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2015年11月09日

逸ノ城関の活躍を支える、おかみとして、医師として。
「力士たちの十人十色の人生に出会えるのが醍醐味です」。

「結婚した相手がたまたまお相撲さんだっただけ。特別な人生だとは思っていないんですよ」とさらりと語る三浦真さん。医師でありながら、人気力士・逸ノ城が所属する湊部屋のおかみという、ドラマティックな道のりを軽やかに進んできたように見えます。「迷ったら今何をすべきかを判断するだけ。先のことはあまり考えないほう」という三浦さんの、気負わず、しなやかに生きる秘訣をうかがいました。

 

三浦真(みうら まこと)さん

 

埼玉医科大学大学院卒業後、同大学病院の神経耳科に入局。29歳のときに湊富士(現・湊部屋親方)と結婚。2児の母として子育てをしながら埼玉県内の介護老人施設の院長を務める。2010年に夫が湊部屋を継承したことにより、おかみ、医師、母親の3役をこなすことに。現在はおかみ業に比重を置きつつ、不定期で病院勤務に携わる。

 

 大学院時代に親方と出会い結婚。
力士の妻というプレッシャーはなかった。

 

10月中旬、埼玉県に構える湊部屋はひとけが少なく静けさが漂っていました。「秋巡業に出ている者もいて、今は若い子たちが数人いるだけですね」。そう話しながら、元気な10代の弟子たちの姿に目を細める三浦さんです。

 両親ともに医師である彼女は姉もドクター。同じ道を目指すのは自然な流れでした。専門は手先が器用だったので形成外科か平衡神経科か迷いましたが、子供の頃からバレエを習っており「回転したときになぜ目が回らないのか、どうやったらうまくバランスがとれるのかを勉強したら楽しいと思って」と平衡神経科(現・神経耳科)に進むことにしました。埼玉医科大学は、平衡神経科を独立した単科で持っている唯一の医大であったことも理由のひとつ。

 三浦さんは埼玉医科大学大学院に在学中に、親友のお見舞いに来た親方と出会い、結婚しました。別世界である角界に入ることに迷いはなかったのでしょうか。

「主人は主人の人生、私は私の道を歩むものと思っていたので、とくに不安はなかったんですよ」という三浦さん。結婚後は同大学病院に勤務し、最初のお子さんを出産するタイミングで医局を抜け、他病院でアルバイトをしながら子育てをするというペースで、仕事と家庭のバランスをとっていました。

 伝統を重んじる相撲界では“力士の妻は家を守る”イメージがありますが、親方は医師を続けることを応援してくれました。「主人は幼稚園の送り迎えをしてくれたりと、育児にも協力的でした。とはいっても力士は地方巡業に出てしまったら、たやすくは帰って来られない。子供が水疱瘡になったときも“がんばってね”の一言で終わりです。当時は今のようにシッターさんもいないのでひとりで対処しなくてはならず、近所の知人に頼りながら、なんとか仕事と両立していました」。

逸ノ城の大躍進で目がまわるほどの忙しさ。
それが、おかみとしての責任をより強く感じた時期。

 

 

 大きな転機が訪れたのは2010年のこと。ご主人が23代湊部屋を継承し正式に部屋を持つことになります。「部屋のおかみになるという構想は私のなかにはなかったので正直戸惑いました。生活ががらりと変わりますからね。ちょうどそのとき月~金曜まで老人ホームに勤務していたので、果たして両立できるのか……と」。心の動揺を抱えながらも、急きょ後任のドクターを探してもらい、湊部屋立ち上げの準備に奔走します。

 埼玉県川口市に拠点を置いた湊部屋は、1~2階に土俵や力士の部屋があり、3階が三浦さんの住まいという作り。食事、掃除、身の回りのことは力士たちが行い、三浦さんは親がわりとして生活全般の管理や精神的なサポートをすることがおもな役目です。「言葉遣いや態度が悪いと厳しく注意はしますね。でも、親方とは“現場を見ていなければ絶対に叱らない“”と決めています」。その場でなぜいけないかの理由を伝え、本人と真正面から向き合うように心がけているとか。

 湊部屋が一躍注目を浴びたのは2014年の秋場所。モンゴル出身の逸ノ城関が新入幕ながら横綱・白鵬と優勝争いをしたことで、部屋の雰囲気が一変しました。「一番大変だったのは、取材の対処でした。電話がどんどんかかってくるので、それをどう対応すればいいのか分からず、親方にひとつひとつ聞きながら進めていきました。それと、後援会の方が増えたことはうれしかったのですが、苦手なお金の管理に苦労したのを覚えています」

