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2015年12月16日

日本では子育てのためにやむなく転科……。
異なる生き方を認め合える
スウェーデンで見つけた鈴木智香子医師のワークライフ。

ノーベル賞とゆかりのあるスウェーデンのカロリンスカ研究所に属する大学病院で、放射線科の画像診断医として活躍する鈴木智香子先生。もともと日本の病院で乳腺外科医として働いていましたが、出産を機にオペがなく当直が少ない放射線科に転科。その後、元夫の留学に伴いスウェーデンに拠点を移し、カロリンスカ研究所に勤務します。その後、離婚の道を選んだ鈴木先生。スウェーデンでシングルマザーとして働くこと、子育てすることの難しさや喜びをうかがいました。

鈴木智香子(すずきちかこ)先生

 

1969年生まれ。1997年に群馬大学医学部卒業後、東京都立駒込病院にて臨床研修を行ったのち、専門研修として一般内科・乳腺外科・麻酔科・放射線科をローテイト。乳腺外科を専門とするが、結婚・妊娠を機に放射線科医に転科。その後、慶応義塾大学大学院医学研究科に進むが元夫の留学に同行するため中退し、カロリンスカ研究所にてゲストリサーチャーとして研究をスタート。2008年よりカロリンスカ研究所大学院に入学し、2012年には臨床部門として医学博士号を取得する。2013年にスウェーデンの医師免許、翌年には放射線診断・機能的画像化の専門家資格を得る。現在はカロリンスカ研究所の大学病院で放射線科副主任として勤務しながら、高校1年生の娘さんとストックホルムで暮らす。 

 スウェーデンのトップレベルの病院で
画像診断医としてカンファの中心的な立場に。

スウェーデンのカロリンスカ大学病院の放射線科に勤務する鈴木智香子先生は、画像診断の専門医として13年のキャリアを持つ。2005年にゲストリサーチャー(客員研究員)として同研究所に勤務したのをきっかけに、大学院に入学、スウェーデン医師免許取得などの道のりを経て、現在は大学病院の放射線科の副主任として活躍している。カロリンスカ研究所は、ヨーロッパ最大規模の医科大学病院を有し、ノーベル医学生理学賞の選考が行われる場所としても有名だ。

そんなトップレベルの病院で、鈴木先生はがん専門の画像診断医の中心的な存在。ほぼ毎日行われる画像診断カンファレンスでは、外科医・病理医・看護師など50人ほどが集まり、彼女の診断を真剣なまなざしで聞き入っている。

「カンファに参加しているのは、院内で選抜された選りすぐりのメンバーなので、高いレベルで画像を正確に診る能力、根拠ある診断を導く力を求められます。会議の途中で外科医や病理医などから、『それって本当に正しいの?』と言われることもありますよ。顕微鏡で見えた悪性腫瘍がCT画像には映っていないことがあるので、画像診断の難しさにたびたび直面します。全体像にとらわれ細部まで目が行き届かないことがあるなど、反省と勉強の繰り返しの毎日です。でも最近は『Chikaが言うなら』と信頼してもらえる機会が少しずつ増えてうれしいです」。

 最新の治療技術をけん引するカロリンスカ大学病院は、スウェーデン国内にとどまらずEU圏内の病院からも画像診断の依頼が集中する。「私の診断結果をもとに各担当医が治療方針を決定するので責任重大ですが、やりがいはあります」。流暢なスウェーデン語でユーモアを交えながらカンファレンスを進める鈴木先生は、「この仕事が楽しくてたまらない」といった生き生きとした表情。女性だから、外国人だからという偏見がない、スウェーデン社会に自然体で溶け込んでいる。

子育てをすると医師のキャリアは終わる。
そう思いつめた日本での生活。

充実したワークライフを手に入れるまでは、迷いと困難の連続だった。鈴木先生は医大卒業後、東京都立駒込病院で専門研修を行い、乳腺外科医の道に進む。「出産を機にこのまま乳腺外科医としてやっていけるのかと真剣に悩みました。夫も忙しい外科医だったので、育児を手伝ってもらうのは難しい。当直やオペが多い乳腺科医と子育てを両立するなんて絶対にムリ……と」。そんな悶々とした日々を送っていた時に、放射線科の女性医師に「時間の融通がつきやすい放射線科に転科してみなさいよ」と助言される。

 「当時私は『外科から放射線科に移るというのは、一種屈辱的なこと』という考えにとらわれていました。放射線科医は担当の患者さんを持たないし、検査の下請けのように扱われることもあります。マイナーな科に移るのは転落の人生。子供なんか産まなければよかったと、怒りさえ覚えました」。あのときは、うつ状態だったと振り返る鈴木先生。それから「立ち止まっていても道は開けない。やるだけやってみよう」と放射線科に移る決意をする。

