰囲気があることも明らかになりました。『専門家に学校で講義してもらいたい』『産婦人科医監修の副教材があればいいのに』といった現場の声にも、できる限り応えていきたいです」

 直近では、堀江貴文氏が「学校教育を破壊し、再構築する」と発案し、今年10月に開校した「ゼロ高等学院」(*2)の講師として、10代の若者とともに性教育の啓発などを行う予定だ。

「これは完全なボランティアです(笑)。講師を頼まれたものの、医学的なことを教えるだけではゼロ高らしくないと思い、ゼロ高生と一緒に10代への啓発を企画できたらおもしろいかな、と考えています。10代へどうやったら届くかは、10代が一番よく知っているのではないかなと(笑)」

 肩ひじはらず、気負わず、今を懸命にという姿勢で、医師としての活動の場を広げてきた稲葉先生。「人々を救いたい」というゆるぎない信念と仲間と医師免許があれば、新たな道が開ける。そんなふうに思わせる素敵な女性医師だった。稲葉先生らによる、正しい情報を伝える“予防”で、悲しい想いをする女性が少しでも減ることを期待したい。

*1
『教師の避妊・不妊・妊娠についての知識レベルの調査』ADOLESCENTOLOGY VOL.35 NO.3 2017 K Inaba et al.

*2 ゼロ高とは?
実業家である堀江貴文氏の知見と、約1500人を有するHIU(堀江貴文イノベーション大学校)、様々な有識者、実業家のネットワークを活かしたプロジェクト活動への参加できることが可能な高等学院。2018年10月開校。机上の空論ではなく、実在の社会活動へ参加、行動し、学びを得られる教育機関。参加できる活動は、宇宙ロケットの開発・発射、和牛の生産、販売、寿司職人になるための技術や経営、ファッションやエンジニアリングなど多岐にわたり、第一線で活躍しているプロに学べる環境などがある。その他にも、村づくりや、全国にてシェアオフィスづくりなど、さまざまな分野で進行中の活動があり、主催、参加することが可能。また、既存の高等学校と教育提携することにより、在学中にあらゆる社会活動に参加しながら、通信制高校として高校卒業資格の取得が行えることも、大きな特徴の一つ。

文/岩田 千加

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