425d453d bb04 403d 9049 bade91f0636dワークスタイル
2015年10月28日

「成し遂げたい」という強い気持ちこそ、人生の宝物。
98歳・現役女医が贈る、
困難を乗り越えてしなやかに生きるヒント。

女性が仕事を持つのがまだ珍しかった時代に、手に職をつけて自立することを志ざし、ふるさとの新潟から東京へ、そして中国の青島へ。恩人と出会い、運命に導かれるように医師という仕事を選び、そして戦後まもない日本で開業、新たな病院設立へ……。壁に当たっても常に前進し続け、今なお98歳にして現役の医師である髙橋幸枝先生。前のめりともいえるパワフルな生き方を支えてきたのは、「自分を信じる強い力」でした。

髙橋幸枝(たかはしさちえ)先生

 

1916年、新潟県生まれ。新潟県立高田高等女学校を卒業後、海軍省のタイピストに。中国・青島の海軍省で勤務後、北京にて日本人牧師のもとで働く。帰国後、福島県立女子医学専門学校入学。新潟県立高田中央病院、桜美林学園内の診療所を経て髙橋医院、秦野病院を開院。現在は「秦野病院」「はたの林間クリニック」「就労移行支援事業所りんく」などを運営する医療法人社団秦和会理事長を務める。         

 

 

「職業婦人」を志ざし、飛び出していった先の中国で、
医師という職業に出会いました。

自身が理事を務める秦野病院の診察室で、インタビューに応えてくださった髙橋先生。凛として医療のことを語ったかと思えば、茶目っ気たっぷりに思い出話をしてくれたり。好奇心旺盛、チャーミング。そんなお人柄が言葉の端々から伝わってくる。

「生まれは新潟県の新潟市。昭和11年、20歳のときに、高田市(いまの上越市)にある高等女学校を卒業しました。お茶やお花を習って、いわゆる花嫁修業をするのが当たり前の時代でしたけど、私はそういうことには興味が湧かなくて。仕事がしたかったの。叔父がいた東京の海軍省で、タイピストとして勤め始めました。そうしたら中国の青島にある海軍省で働かないか、と声をかけられて。すぐに行く決心をしました。知らない土地に行く心細さよりも、やってみたいという好奇心のほうが強かったんですね」

それが、22歳のとき。当時、日本の占領下にあった青島は、ヨーロッパ文化の薫る華やかな地域だった。「タイピストとして働きながら、お休みの日は近所にあった教会でコーラスを習ったり。楽しく過ごしました」その教会で出会ったのが、牧師で、のちに桜美林大学の創立者となる、故・清水安三氏。この出会いが、人生の大転機となる。

「清水先生は、北京で貧しい子どもたちに教育を施し、女性が自立できるように仕事を与え、セツルメント(※)を設けて、と慈善事業をされていました。お話を聞いてすっかり感動して、北京で働かせてくださいとお願いしたんです」

すぐに北京に居を移し、セツルメントや学校の事務員として働くことに。そして、初めて医師の仕事というものを身近に感じたのが、この北京での滞在中のことだった。「貧しい人々の衛生状態は決していいものではなくて、日常的なケガや病気でいろいろな患者さんが来るんです。髙度な医療は施せないですけど、でも医師たちが精一杯の治療をすると、みんな喜んでくれました。そういう光景に触れるうちに、ああ、医者の仕事っていいな、と思うようになったんですね。でも、まさか自分がなるなんて思ってもみませんでした」

ある日、清水先生に突然、こう提案される。

「『髙橋さん、あなた医者になったらいいじゃないか』って。びっくりしました。いろいろなアイデアが湧く方ですが、さすがに何を言い出すのだろう、と(笑)。けれど当時はお金がなくて医師をなかなか呼べず、常に人手不足の状態でした。先生は真剣におっしゃったんですね。いったんは受け流しましたが、そうだ、私がやればいいのだ、と思い直して、その道に進むことを決めたんです」

 ※セツルメント:貧しい人が多く住む区域での生活の向上のための宿泊所・授産所・託児所などの設備。

 

下駄箱の隣の小さなスペースに、机と椅子だけ。
それが、私が一から作った初めての診療所でした。

 かくして東京に戻り、猛勉強の日々がスタート。「もともと負けん気の強いタイプ」というだけあって、苦手な数学も克服し、なんとか福島県立女子医専に合格する。が、在学中、28歳のときに終戦に。

「医師として北京に戻るという目的がなくなってしまった。それで故郷の高田市の県立中央病院で、内科医として働き始めました。戦後すぐの頃で、結核にかかった方の治療で忙しく、それなりに充実していました。そんななか、東京に戻って学校を開いた清水先生から、校医として来ないか、と打診があって。悩みましたが、恩人からの依頼です。高田市の病院を辞め、東京の町田に向かいました」

町田のこの学校が、桜美林大学の前身となる桜美林学園だった。「招かれて行ったはいいけれど、戦後の何もない時代です。先生から示されたのは、玄関の隅を仕切っただけのスペースでした(笑)。これは大変だ、と思ったけれど負けん気の強い性分です。『よし、やろう』と本気で取り組みました。学校じゅうから机や椅子を運び込み、器具を揃えて。それが、私が作った初めての診療所です」