身長199cm、体重200kg近い体格の逸ノ城は、重量オーバーになりがちで体重管理が課題でもありました。とはいっても共同生活なのでひとりだけをダイエットメニューにすることはできず、「夜中にお菓子食べないでよ」と注意をするのが精一杯。「私の専門が肥満ではないので細かい食事管理はできないんです。医者であるメリットは、力士が負傷したり、体調が悪かったりしたときに、知り合いの専門医を紹介するくらいでしょうか」。深夜、逸ノ城の背中に発疹が出たときは写真をメールして「これって帯状疱疹かな?」と医大時代の同級生に相談して対処したこともあったそう。力士たちが風邪をひいたらおかゆを作ったり、顔色を気にかけたりと、母親のように見守るのがおかみとしての姿でした。

全員が日の目を見られるわけではない。
力士たちの将来を考えて叱るときは本気で。

 出世者もいれば名もなきまま終わる力士もいる。15~33歳の弟子を預かるおかみとして、彼らのこれからを見据えて接している三浦さん。「ケガをした、成績があがらないといった理由で力士を辞めたいと言い出す子もいます。相撲以外の世界にいけばラクになると思うのかもしれませんが、世の中はそう甘くないと厳しく伝えます。10代から力士をしていれば、どうしても世間知らずになります。辞めるにしても、次のステップのビジョンを持っているかどうかが大事。単に“相撲が嫌だから”ではなく、自分の中で線引きができて納得していれば、安心して送り出せます」。

何が正しいかはわからないけれど、湊部屋にいた数年間が少しでも糧になればという思いが三浦さんの原動力。「新たな世界でがんばっている、という連絡をもらうと自分のことのようにうれしいです」

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医師の仕事かおかみ業か。
迷ったら、未来よりも“今”を大切にすること。

 

現在、おかみ業と医師のバランスは割合でいうと9:1。「その比重はライフデザインに応じて変わっていけばいい。医者として集中する時期もあれば、おかみ・母親業に重きを置く時期もある。そのとき何を優先すべきかの判断が大切な気がします」。三浦さんは、子供の頃から「今何をしなくてはいけないか考えなさい」と両親から言われてきたことが、人生の舵を着る際に役立っていると実感。「今は勉強をすべきなのか、発表会前なのでバレエの練習を優先すべきなのか。知らず知らずのうちに訓練してきたことで瞬時の判断力がついたのかもしれません。今になって親に感謝していますね」。5年、10年先を案じるよりも、今をどう歩むべきかを冷静に見定める。未来は“現在(いま)”の積み重ねだから――。

 限られた時間であってもあきらめずに臨床現場に立ち続ける三浦さん。それは、一生の仕事として決めた医師の役割を果たし、患者さんを救いたいという信念から来るもの。「患者さんと向き合う時間は大切にしていきたいです。相撲部屋にいるときとはまったく違う視点や立場に身を置くことで、より広い視野が持つことができる。それがおかみ業にも生かされ、いい巡りが生まれる気がします」。

 医師、おかみ業、母親の3役を務めるなかで、つまづくことも、悩むこともありました。そんなときはひとりで抱え込まず、周りに頼ってきたという三浦さん。「努力してもできないことってありますよね。熱が出ないように子供を見張っていても、熱はどうしたって出る。大変なときは“助けて”といえば誰かが必ず手を差し伸べてくれます。私も看護師さんからおむつの替え方を教わったり、部屋の仕事が大変なときは周りの方に相談したりして、皆さんの力を借りてここまできました。そうやって肩の力を抜いたほうが自分自身がラクになるだけでなく、物事がうまく回っていくと思います」

 今、三浦さんにとっての最優先は、湊部屋を盛り立てていくこと。11月8日から九州場所が始まり、力士たちの戦いに一喜一憂する。「勝って喜んでいる子もいれば、負けて肩を落としている子もいる。だからみんなの前では成績のことはいわないようにしています。取り組みが終わって挨拶に来たら“よかったね”とひと声かけたりはしますけど」。ひとりひとりの力士たちの人生にかかわり、感動も苦しみも共にに分かち合う。それが三浦さんの最大の喜びであり、使命でもあるのです。

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■写真・寺澤太郎


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