「放射線科医の仕事をしてみて、こんなにおもしろい世界があったんだとわくわくしました。患者さんの状態を思い浮かべながらフィルムや画像から病巣や異常を見つけ出す。視界を遮っていた霧が少しずつ晴れていくような爽快感に満たされました」。

 科にメジャーもマイナーもないのに、自分はなんて馬鹿なことにこだわっていたんだろう。そう、過去の自分を省みる鈴木先生。「この分野に導いてくれた放射線科医の先生は“キャリアの母”。彼女がいなかったら、今の私はないと思います。細々とアルバイトをしながら医師を続けていたかも……」

 

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シングルマザーの偏見がない
スウェーデン社会が助けてくれた。

 そして、2005年に大きな転機が訪れる。夫がカロリンスカ研究所に1年間留学することになり、鈴木先生も同行し放射線科のゲストリサーチャーとして同研究所に勤務する。スウェーデンで新生活を送ることで、彼女の中で何かの決着がついたのか、翌年には結婚生活に終止符を打ち7歳の娘さんとストックホルムで暮らすことになる。スウェーデンの幼児保育・学童保育を利用し、友人・家族のサポートを受けながら、仕事と子育てをストレスなく両立できたという。

「日本との違いはシングルマザーであってもワーキングマザーであっても偏見を持たれないところ。娘が突然熱を出して帰らなくてはいけない時も、職場で嫌な顔ひとつされません。保育園の先生たちも協力的で『とにかくあなたは毎朝ここにお嬢さんをここに連れてくれば十分。パジャマ姿でもいいんだから。あとは私たちに任せて仕事に集中して』とサポートしてくれました。そういった精神面での安心感はとても大きかったです」。

恐らく日本でシングルマザーとしてやっていくのは難しかっただろうと実感する出来事があった。「日本の研究者のご家族もたくさんストックホルムにいらしていて、娘が小さい頃は家族ぐるみで交流していました。娘はあるお子さんと仲が良く、姉妹のように過ごしていたんですが、まったく関係のない日本人から『娘が友人の家に寄生虫のように入り浸っている』と言われたんです。母親である私は大事な育児をほったらかしにして、仕事ばかりしていると。それを娘に向かって言われたのが、ものすごく辛かった。娘はそのお友達のところに行きたくないと言うようになりました。日本人特有の偏見の目は、海外にいても感じるものでした」。

 もちろん、異国の地でひとりで子育てをする大変さはある。そのひとつが経済面。スウェーデンは福祉・教育のサポートは充実しており、お子さんの治療費や学費は無料。ただし、通える学校は公立校に限られる。「娘をインターナショナルスクールに入れたので、学費は100%自己負担です。彼女は5歳からこちらで生活しているので、言語は英語がメイン。スウェーデンにも日本にも属していない娘にとって、英語で学ぶことが一番自然な形でした。私がスウェーデンで生活をすることを選んだせいで、娘に負担をかけたくなかった」。

スウェーデンの医師の待遇は日本に比べてそれほど高くない。「給料のほとんどは学費に飛んでいっちゃうわね」と明るく話す鈴木先生。しかし、悲壮感はみじんも感じられない。現在の勤務体系は月曜~金曜日の7時~17時。仕事は家に持ち込まず、娘さんと過ごす時間を大切にしている。「ママ、私だけクラスでボーイフレンドいないんだけど」「ごめん、それは遺伝かも。私も男性からまったく言い寄られないから」。そんな女同士の話で盛り上がりながら、スウェーデンの暮らしを満喫している鈴木先生。

 毎年12月になるとストックホルムはノーベル賞授賞式の話題で街がはなやぐ。「カロリンスカ大学病院で私の隣に座っている教授は、ノーベル医学生理学賞の選考委員だった方。ここにいるとノーベル賞を近くに感じるので“いつか私も!”と思ってしまいます(笑)。もちろん遥か遠い夢ですけど、イメージぐらいはしていたいですね」。

外国で働く医師として、シングルマザーとして、これまでの道のりは、決して楽ではなかったはず。人知れず努力を積み重ねてきた彼女はその痕跡を表に出すことはないが、仕事も家庭も「自分に正直に生きてきた」という充実感が、気負いのないやわらかな笑顔にあらわれていた。

↑仲のいいMRI技師のロベルトさんと病院前で。「彼は留学初日から一緒に研究、診療を共にしてきた大切な仲間の一人」と鈴木先生。

■取材コーディネイト・矢作ルンドベリ智恵子

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