次第に患者が増え、診療所が機能し始めて3年が過ぎた頃「ふたたび清水先生から、今度は『医学部を作ってほしい』と話されたんです。けれど私は学問を教える立場ではないし、臨床医でいたかったから、それはお断りすることになりました。心苦しかったですが、臨床医としてずっと患者さんに関わりたい、という自分の希望がはっきりとわかったことはありがたかったです。それで、開業することを決めました。先生も残念がっておられましたが、最後は私のやりたいことを尊重してくださいました」

ライフステージに合った働き方を
医師の常勤求人検索はこちら➡
『Dr.転職なび』
  アルバイト検索はこちら➡『Dr.アルなび』
エムステージ産業医サポート【医師向け】

内科に外科、小児科。何でも診て、往診も。
たくさんのことを学べた、家族ぐるみの地域医療。

 そうして、医師として29歳でスタートを切って10年目に、内科のクリニック「髙橋医院」を開業。選んだ場所は神奈川県の中央林間だった。「土地が安かったの。今でこそ拓けていますが、当時はまさに草野原。家にも草をかき分けて入る、という状態です(笑)。当然、まわりに診療所もないから、中央林間に住む人がみんな来ました。医者は私ひとりですから、内科、外科、小児科、耳鼻科、なんでも診ましたよ。髙度な治療が必要な場合はもちろん専門医を紹介しましたけど、ちょっと切ったとか、鼻が詰まったとか、日々の暮らしの中で起こるケガや病気、トラブルはだいたい診てきましたね」

まさに、最近見直されている「総合診療」を地で行っていたのが、当時の髙橋医院だった。それは、かつて北京で見て感銘を受けた病院の在り方と、重なるものだったに違いない。

「昔は多くの病院がそうしていたでしょうし、今もそうあるべきではないかと思います。細かいケガや病気であちこち出向くのは大変ですし、まず相談できる医師がいることは心強いものです。そうそう、私は往診もよくしていました。開院当時はまだ電話がない家も多かったから、近所の人が直接来て『先生、診に来てください』なんて。バイクや車で走り回っていましたねえ。でも往診をすると、家族の方や暮らしの様子がわかって、より突っ込んだ診察ができました。そこで学べることがたくさんあったんです」

 

自分が「その気」になっている瞬間を逃さずに行動する。
それが、チャンスをつかむということ。

 地域の頼れる医師として日々忙しく診察に当たっていた髙橋先生にさらなる転機が訪れたのは、クリニック開院から数年後のこと。「これからは精神科が重要になる時代だと考え、新たに精神科のある病院を作ろうと思ったんです。もちろんお金もないし、ずいぶん迷いましたよ。まわりの医師仲間に相談したら、口々に『やめたほうがいい』と言われた。でも、ふと思ったんです。やらなくてよかったと安堵するか、挑戦すべきだったと後悔するかは私。あくまでも人生の主人公は自分自身だと。それで本当にやりたいかを真剣に考えて、新たな病院を立ち上げてみようと結論を出しました」。この、自分が「その気」になっているという感覚は何をする上でも大事です、と髙橋先生は言う。

「事業をしたいけれどお金がない、という声を時々聞きますが、一番大事なのはお金じゃなくて、信念です。反対に、どんなにお金などの条件が揃っていても、成し遂げたいという強い気持ちがないとうまく行きません。実際に私もそういう経験をしたことがあります。やる気が起きている時こそが、最大のチャンス。そしてこのチャンスはどなたにでも訪れるもの。つかむかつかまないかは、その人次第なのです」。熱のこもった口調でそう語ってくれた。

 

どんな仕事も、平坦な道だけではありません。
でも、苦労してよかったと思える日が必ず来ます。

 精神科と内科を標榜する秦野病院を設立してから、もうすぐ50年。この11月2日で99歳を迎える髙橋先生は、今でも週に1度、月曜の午前中だけ、昔からの患者さんの診察に当たっている。

「気づいたら1世紀近く生きちゃったのね(笑)。いつも忙しくて走り通しだったけど、最近やっと振り返る余裕ができました。壁に当たるたびに考えて、とにかく手近にできることから無我夢中でやってきただけですが、あれでよかったのだな、と今は思います。どんな仕事でも、平坦な道ではないですよね。今の、ハードな仕事をして、家庭もあって、という女性たちは大変だと思います。でも、あのとき苦労したけれどよかった、と思える日が必ず来ますよ」

■文・新田草子


医師の常勤求人検索はこちら➡
『Dr.転職なび』
  アルバイト検索はこちら➡『Dr.アルなび』
エムステージ産業医サポート【医師向け】

ヘルスケアの今と未来がわかるWEBマガジン➡『HEALTHCARE Biz』

 

 髙橋幸枝先生の著書
 小さなことの積み重ね

 98歳現役医師の“元気に長生き”の秘訣
 (マガジンハウス)

 毎日必ず階段を上り下りする、
 午後に数字パズルをする、
 食事はいつも腹八分目……。
 98歳にして現役医師を続ける髙橋先生の
 元気に長生きする秘訣が書かれた一冊。
 80歳を過ぎてから覚えた晩酌をはじめ
 何歳になっても人生を謳歌する姿は
 生きるエネルギーに満ちています。 

 


関連記事

キャリアも家族との時間も大切にする
「非常勤で働く」という選択も一つの「正解」だった

 わたしがお医者さんになった理由